ミスを認めることが、その後の成長にも大きな意味を持つ【写真:Getty Images】

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【連載コラム】ドイツ在住日本人コーチの「サッカーと子育て論」――ドイツの先生から受けた格言

 先日妻とカフェでゆったりとした時間を過ごしている時に、長男の小学校生活についての話になった。9月からが新学年のドイツで、長男はもうすぐ4年生となる。こちらの小学校は4年制なので、そろそろ次の進路に向けていろいろな準備をしなければならない。毎年担任の先生と2者面談が行われるが、前回は僕の仕事の都合で妻が行ってくれていたのだった。

 先生からは授業態度も、習得具合も全体的に褒められることばかりだったので、妻もほっと一息。「最後に何か気になることはありますか?」と聞かれたので、妻の方から「忘れ物が多いのではないかと思うのですが」と切り出したところ、先生からは「他の子と比べて特に多いということはないですよ。忘れ物をしてしまうのは子供にとって普通です」と返されたという。

 そして、こんな話をされたと伝えてくれた。

「大事なのは、ミスをした時にどうするかを知ることなんです。宿題をメモすることを忘れる子供たちもいます。全員が忘れることなく、しっかりとできるようになることが望ましいのはもちろんです。でも、忘れてしまうことだってあります、人間ですから。そこでむやみに罰を与えてしまっては、自分でやるべきことを把握して、取り組めるようにはなりません。

 やらなければ困るのは誰なのかを自覚できないといけないのです。忘れてしまったことを反省して、その後でも自分で時間を作って宿題と取り組むことができたら、素敵な経験をしたことになりますよね。しくじってしまったときの対応を知ることも、彼らが学ぶべき大事なことなのです」

「まあ、しょうがないか」…ミスを認めることもまた大切

 これは、とても大切なことだと思うのだ。

 とかく日本では、「いかにミスをしないか」に焦点が当てられる印象が強い。一方のドイツ社会は、良くも悪くもミスに対して寛容だ。電車が遅れることは日常茶飯事だし、駅のキオスクで「今、お釣りがないから売れない」と言われたこともある。それはそれでどうだとも思うし、腹を立てて口論になることはある。

 でも、それが不思議と後を引かない気がする。こちらでの日常生活を通して、どこか無意識化で「まあ、しょうがないか」と感じているからかもしれない。

 ある時、ドイツ人の友人に「ミスをするのは人間らしいことなんだよ」と言われて、なるほどなと思ったことがある。「人間らしさ」という言葉の中には、そうしたいわゆるネガティブな要素も普通に含まれているのだから、それを認めることもまた大切なのだ。

 サッカーの現場でも同じだ。子供たちがグラウンドに集まれば、いろんなことが起こる。トレーニング中、すべてが順調に進むことを望んでも、その通りにいくことはほとんどない。こちらが思っていた通りに子供たちができないなんてことはよくある。

互いが主体的にアプローチできる環境を作ることが、その後の成長に意味を持つ

「なんでできないんだ!」

「しっかり話を聞け!」

 こんな大人の叫びをよく耳にする。でも、発想がそもそも逆なのではないだろうか。なぜ「ミスが起きずに練習できる」という前提で、考えてしまっていたのだろうか。ミスとは当たり前に起こるものなのだ。できないことに対して闇雲に叱責しても、生まれるのは戸惑いと委縮だけである。

 ミスに寛容ということは、ミスをほったらかすことではない。挽回するチャンスを与えられるということだ。ミスをした子がへこんでおしまいではなく、どうすれば良かったか、どうすればできるようになるかと、お互いが主体的にアプローチできる環境を作ることが、彼らのその後の成長に大きな意味を持つ。子供たちと一緒にチャレンジできる機会を大事にしたい。