おひとり様の会社員が、40歳で都心に「7坪ハウス」を建ててみた。

「東京で家モチ女子になる」という無謀な企てを実現しようとして身に起きた出来事を、洗いざらい綴ってきたこの連載。

「家を持つぞ!」と決めてからすったもんだあって、いよいよ着工!となったものの、やっぱりそうスムーズに事は進まないのでした。家モチ女子の前に立ちはだかった最後のハードルとは?

地鎮祭、面倒くさい…

一戸建てを建てる過程には、「地鎮祭」や「上棟式」「新築祝い」など、いくつかやるべき行事がある。マンションや建売住宅にはない独特の習慣だ。家を建てた方の体験談を読むと、律儀に実践している人が多いのに驚いた。私はできるならすべてを省略したかった。大勢を招いてもてなすことに不慣れなのと、オンナひとりで対応しなくてはいけないことが重荷だったのだ。

コーディネーターのMさんや建築家に相談すると、「工事の安全を祈願する地鎮祭はやったほうがいいけれど、その他は省く人も増えている」とのこと。地鎮祭について調べてみると、神主への依頼をはじめ、お供えもの(米や酒、海の幸、山の幸、野の幸、塩など)や祭壇など、準備する物ややるべき事が結構ある。なかなか大掛かりなイベントに、好奇心よりも面倒くさい気持ちのほうが勝っていく。

ところが、憂鬱な気持ちはあっけなく解消する。地鎮祭の1週間前、初めてO工務店と挨拶を交わしたのだが、希望があれば神主の手配から、お供えものの準備、当日の祭壇づくりまで、すべて工務店が仕切ってくれるというのだ。しかも実費の支払いだけで、労働はサービス。

私は神主への初穂料(謝礼)や昼食、ご近所への土産物などを準備すればよいとのこと。もちろん、速攻でお願いしたのは言うまでもない。これが一般的なやり方なのかどうかはわからないが、私のような性格(面倒くさがり)や境遇(オンナひとり)の人間には、とても助かる申し出だった。

2012年1月29日、我が家の地鎮祭が行なわれた。祭壇が設けられ、10人も整列したらいっぱいになる狭い土地で、神主が祝詞を読み上げ、建築家と鍬入れをし、参列者全員が玉串奉天を行ない、儀式は30分程度で終了した。その後のご近所への挨拶回りも、工事現場の総監督である工務店が先頭に立ち、Mさんや建築家も同行してくれた。どんなに心強かったかは、説明するまでもないだろう。

地鎮祭が終わり、いよいよ着工となったものの……

土台ができてくると、「7坪」の狭さが気になり始めた塚本さん

一体いつになったら着工するわけ?

地鎮祭後、すぐに工事に着手する予定だったが、思いがけないトラブルが発生する。なんと、お隣の家の壁(トタン)が我が家の土地まで越境していて足場が確保できないため、設計図通りの建物が建てられないというのだ。そんな話があるのだろうか? 

「えー、それって私ではなく、お隣が対処するべきことなのでは?」と思うのは当然のことだ。しかし、なぜかMさんはお隣への交渉の前に、建築家と変更案を相談していた。お隣が80歳を超えるおばあちゃんのひとり暮らであることが影響していたのはわかるが、やはり私の怒りはMさんへと向いてしまった。

結果的には、一部浮いているトタンを張り替えることと、配管を通す場所を移動することで、建物自体の設計の変更は免れた。とはいえ、そのせいで行政の建築確認に時間がかかり、さらには悪天候が続いたこともあって、着工は遅れていた。毎朝、自転車で我が家の前を通っては「まだ着工していない……」とガックリしながら会社に向かうのが習慣になってしまった。

1ヵ月半後の3月のある日、会社帰りに立ち寄ってみると朝にはなかった木枠(きわく)が土地いっぱいに組まれていた。その後は、順調に進み建築家からはそのつど、「基礎が完了しました」「上棟の確認をしてきました」と報告メールが届いた。

もちろん、私も自分の目で確認はしていた。ところが、ワクワクするどころか、工事が進むたびに不安な気持ちが大きくなっていく。土地いっぱいの木枠から、半地下部分を掘ってコンクリートを流し込んだ家の実寸の基礎が完了。さらに柱が立っていくごとに、どんどん我が家の狭さが如実になっていったからだ。

だんだんと形になっていく3階のロフト部分

どんどん狭くなっていく我が家

棟上げが済み、屋根がつき、外壁や各階の床が貼られ、少しずつそれぞれのスペースが形づくられていく。1週間に1度は現場ミーティングがあり、できあがっていく我が家を逐一見ることができた。不思議なのだが、建築中はどうも自分の家という実感が持てず、勝手に中に入るのはもちろん、ミーティングの際にも「おじゃまします」と人の家に入る感覚だった。

さて、問題の「狭さ」だが、外壁が貼られた段階で、もはや不安な気持ちを心に留めておくことができなくなった。建築家に尋ねる。

「この後、断熱材が入るんですよね?」

「はい」

「ということは、もっと壁や天井が迫ってくるんですか?」

「そうなりますね」

「狭くないですか?」

「大丈夫です」

次のミーティングに行くと、断熱材が貼られている。窓部分が塞がれていて暗いせいか、より狭さが強調される。今さらどうしようもないことだし、断熱材を入れないわけにはいかないのだが、建築家に確認せずにはいられない。

「この後、まだ壁や天井が貼られるんですよね?」

「はい、内壁を貼ります」

「じゃあ、さらに壁や天井が押し迫ってくるんですよね?」

「はい」

「ちゃんと生活できますか? こんな狭くて」

「壁を塗れば大丈夫です。安心してください」

ダイニングスペースとして家の中心となる2階部分。その仕上がりは……?

不安が解消されるどころか、ミーティングを重ねるたびに壁や天井が近づいてくる。暗いし、狭いし、私が最初にあげた「開放感があって、明るくて、風通しのよい家」という要望は一体どこにいってしまったのか? 設計期間中、ことあるごとに感心させられた建築家のヒアリング力は、果たして過大評価だったのか?

そんな私の不安など関係なく、壁の色や床の色、最終的なコンセントの位置、トイレットペーパーホルダーをつける場所など、全体的な部分から細かな部分まで、さまざまな最終確認をしながら、内装が整えられていった。

そして、建築家の言葉通り、ミラクルは最後の最後に用意されていた。

(塚本佳子)

みなさま、ご愛読ありがとうございます。次回がいよいよ最終回です。