『ゴースト』中島京子 朝日新聞出版

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 私は8月生まれであるが、子どもの頃から手放しでは喜べないような気持ちを抱いていた。暑いのが苦手だからということも理由のひとつだが、もうひとつは戦争を強く思い起こさせる時期だからだ。私が生まれたのは終戦から20年とちょっと、現在よりまだ戦争というものの影響があちこちに残っていた。広島・長崎への原爆投下の日に続いて終戦記念日がある8月前半は、今よりずっと多くの戦争に関する番組をテレビなどでも放送していた記憶がある。私の誕生日は8月前半なのでそこまでではなかったが、6日や15日に生まれた友だちは「朝から悲しいテレビばっかりで気が重い」と言っていた。

 著者の中島京子さんは私より3つ年上。同じような時代の空気を感じて育った世代といっていいだろう。自分たちは直接には戦争を体験していないけれど、少し前までは世の中が混乱状態にあったという名残りをそこかしこに感じさせられた世代。本書は短編集であるが、ほとんどの作品において戦争の影は色濃く漂っている。

 私が最も心を引かれた短編は「ミシンの履歴」である。若い読者のみなさんは足踏みミシンというものの存在をご存じだろうか? 電気ではなく、足踏み台を踏んで動かすミシンのことだ(見たことがないとピンとこないかもしれないのだが、昔のミシンは調度品としての美しさもあるので、ぜひ画像を探したりしてご覧になっていただきたい)。私の場合、中学校まではまだ家庭科室に足踏みミシンしかなく、扱いに四苦八苦した記憶がある。ミシンといえば、時代だなあと思うのが、母親がミシンを買うためにお金を積み立てしていたことだ(周りの同世代の友人知人に聞いてみると「そうだったそうだった!」の大合唱だった)。戦後、世の中はどんどん便利に、手間をはぶいて買えるものは買ってすませるようになっていった。しかし、着るものすべてを手で縫っていた頃とくらべたら、ミシンという機械で縫い物ができることは画期的な便利さだという時代もあったのだ。「ミシンの履歴」における主人公は一〇〇種三〇型のミシン。戦火をくぐり抜けた一〇〇・三〇がたどった数奇な運命を描いた物語である。

 この他の短編にもさまざまな幽霊たちが登場する。とはいえ、夏場に稲川淳二の口から語られるような恐ろしげな存在ではなく、どこか懐かしくこんな感じだったら出てきてもらってもかまわない気がする幽霊たちばかりだ。自分の元の家に住むようになったGHQの中尉のハウスメイドとして働いていた女、前触れもなくこの世に戻ってくるたび上野駅の近くの路上で車にひかれて死ぬ運命をたどるチンピラ、フィリピンへの出征経験があり認知症が進むにつれて「リョウユー」が見えるようになった老人...。

 以前近所に住んでいた私より10歳ほど若い人が、8月15日にお子さんを産んだ。喜びに輝く彼女は、子どもの誕生日が終戦記念日であることなどまったく頭にない様子だった。戦争というものをことさらに意識せずに生きられるのは幸せなことだ。しかし、過去に戦争があったことをきれいさっぱり忘れて生きるのは、ほんとうの意味で幸せなことだろうか。私はずっと、"生まれてきた時代が違うだけで、命の危険にさらされたり気楽で希望に満ちた学生時代を過ごせなかったりした上の世代の人々に対して申し訳ないような思い"を抱いてきた。昔あった戦争を忘れ去ることなく、若い世代に伝えていく努力をすることが(たとえ自分自身が経験していなくとも)、せめて自分が表せる誠意ではないかと今は考えている。きっと著者には、この感覚を近しいものととらえていただけるのではないかと思う。

(松井ゆかり)