愛を信じられる人っていいなぁとよく思う。

わたしは自分の愛を信じたことがない(肉親や親友への愛はある)。それは恋人を信じられないという意味ではなく、また「愛する人に出会ったことがない」というロマンチックに見せかけた他力本願な話でもなく、おそらく未だ愛において自分自身を信じることができないのだと思う。  
自分の気持ちが移ろいやすいこと、自分の人生に起伏があること、そういういろいろなことを少ないながらも体験して積み重ねてきてしまった頃に、浮気話や不倫話、離婚話を聞き、さらには世の中でもそのようなニュースが流れているのだから「やっぱりか」などと思わずにはいられない。みんなに憧れられていたカップルも破局した。理由は男側の浮気だという。あんなにSNSで幸せアピールしていたのに。あんなにふたりは仲よさそうに微笑み合っていたのに。人の心はやはり見えないものなのだ。  
だけれど、浮気も不倫も、きっと最初から愛を偽っていたわけではない。嘘をついているのではなく、移ろってしまうのだろう。  
この考えが他の人とどのくらいリンクするものなのかはわからない。もしかしたらまだ未熟なわたし特有のそれなのかもしれないけれど、等身大の考え方を吐露すればこんな感じだろう。とはいえ、もちろんいつかは愛を信じられる人間になりたい。自分の愛を自分できちんと認識できる。それを怖がらない人間になりたいと願っている。 
そんなわたしをいい意味で憂鬱にし、愛について再び考えさせてくれた映画が『ブルーバレンタイン』だ。 




出典:https://www.amazon.co.jp/

 
出演: ライアン・ゴズリング, ミシェル・ウィリアムズ 監督: ニコラス・ウィンディング・レフン販売元: バップ

『ラ・ラ・ランド』にも出演していたライアン・ゴズリング主演の映画。「愛を知る誰もが経験のある、しかし誰も観たことのないラブストーリー」というコピーが書かれている。 
結婚して7年経った夫婦の、過去と今を描いた映画だ。うまくいっていない不穏な結婚生活の様子と、ふたりが出会い愛し合い輝いていた過去の映像が交互に映し出される。  
出会った頃、あれだけ好きで仕方なかった恋人は、7年後にはだらしない旦那となり、女として求められても受け付けられないレベルにまで進行している。 
痛々しいのは、「男のほうが女よりもロマンチックだ」という考えを持つ旦那が、冷めきった夫婦生活を盛り上げようと空回りするシーンだ。子どもを預けて、ラブホテルに行こうと誘う。そこで結婚前に自分が作った「彼女のための曲」を流したり、ロマンチックなムードを作ろうと奮闘する。 
あの頃と同じように。 
彼が願うのはその一点だが、彼女はもう「あの頃」とは違う場所まで来てしまっているのだ。もう、とっくの昔に。  
*  
現実をここまでもしっかりと描いた映画を、わたしは知らない。観客に媚びないこのストーリーは、監督自身が20歳の頃に両親が離婚したことをキッカケに作られたものだという。 
映画を観ていても、決定的な「なにか」は起こらない。たとえばどちらかが浮気をしたとか、どちらかが急に生活の何もかもが変わるような人生の転換期を迎えたとか。そういう決定打は、なにも起こらない。 
けれど、静かに終わっていく。足掻いても、離れたものはもう取り戻すこともできず、ふたりは静かに戻れないところまで遠のいていくのだ。  
恋のはじまりが理屈で説明できないように、終わりもきっと理屈ではないのだろう。理屈がある終わりを迎えられたら幸せなほう。わたしたちはしばしば理屈なき終わりに苦しまされるのだから。  
観客であるわたしたちは、決定打がないにもかかわらず、ふたりがもう戻ることはできないのだということが痛いほどにわかる。「知っている」という感覚。だからここまで胸に迫るのだろう。  
*  
いったい何がふたりをここまで離してしまったのか、強いて言うなればきっと彼が「変わらなかったこと」なのだろうと思う。または彼女が「変わったこと」、いや、そのどちらともだろう。 
彼は、愛を信じて結婚して、そこから全く変わらなかった。陽気で、マイペース。お互いが全く変わらずにいられたなら、いつまでもふたりは愛し合えたかもしれないが、どちらか一方だけが前に進み、どちらか一方だけが同じ場所に留まっていては当然ふたりの距離は離れていく。
違う人間がふたりで一緒に居続けるのはこうも難しいものか、と思い知る。  
時の変化とともに相手が変わることを許容できなくなったり、あるいは時の変化があるにもかかわらず相手が変わらなさすぎて許容できなくなったり。  
「結婚はゴールじゃない」とはよく聞く言葉だが、この映画はまさにそれを痛感する。結婚したからといって、ふたりの愛が変わらないわけではないのだ。誓いを立てても、誓いは変化を止めるものではないのだから。 
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終わり方は憂鬱そのものだけれど、彼らにとって終わりが不幸かどうかがわからないところも、またこの映画の深みを作り上げている。ふたりの愛が続かないことは、果たして不幸なのか…。 
まだ結婚をしていないわたしがこの映画から学んだことがあるとすれば、「愛は必ず冷めてしまう」ではなく、「愛は存在し続けるものではない」ということだろうか。  
愛はそこにあり続けるものじゃなくて、まさに「育む」ものであり、互いに世話を怠っているときっと枯れてしまうのだろう。  
まだ相手がいないからこそ、今観ておいて良かったと思える映画だった。今のうちに、まだ手遅れになる前に。  
観るタイミングによってはかなり落ち込む可能性もあるので、観るタイミングにはどうぞお気をつけて。とにかく救いようのないリアリティのある映画なので、結婚に途方もない夢を見ていたり、「わたしは愛を信じられる」と迷うことなく言えたりする人にはただただ苦痛な映画かもしれない。観るなら、昼間がおすすめですよ。  
最後にひとつだけ。
作中で主人公の祖母が言うセリフを未だ消化しきれずにいる。これがどういう意味を持つのか、わたしはゆっくり噛みしめる必要があるだろう。 
「よく選ぶのよ。恋に落ちる相手が、あなたにふさわしいか」。

●さえり●
 90年生まれ。書籍・Webでの編集経験を経て、現在フリーライターとして活動中。 人の心の動きを描きだすことと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。 Twitter:@N908Sa (さえりさん) と @saeligood(さえりぐ)