内田篤人がシャルケを離れることになった。2部のウニオン・ベルリンへの移籍が、現地時間8月21日に発表された。

 他でもない彼自身の実績が、新たな道を切り開いた。

 2010−11シーズンを起点とするシャルケでの日々で、内田は8人の監督のもとでプレーしている。多くの指導者と仕事をしてきたのは、間違いなく彼の財産だ。新天地で采配をふるうイェンス・ケラー監督も、2012年末から14年シーズン途中までシャルケを率いていた。

 旧知の監督に請われて選手が移籍をするのは、ヨーロッパでは頻繁に見られる。監督は選手の特徴を、選手は監督の考え方を理解している。お互いにとってリスクも、ストレスも少ない移籍だからだ。

 今回の内田のようにシーズン開幕直後の加入でも、さほど時間をかけずにチームにフィットできる期待が持てる。チームメイトのプレースタイルを知る時間は必要でも、戦術的な戸惑いは少ないはずだ。

 シャルケを離れるかもしれないとの報道から移籍決定までは、ほとんど間を置かないものだった。これもまた、ケラー監督が内田を評価していた証だろう。

 ヨーロッパでも日本でも、実力ほどにキャリアを積めない選手がいる。年齢を重ねていくにつれて、どのクラブからも声がかからなくなり、ひっそりとスパイクを脱ぐ選手がいる。

 理由は様々なのだろうが、人間性は見逃せない。選手の評判は横断的に各クラブへ伝わっていくもので、とりわけオフザピッチでの振る舞いは、その選手の価値を決定づけるとも言っていい。ベテランと呼ばれる年齢になっても新たな契約を結んでいく選手は、ピッチ外で模範的な行動ができていると考え差し支えない。

 内田もそういった選手なのだろう。チームメイトの彼に対するコメントは、地元メディアの報道は、いつだって敬意に満ちていた。ブンデスリーガと日本代表で経験を積んできた右サイドバックとしてだけでなく、人間的にも評価されていたことを示している。それもまた、彼が作り上げていた実績だ。

 1部ではなく2部でのプレーを残念に思う声も聞こえてくるが、いまの彼に必要なのはピッチで自らの価値を証明することにある。ウニオン・ベルリンは1部昇格を狙えるクラブであり、クラブとともに1部昇格を勝ち取るシナリオは描ける。彼自身のパフォーマンスが優れたものであれば、1部のクラブからオファーが届くかもしれない。

 冬の移籍市場でオファーを受けることも、ありえない話ではないだろう。右サイドバックを負傷で失ったクラブが、内田に触手を伸ばしても驚きではない。

 いずれにせよ、ウニオン・ベルリンへの移籍で内田のキャリアが再び、そして、はっきりと動き出したのは確かだ。右サイドバックのスペシャリストが酒井宏樹ひとりの状況が続く日本代表にも、彼の移籍は明るいニュースである。