医療画像の読み解きに人間は不要になるかもしれない。


 AIは人間の仕事を奪わない。逆に、新たな職種を生み出したり、既存の仕事の内容を、進化させたりするだろう。

 AIの導入が進めば進むほど、個々のお客さまの気持ちの変化に寄り添い、お客さまの体験が豊かになる方向で企業(や病院などの公共サービス機関)が提供する商品やサービスの内容を最適化(デザイン)する目配りや気配りが、企業間競争の最強の差別化ドライバーとして注目されるはずである。

 AIの導入により、「医療の現場」で起きるドラスティックな変化を例に取って、来るべき未来予想図を検証したい。

[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

『白い巨塔』で描かれるアナログな医療の現場

「さすがに君だ、たった2枚のフィルムで、こんな早期の癌を発見できるとは、君の読影力の高さには頭が下がるよ」

 素直に感服すると、財前の顔に得意げな笑いがうかんだ。

「うん、まあ、これが僕の誇るに足るところだ、噴門癌の微妙な陰影の読影は、いうなれば科学ではなく、一種の芸術なんだよ、どこがどうだとか、どういう陰影はどう読影するかなどという定義は、あってないようなもので、何回も自分の目で見ているうちに会得し、解って来るものだよ、但し、それにはもちろん、非常に優れた勘と鋭い洞察力が必要だがね」

(『白い巨塔』第2巻 新潮社 山崎豊子1965年)
 

『白い巨塔』で描かれる財前教授と里見助教授のこのやり取りは、最先端の大学病院で勤務する医師にとってさえ、レントゲン写真の読影が科学ではなく芸術の領域のスキルであることを如実に語っている。

 この小説が出版されてから約50年。日本はX線CT装置の保有台数では世界一を誇る医療画像大国になった。しかし、その読影を担う病理医や放射線専門医の数は米国などに比べて圧倒的に少ないことも相まって、デジタルの画像解析技術を使った読影が劇的に進化を遂げたというわけではない。

 この、言わばアナログな医療の現場を刷新しようという試みが、世界で始まっている。それは、AIを用いた画像診断支援システムで、読影専門医も見逃す小病変を判定しようとするものだ。

 そしてこの試みは、レントゲン写真という画像データに代表される非構造化データから概念や対象物をディープラーニング(深層学習)によって自動抽出する能力を高めていくことを意味する。

AIやIoT導入で進化する医療現場

 グーグル傘下のDeepMind社はロンドンの3つの病院の160万人の患者の過去5年分のデータを利用して、医療現場で役立つAIの開発研究を行っていることを発表した(2016年4月)。AIを用いた画像診断支援システムの開発も含まれると言われている。

 日本では、東京大学の研究者たちが2014年に立ち上げたベンチャー企業エルピクセル(東京都文京区)が、この分野の研究開発を積極的に進めている。

 読影専門医でも判断が難しい症例や病理医・読影医のいない病院でも画像データを送れば、AIが解析した判定結果が返送される仕組みを構築しようとしている。

 実用化にはまだしばらく時間がかかるかもしれないが、読影の精度と処理能力とを兼ね備えた「スーパー財前教授」の役割を担うAIが誕生することは間違いがないだろう。

 レントゲン写真の読影以外にも、AIやIoTを活用して医療現場を効率化しようという動きがある。

 例えば、日立製作所が行っている医療コンサルティング事業では、医師や看護師などの名札にセンサーを取り付け、病院内での歩数や動線を解析する取り組みを行っている。

 医師や看護師の不必要な動きを把握するだけでなく、各病院の実態に応じた効率的な勤務シフトなどを提案し、労働生産性の向上や働き方改革に繋げていくことを狙いとしている(日本経済新聞 2017年6月6日)。

 また、新たな薬を生み出す創薬研究の分野でも、AI活用によるプロセス改革の取り組みが行われている。

 新薬開発の最初のステップは、病気の原因となるタンパク質に結合し、その動きを止める物質を探すことだ。

 京都大学の奥野恭史教授がアステラス製薬やエーザイなど製薬会社20社以上と連携して進めるプロジェクトでは、スパコン「京」を使ったAIで新薬の候補物質を探索している。

 データベースに公開・登録された3000万の化合物の中から癌などの特定の病気に関係する631種のタンパク質に結合する化合物を見つける、という。

 すでに結合することが分かっているタンパク質と化合物の組み合わせ約400万組のデータをAIに学習させているので、AIはディープラーニングによって未知の組み合わせを予測し、結合する候補を弾き出すのがその仕組みである(日本経済新聞2017年3月6日)。

 従来、製薬会社の負担となっていた創薬の開発期間やコストを、大幅に低減できる可能性が開けたという点で、その意義は大きい。

IoT時代、プロフェッショナルな仕事が変わる

 本題に戻ろう。医療の現場にAIやIoTが導入されることで、医師や看護師、製薬会社の社員の仕事が奪われ、彼らの多くが職を失い、路頭に迷うようなことが起きるのであろうか。

 もちろん、答えは「NO」である。

 医師にとってみれば、これまで「科学でなく、一種の芸術」であったレントゲン写真の読影にAIを活用することで、誤診のリスクを大幅に減らせるだけでなく、読影に要していた時間や労力からも解放され、そのエネルギーを他の医療活動に振り向けることが可能になるであろう。

 具体的には、患者の心身両面のカウンセラーとして、生身の患者と向き合う時間を増やせるだけでなく、最先端医療の研究を行うモチベーションが向上することで医療の水準が高まり、病院のお客さまである患者の心や身体の変化に寄り添うことが可能になる、と推察される。

 この傾向は看護師も同様だろう。

 製薬会社も創薬開発にかかっていた人的リソースやコストの一部を、学会や研究会のようなオープンな活動を通じた医師とのコミュニケーションやコラボレーションに転換することで、患者にとって副作用の少ない治療薬の開発や、処方の改善などに結びつけることができるはずだ。

 IoT時代、プロフェッショナルな仕事の内容が変わる。

 AIとの役割分担を明確にし、人間はよりお客さまの気持ちの変化に寄り添い、お客さまのエクスペリエンスが豊かになる方向で、自らの役割を再定義する。 

 ひいては、お客さまと持続的にWIN-WINの関係を構築することが可能になる。

 いささか穿った見方をすれば、医療のようなプロフェッショナルな仕事は、AIの導入によって属人的な格差が解消の方向に向かい、サービス水準全体が高止まりの傾向になるので、必然的にエクスペリエンスがブランドを差別化するための最大のドライバーになっていくだろう。

 AIの導入によって仕事がなくなる、という嘘からは、そろそろサヨナラをしよう。

 自分たちの仕事の中身を、どうシフトさせたら持続的な競争優位をキープできるか。さまざまなインダストリーで真剣に検討すべき時期は、すでに始まっている。

筆者:朝岡 崇史