Crew:私は、バカだと思われるのが怖いんです。文字通り、情報が溢れている時代です。だから、知らないことが怖い。意見を持っていない自分が恥ずかしい。

でも、こんな風に感じているのは私だけではないはずです。何かを質問されたとき、答えがわかっているのに、無意識のうちにスマホに手が伸びていませんか?

時事問題について意見を求められ、ニュースの見出しから得た薄っぺらな知識だけで答えたことはありませんか? 私はしょっちゅうです。そんな自分が嫌になります。

情報があまりにも溢れているので、深く考えて物事を理解する前に、表面的な意見でもいいから答えなければと思ってしまうのです。「わからない」と答えることを恐れて。

ジョーゼフ・キャンベルは、『千の顔を持つ英雄』でこう述べています。

芸術、文学、神話とカルト、哲学、禁欲主義は、個人の限定的な視野を超越し、広がり続ける具現化の球体へと変えるための手段である。

でも、これだけ大量の情報を消費する中で、果たして私たちの思考範囲は広がっているのでしょうか? 私には、単に石を拾い集めているようにしか思えません。不要な重さで、ポケットが埋め尽くされていくだけです。

このように常に大量の情報を押し付けられている時代において、本当の「知恵」は発達するのでしょうか?

情報と知恵の違い

いえ、私たちがバカになったと言っているのではありません。むしろ、その逆です。

私たちはついに、過去の世代が蓄積してきたあらゆる知識に、ポケットのプスマホからアクセスできる素晴らしい社会に到達したのです。それにこの記事では、ネコ動画やまとめ記事などといったインターネットの無駄遣いに異論を唱えるつもりもありません。

これらはすべて、ディナー・パーティに端を発するものです。友達と一緒に食事をしながらの会話では、深い話題に踏み込むことはなかなか難しいものがあります。楽しい会話はしても、深くて有意義な話題に触れることはそうありません。うわっつらの会話で夜を過ごし、水面下へ首を突っ込んだりはしないのです。

情報、知識、知恵。それらはすべて、同じパズルのピースです。

「Brainpickings」のクリエイターでありライターでもあるMaria Popovaさんは、知恵に関するエッセイにおいて、理解不足が社会の損失になっている本当の理由を解説しています。

情報が溢れるこの世界では、知恵が急速に失われています。さらに悪いことに、情報と知恵を混同している人が多い。

私たちはつい、多くの情報にアクセスできることで知識が生まれ、それが知恵につながると考えてしまいます。でも、実際はその逆。適切な文脈と解釈を伴わない情報が増えると、世界が豊かになるどころか、理解の混乱を招くだけなのです。

知恵とは、覚えておく価値のある情報と、世界の仕組みだけでなく、世界のあるべき姿を理解するうえで重要な知識の応用であるとPopovaさんは言います。

ここでもっとも重要なのが、「あるべき姿」という考え方。なぜなら、知恵には「こうあるべき」「こうであってはならない」という倫理の枠組みが必要だからです。私たちが賢くなるには、世界がどう見えるか、どうあるべきかという「理想」が必要なのです。

つまり知恵とは、集めた情報と知識を使って、よりよい世界をつくるための方法を理解し、予見すること。たとえば、記事を読めば一時的な情報は得られますが、本当の変化を起こすツールを得るには、そのトピックを深く理解しなければなりません。

情報と知恵のギャップを埋める

知恵を育むための近道を探すのは、残念ながら時間の無駄です。知恵という言葉に老人、指導者、超人間的存在のイメージがつきまとうのには、理由があるのです。

ライターのSusan Sontagさんにとって、知恵とは「生涯にわたるプロセスであり、毎日それに向けて取り組むもの」だそう。

彼女は1992年にニューヨークのコミュニティセンター「92nd street Y」で行われたセミナーで、毎日消費するものが世界を理解するための基準を定めると説いています。

読むことで基準がセットされます。そこから、「良いこと」とは何か、「正しいこと」とは何か、「より良いこと」とは何かというアイデアが生まれます。「より良いこと」は、常に存在します。定義上、自分にできることは十分に良いこととは言えません。良いこととは、なかなかできないことであり、相当の努力を要することであり、できることより良いことなのです。

