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音楽は一回性の芸術。人生の在り方と同じ


『フジロックフェスティバル ’17』の初日、グリーンステージのトップを飾ったグループ魂の港カヲル(46歳)は開口一番「女はフジロックである」(なぜなら、なかなかヤラせてくれないなら)と言ったが、フジロック準皆勤賞(1997年の初年度は極貧だったためチケットを買えず。1998年以降は、妻が妊娠しているときも親が入院してるときもすべて参加)の筆者は「人生はフジロックである」と言いたい。


「こうしたい、ああしたい」と理想を掲げても思うようにはいかず、雨の日もあれば晴れの日もあり、素晴らしい出会いがあるかと思えば、落胆することもある。音楽はそもそも一回性(=一回起こっただけで、同じことが再び起こることはない)の芸術であるが、それは人生の在り方とまったく同じであり、その事実をもっとも強く体験できるのがフジロックなのだ。


「何のこっちゃ」と思ったあなた、安心してください。今からそれを“一線で活躍中のキャリアのあるライター=フジロックマスター”(※編集部からの依頼メールにあった私の立ち位置)である筆者が説明しよう。


何をやっても自由だけど、できるだけ自分でやってね


フジロックの最大の特徴は「3日間、どう過ごしてもいい」という圧倒的な自由さにある。場内には大小10以上のステージが設置され、同時進行でライブが行われる。音楽フェスが浸透した現在では当たり前のシステムだが、フジロックがスタートした1997年当時、この国にそんな楽しみ方ができるイベントは他になく(フジロックはイギリスのロックフェス『グラストンベリー・フェスティバル』をモデルにしている)、来場者がどのステージを選んでもいいということ自体がめちゃくちゃ画期的だったのだ。


さらにフジロックの会場には「こちらがグリーンステージです」「あちらがレッドマーキーです」みたいなこと説明している係の人は皆無だし、場内アナウンスもほとんどない。入門ゲートで渡されるマップ、またはWEBサイトでダウンロードできるアプリなどを見て移動するのだが、“何をやっても自由だけど、できるだけ自分でやってね”というスタンスが筆者にはとても心地良いのだ(フジロックが始まったばかりの頃は“不親切”“場所がわからない”という文句も耳にしていたが、そのたびに筆者は「そのへんの人に聞けばいいじゃん。アホか」と思っていた)。


前置きが長くなってしまったが、「どこに行って、何をしてもいい」「ただし、すべて自分の責任であり、もし失敗しても時間は元に戻せない」という状況はまさに我々の人生そのものではないか。おまけにフジロックでは、世界中から集まった素晴らしいミュージシャンと遭遇できる可能性があるのだ。嗚呼、素晴らしきかな、フジロック人生。



人生後半戦、せめてフジロックに来たときくらい、気の赴くまま生きたい


筆者はフジロックに行くと、まず定宿から苗場の景色を眺める。目の前には美しい緑(晴れていれば)。鳥のさえずりに耳を傾けながら「さて、今日はどんなふうに過ごそうか」とぼんやり考えるのだ。タイムスケジュールを見ていると「あれも観たい、これも観たい」という誘惑にかられるが、ガツガツとライブを観まくる年齢はとっくに過ぎ、今は「必ず観たい」というアーティストをひとつかふたつに絞っている。


朝から晩までガチガチに決め込んでしまうとスケジュールに追われてしまい、日々の仕事と変わらなくなってしまうからだ。人生は1回きり。人生後半戦、せめてフジロックに来たときくらい、気の赴くまま生きたいではないか。ちょっとくらい準備が足りなくても全然大丈夫。場内には生活するために必要なもの(食料、水、トイレなど)が用意されているのはもちろん、ATMやマッサージ屋まであるのだ。だいぶ並ばなくちゃいけないけど。



どんなことが想い出に残ってるかは、一人ひとり違っていて当たり前


初日は大好きなグループ魂を観たあと(大舞台に強い、ボーカル・破壊こと阿部サダヲが大暴走! ギター・暴動こと宮藤官九郎が「今日はいちだんとヒドイね!」というシモネタ炸裂で最高だった。“フジロックだから”と気合いが入っていると、時々とんでもないことが起きる)、まずはドラゴンドラに乗って山頂に。


ここで何をするかというと、もちろん何もしない。パンダさん、タヌキさん、カラスさん(の着ぐるみを着た人)が子供たちと戯れているのを眺めながら、この1年をぼんやり振り返るだけ。山の上なので良い具合に酸素が薄く、頭をボーッとさせるには最適である。ケータイの電波が繋がりづらいのも素晴らしい。


そして、地上に降り、この日最初のビールを飲んでいると(フジロックでビールを買うならハイネケンのオフィシャルブースに限ります。紙コップの縁ギリギリまで注いでくれるから。その他のお店で購入するときは“これ、軽いわ。もうちょっと入れて”と言わねばならない)、グリーンステージから加山雄三の歌声が聴こえてくる。


