クラ選では決勝で惜しくも鳥栖U-15に敗れ、準優勝に終わった柏U-15。写真:松尾祐希

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 スコアは1-2。柏レイソルU-15は船山貴之(現・ジェフ千葉)らを擁した2002年大会以来の優勝まで、あと一歩及ばなかった。
 
 サガン鳥栖U-15の初制覇で幕を閉じた第32回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会。歓喜に沸く鳥栖イレブンの傍らで、ピッチをじっと見つめるひとりの青年監督がいた。
 
「現役時代は勝ちたいと思っていたけど、いまはチームを勝たせたいと思っていた。その任務を遂行できなくて、あらためて自分の力の無さを痛感した」
 
 柏を10年ぶりの準優勝に導いた飯塚浩一郎監督である。柏の下部組織出身の27歳は、かつてチャンピオンズ・リーグ予備予選に出場した経歴を持つ異色の人物だ。
 
 中学1年生から高校3年生までは柏で研鑽を積んだ。とりわけユースチーム時代には、吉田達磨監督(現・ヴァンフォーレ甲府監督)の下、黄金世代の一員となり、現日本代表の酒井宏樹(現・マルセイユ)、元日本代表の工藤壮人(現・サンフレッチェ広島)、スペインでもプレーした指宿洋史(現・千葉)、ファジアーノ岡山などでも活躍した仙石廉(現・栃木SC)らと青春を謳歌した。
 
「吉田さんを筆頭に、同級生の酒井、工藤、指宿、仙石とかみんなすごくサッカーに熱い。熱すぎる連中でした。その影響もあって柏にいた時から海外のサッカーが良いなと感じていて、そこに触れたいと思ったんです」
 
 高校卒業後、トップチームへの昇格は見送られた飯塚は、立命館大へ進学する。そこではレギュラーの座を掴めなかったが、古都で新たな友と出会う。現在、ブルガリアでプレーする加藤恒平(PFCベロエ)。春先の日本代表戦でサプライズ招集されたMFだ。「本当に熱くて、良い男です」評する天然サッカー小僧と同じチームで切磋琢磨し、やがて「海外で勝負をしたい」という気持ちになったという。
 
「加藤の家だけはWOWOWやスカパーに入っていたんです。なので、彼の家に夜中の3時ぐらいに行ってクラシコや、バルサとビジャレアルの試合を観たりした。夜な夜なサッカーを観るために、加藤が家のカギは開けといてくれて、彼が寝ていてもテレビを付けていたぐらいで(笑)」
 
 海外への想いが沸点に達した飯塚は卒業後、海を渡ると決断する。アルゼンチンへのサッカー留学だ。さまざまな困難に直面するも乗り越え、2013年3月にはラトビア1部のFCダウガバと初のプロ契約を締結。そこでチャンピオンズ・リーグ予備予選などにも出場し、日本代表選手であっても容易くは味わえない貴重な経験を積んだ。
 
 その後ブルガリアなどでプレーしていた彼に転機が訪れる。2014年、24歳の夏だ。次の所属先が見つかるまでの間、古巣の柏で身体を動かすこととなった。そこで衝撃を受けるのだ。
 
「酒井直樹さん(現・日体大柏高監督)が当時U-15の監督をやっていた。そこに混ぜてもらって一緒に練習をしたんですが、これは無理だなと。本当に若くて才能を持った選手がたくさんいた。そんな彼らが恵まれた環境で日々過ごしていることを考えたら、24歳の僕が上を目ざして勝負しても飛躍するのは難しいなと感じた」
 
 そして飯塚は、現役を退き、指導者の道に進もうと決意する。
 
「元々指導者をやりたかったので、ここからの10年は指導者にかけようと思ったんです」
 
 2014年の夏から柏でU-15、翌年にはU-18でアシスタントコーチを務め、16年にはU-15のコーチを歴任する。今年からは引退のきっかけとなったU-15 で指揮を執り始めた。そして、就任1年目の夏。見事にクラ選U-15で準優勝を果たし、上々のスタートを切ったのである。
 
「こんなに素晴らしい場所でやらせてもらって良かった。本当に相手は強かったし、僕らのいまの現在地がよく分かりました」(飯塚監督)
 
 新米監督のチャレンジは終わらない。トップで通用する選手を育てるその日まで──。選手たち正面から向き合い、恩師や戦友たちから得た“熱”を今度は子どもたちに伝えていく。
 
取材・文:松尾祐希(サッカーライター)