芸術家でありライターでもあるAustin Kleon氏も、「アウトプットの問題は、たいていインプットの問題」という意見を述べています。

知恵への道のりは、心の中に取り込んだものからはじまるのです。

22歳のArnold Samuelson氏は、ヒッチハイクで石炭列車に乗り込み、憧れのヘミングウェイをキーウェストに訪ねました。そのときヘミングウェイは、こう言いながら読むべき本のリストを彼に手渡したと言われています。

つまらないものも、刺激的なものもあるだろう。あまりにも美しすぎて、自分で書こうという気力を奪われるものもあるだろう。

作家のルイス・ハイド氏は、著書『ギフト』において、知恵への道のりを芸術家の旅と結び付けています。

多くの芸術家は、達人の作品によって初期の才能を呼び起こされ、その職業についています。つまり多くの芸術家は、芸術によって芸術への道を目指すことになるのです。

最近の研究で、適切な消費を行なうことの重要性も示されています。認知科学者のメアリアン・ウルフは、著書『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』において、こう述べています。

読書脳の回路は、読むことによって得た意味のある情報を反映します。

つまり、読めば読むほど、読み続ける可能性が高まるのです。

表面的なものを乗り越えるには、表面的なものの先にあるものを理解することからはじまります。これを伸ばすことができるのは、時と経験だけです。

仏教僧のティク・ナット・ハンは、『 理解のこころ : 私の般若心経 』において、何かを真に理解することについて解説しています。

何かを理解したくても、それを外から眺めているだけでは理解できません。深く入り込み、一体とならなければ、本当に理解することはできないのです。人を理解するなら、相手の感情を感じ、痛みを痛み、喜びを喜ばなければなりません。

経典では、看破という言葉で完全なる理解を意味します。理解を意味する「comprehend」という英単語は、ラテン語で「心の中で一緒」を意味する「com」と、「つかむ」あるいは「拾う」を意味する「prehendere」を組み合わせてできたもの。つまり、理解とは、拾い上げて一体になることを意味します。何かを理解するためには、それ以外に方法はありません。

「コツ」があるとすれば、時間と注目を払うだけの価値があるものを見抜くことぐらいでしょう。

テクノロジーや忙しい仕事、経済的な脆弱性によって、私たちの生活はあらゆることで中断します。そのため、1つのことに深く入り込むのは非常に難しくなっています。

また、メモを読み、質問に答え、そして次と、お手軽な解決策、お手軽なアイデア、お手軽な理解を求めがち。これでは理解のための時間は皆無です。

でも、良いものとは何か、良い芸術、文章、科学とはどうあるべきかについての見識を育てる時間を取らない限り、いつまでも抜け出せません。知恵を導いたり育てたりするチャンスは、どこにもありません。

今の自分をつくり上げたもの、すなわち自分自身を追体験する

Popovaさんが言うように、知識と知恵の違いは、周囲の世界に対する倫理的な理解にあります。つまり知恵とは、物事がどうあるべきかという信念に基づくものなのです。

私たちの人生におけるこのような信念、つまり世界観は、教師、親、友達、ストーリーによってつくられます。倫理のコンパスをリセットするには、そもそも倫理が形成された瞬間に立ち戻ってみてはいかがでしょうか。

ライターのRyan Holiday氏とTyler Cowen氏は、「心が震える本」、すなわち読者の世界観に影響を与える本について語っています。きっと誰にでも、世界観を変えた本や映画、コンテンツが1つはあるでしょう。私の場合、最新のものではPatti Smithの自伝『Just Kids』と、その作品における愛、友情、支え、芸術家への道の描写がそれに当たります。

知恵を育むには、「理解すること」を理解しなければなりません。エマーソンは言いました。

知識とは、自分には知ることができないと知ることだ。

人生を変えた本を、もう一度読み直してください。あなたの世界観を築いた映画を見直してください。表面的なものを乗り越えるキッカケとなった人にもう一度連絡をしてみてください。自分の倫理のコンパスを向けるべき方向性は、経験を通して知るしかないのです。

優れた語り手になる

Maria Popovaさんは言います。

情報がどんどん安くなり、知恵がどんどん高くなるこの時代。このギャップにこそ、現代の語り手の価値が生きるのです。

ジャーナリスト、編集者、映画製作者、キュレーターなどの職業を問わず、優れた語り手とは、「世界で何が大切なのかを見つけるだけでなく、それが大切な理由を見つけられる人」というのがPopovaさんの意見です。