THE XX、GORILLAZも驚くほど質の高いライブを観せてくれたが、この日、いちばん印象に残っているのは加山雄三の「君といつまでも」かもしれない。人生いろいろ、フジロックもいろいろ。何に心を打たれたか、どんなことが想い出に残ってるかは、一人ひとり違っていて当たり前なのだ(なので、“今年のフジロックの傾向”とか“総括的なレポート”は意味がないと思ってます、私見ですが)。


“まったく先入観を持たずにライブを体験できる”という、今となっては貴重な場


まったくノーマークだったアーティストとばったり運命的に出会ってしまうのもフジロックの楽しさである。今年で言えば、2日目のレッドマーキーで観たDay Waveがそうだった。


この日は朝から雨が降っていて、前日の疲れも残っていたので午前中は宿で休んでいたのだが、昼過ぎにOASISエリアでもち豚串の列に並んでいると、The Smithsをブライトにしたような超カッコ良い曲が聴こえてきた。その磁力の強さに誘われるままレッドマーキーの後方に向かい、椅子に座って最後まで鑑賞。


独特の揺れを感じさせるサウンドも良いが、何よりもメランコリックなメロディが素晴らしい。後で調べてみると、Day Waveはカリフォルニア出身のシンガーソングライター、ジャクソン・フィリップスのソロプロジェクトで、今年のフジロックが初来日。一線で活躍中のキャリアのあるライターである筆者、不覚ながらまったく知らなかった。


しかし、この素敵な出会いこそがフジロックなのだ。我々は普段ライブに行くとき、そのアーティストがどんな音楽をやっているのかよくわかっているわけだが、ライブ中、ともすればすでに知っている情報を確認するような感覚になってしまう。フジロックは“まったく先入観を持たずにライブを体験できる”という、今となっては貴重な場としても機能しているのだ。「あのね、全然知らない人だったんだけど、なんだか相性が良くて離れられなくなっちゃったの」……みたいなことも、人生の醍醐味である。



フジロックマスターは大忙し(!?)今までにないあらたなミッション発生


さて、今年のフジロックで筆者は、ひとつの大事なミッションを課せられていた。それは“初めてフジロックに参加する知り合いの女性とその息子(中2)を案内する”ということ。フジロックマスターともなると、いろいろな仕事が舞い込んでくるものだが、これはさすがに初めてだった。


その親子は知り合いがフジロックに出演するので、そのライブを観に来るのだという。そのバンドとは「太陽肛門スパパパーン」。出演は3日目のオレンジカフェ、時間は17時だ。YUKIやBONOBOやGRAPEVINEがやってる時間にどうしてそんなものを観なくちゃいけないのか……なんて無粋なことはまったく考えず、喜々として案内役をつとめる。


まずはフィールド・オブ・ヘブンでLOVE PSYCHEDELICOを仲良く鑑賞。「このボーカルの人、帰国子女?」「そうだよ」などと偉そうにレクチャーしつつ、焼き立てのピザ(1枚1,500円×2枚。めちゃ美味い)を30分並んで買ってくる健気なフジロックマスターである。


そして、件の「太陽肛門スパパパーン」だが、これが思いのほか(失礼)良かった。バンドはプログレとシティポップと歌謡曲を混ぜ合わせた楽曲を演奏、さらにアングラ劇団による政治色の強い演劇が繰り広げられるステージは、このバンドのコアなファンだけではなく、たまたまその場に居合わせた観客も釘付けにしていた。知り合い女性と息子くんも満足そうで何より。


自分が観たいものを観ず、人のために骨を折ってこそ大人というもの。人生は甘くない。そして、人の役に立とうと行動することで、新しい扉が開くのも、また人生だ。



感じ方は千差万別で当然。それぞれのフジロック


2017年のフジロック、筆者が観た最後のアクトはビョーク。10人編成のストリングスを率いたビョークのライブは、数百年続くクラシック音楽と最新鋭のエレクトロを自然につなぎ合わせた素晴らしい内容だった。


360度映像のプロモーションビデオ、美しい衣装、前衛舞踏のような動き、そして、神がかっているとしか言いようがない歌。自らの声、体、精神のすべてを使って、この場所、この時にしか実現できない表現を真摯に追求する彼女の姿勢を目の当たりにし、心底感動してしまった。


音楽も人生も1回きり。そうやって生命を繋げることだけが我々が存在している意味なのだと、この人は骨の髄までわかっている──と勝手に共感してしまったのだと思う。


例の息子くんは“意味がわからない”と言いたげにアウトドア用の椅子に座ってスマホを眺めていたが、もちろん、それもまた良し。感じ方は千差万別で当然なのだ。


すでに『フジロックフェスティバル ’18』の開催も決定しているが、生きていれば、筆者はもちろん行く。自分の感覚と価値観に従いながら、周りの評価に惑わされず、やりたいことをやり、そのすべてに責任を取る。そんな理想の人生を筆者は、フジロックで毎年のように疑似的に体験しているのだと思う、大げさではなく。


TEXT & PHOTO BY 森 朋之