京都の街角を歩くとばったり出会う、古い町家の並ぶ風景。家の中に入れる機会はそうそうありませんが、今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、著者で京の都に造詣が深い英学(はなぶさ がく)さんが、この京町家の詳しい解説と全貌を紹介しています。秋からの京都旅行を計画している方は必見ですよ。

京町家の謎と魅力

京都の街を歩くと、趣き深い町家の風景に出会うことができます。細長い敷地に建てられた京町家は「うなぎの寝床」と呼ばれます。玄関の間口部分が狭く奥行きが縦長で深い造りが特徴です。今回はこの京町家についてご案内します。

桓武天皇が京都に都を移し条坊制という中国の長安の都をモデルにした碁盤の目の都市を造りました。町家の成り立ちは、この平安京の碁盤の目に関係しているようです。

平安京が造営されて都が栄えるようになると交易が盛んになり人も増えます。人口が増加すると、限られた狭い空間をできるだけ活用しようと考えます。その結果、通りに面して狭い入り口の家、主に商家が町に立ち並ぶようになりはじめました。また、通りに面して並ぶ店の数を増やして町並みに賑わいを持たせるようにしたのではないかとも伝えられています。

江戸時代になるとそれだけではなく家屋に課せらる税金にも関係していたようです。江戸時代の京都では、家の間口の広さで税金を決めていました。これは「間口税」といわれるものです。家の間口3間(約5.4m)ごとに税金をかけたそうです。そのため大店で店を営んでいた豪商などは節税対策として売り上げに対して間口を極端に狭くしたのです。そしてその分奥行きの長い家を建てるようになったといわれています。

この夏私は初めて京町家のお宅にお邪魔する機会がありました。祇園祭中に祭りの中心である鉾町にある一等地のお宅です。築150年ほどで代々伝わる屏風の数々は300年以上前のもので狩野派の作品でした。かつては呉服商を営んでいたという筋金入りの京町家でした。

玄関を上がると数十畳という部屋が4つか5つ縦に並んでいて、途中坪庭もありました。その両脇に屏風が飾られていました(祇園祭期間中なのでいわゆる屏風祭)。そのまた奥に縦長の庭がありました。遠くに見える木が生い茂った辺りまでが敷地だと説明を受けましたが、相当奥まで続いているのでびっくりしました。

町家は職住一体を基本としています。通りに面する内部は商いの場で、その奥が住まいの場です。この2つのスペースは機能的に区別されていて、玄関から奥に行くほどプライベートな空間になっています。このような庶民の家屋の建築様式は室町時代以降主に商家の家に多くみられました。

間取りは時代と共に変化していったと思われますが、基本的な様式が決まっています。多くは「通り庭」と呼ばれる細長い土間が間口から奥に向かって一直線に伸びています。それに沿うように「店の間」「台所」「奥の間」の3室が一列に並んでいるのが基本的な様式です。店の間と台所の間や台所と奥の間の間などには光や風を通すために「坪庭」が設けられていたりします。

また、表玄関から裏口へと通じる「通り庭」と呼ばれるものを設け、風の通り路を作り京都の酷暑をしのぐ工夫がされたりしています。この庭に打ち水をすれば部屋に風を呼び込むことも出来ます。建具や調度品などは住む人の美意識などにもよりますが、多くは先人の暮らしの知恵が盛り込まれたものです。

通りに面した間口の部分を見ていても中の様子は分かりませんが、実は中から外は丸見えです。これは町家の特徴の一つである「格子」の機能です。雨の跳ね返りから家の壁を護る「犬矢来(いぬやらい)」や、折りたたみ式の「ばったり床机(しょうぎ)」なども町家の特徴です。いずれも機能性に富んでいて見た目にも美しさを感じるものばかりです。「うなぎの寝床」はこれらすべての特徴を併せ持つ町家の特徴を示しています。

最近は、古い京町家を改装した飲食店なども多いので、京都に実際に訪れて京の居住文化に触れるのも楽しみ方のひとつだと思います。

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

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出典元:まぐまぐニュース!