知恵への道のりにおいて、優れた語り手とは、世界のあるべき姿に対する自分なりの倫理的理解を事実や数値と組み合わせ、単なる情報の移動を、それを超越したレベルへと進められる人を意味します。

ストーリーの語り方を学ぶには、たとえ個人的な内容でも、知識のドットをつなげる必要があります。すべてのクリエイターにとって究極の質問である「なぜ?」に答えるために。

常に深くのめり込む

本は過去へのリンクです。ローマの哲学者セネカはこう説明しています。

せっかく自然がどんな時代にも参加することを許してくれるのですから、このちっぽけではかない時間など放棄して、膨大で永遠なる過去に全精神を捧げ、すぐれた人々とともに過ごしてどこがいけないでしょう?

何かに深くのめり込む時間を定期的に確保しましょう。1日に1時間から2時間、読書、探求、あるいはセネカの言うところの「どんな時代にも参加する時間」を確保すれば、より良い理解が得られるだけでなく、あなたなりの見識を育むことができるでしょう。

興味深い本を選んで買うようにしましょう。消費するべき有意義なものがないという言い訳をしないようなコレクションを築くのです。そして、消費するときは、目的を持って消費してください。

あなたの心に語り掛ける作家を見つけてください。そして、その一語一語を理解してください。深くのめり込み、何が彼らを動かしているのかを理解してください。彼らの世界観をつくった作品を見つけてください。そして、ウサギの穴にまでついて行くのです。

未知の体験に身を任せる

他人に苛立ちを感じた時は、自分について知るいい機会である。― カール・ユング

理解の深い人生と知恵の追求が難しいのは、自分の信念だけでなく、非常にコアな価値観に対して柔軟にならなければならないからです。

凝り固まった考え方では、成長の余地がありません。与えられた空間に合わせて成長する金魚のように、私たちの理解は空間を与えてこそ成長するのです。

Maria Popovaさんは、過去7年に学んだ7つの教訓の1つとして、こう述べています。

シンプルに「わからない」と言うことは、極端に方向感覚を失わせます。しかし、正しくあることよりも理解することのほうが、比べものにならないほど有意義です。たとえそれが、話題、イデオロギー、あなた自身に対する気持ちの変化を意味するとしても。

ロマン派詩人のジョン・キーツは、「消極的受容力」というアイデアを提唱しました。不確実なものを受け入れ、未知のものと共存し、曖昧さとうまくやっていく意思を意味します。

このレベルの寛容さを持つことで、点を見るだけでなく、一見存在しないような点と点のつながりを発見できるようになります。不毛な土地で栽培することでしか得られない、啓発的なアイデアが見えるようになります。未知の種を植え、適切な栽培と世話によって何が生まれるのかを見るのです。

マルクス・アウレリウスは『自省録』でこう述べています。

もし私に異議を唱えられるものがいるなら、すなわち私がミスを犯し、謝った視点で物事を見ていることを示せるのなら、私は喜んで変わるだろう。それこそが私の追求する真実であり、誰にも害を与えない真実だ。私たちを害するのは、自己欺瞞と無知への固執である。

真実を追求するなら、情報から意見を形成するだけでなく、自分自身と周囲の人の人生を豊かにする方法を見つけてください。望む望まないにかかわらず、誰もが模範を示しているのです。

人生は長い。その使い方を知っていれば。

私はかつて、このセネカの言葉を引用するのが嫌いでした。自分がその真意を理解できていない気がしていたからです。でも今なら、理解に近づいていると思えます。

情報を知っているだけでは不十分です。私たちは、知識を使って何かをしなければなりません。実践が必要です。応用するのです。賢くなるために。くだらない意見や決まり文句の空回りから脱出し、より良いマシンを築きましょう。

でもそれは、目標に専念することでしか生まれません。自分の心を、コンフォートゾーンから押し出すのです。

経験が未来の自分をつくります。つまり、人生に取り込むものを自ら選び、編集することでしか、継続的な成長へと自分を導くことはできないのです。何もしないでいたり、「難しすぎる」仕事を無視しては、振り出しに戻るしかありません。

How to find wisdom in the age of information | Crew

Image: Gearstd/Shutterstock