日本を訪れた中国人観光客がその時の思い出を自身のブログにつづっている。写真は江戸東京博物館。

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日本を訪れた中国人観光客がその時の思い出を自身のブログにつづっている。以下はその概要。

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<野心は衰えず>
福岡から京都、そして東京へ行ったが、それぞれに徳川家康にまつわる故事がある。その時代の歴史についてはあまり詳しくないが、豊臣秀吉が自ら書き入れた扇子を初めて見てすぐ、好感を持った。そして徳川家康はあまり好ましくないと感じた。二条城や江戸東京博物館の徳川家康も、ぜいたくな暮らしぶりだった。唯我独尊的な野心を持ち、江戸時代をもたらした。

少ない知識しか持ち合わせていないが、鎖国により閉鎖的だった江戸時代は、中国の清王朝と同じく腐敗し、衰退に向かった。別の角度から見れば、江戸時代は日本の歴史上数少ない平和な時代でもあった。人口は急増し、人々の生活も小さな家庭から大きな社会に向かっていった。

江戸東京博物館では67歳の女性ボランティアガイドさんが江戸時代について説明してくれた。男女比のバランスが悪くなり、独身男性が多かったそうだ。ある独身の木工職人は、昼間は仕事をし、食事は近所のそば屋で食べていた。夜は仕事が終わると仲間と屋台で酒を飲み、世間話に花を咲かせていた。豊臣秀吉にとって徳川家康は災難のような存在だったろうが、立場が変わればそうとも言えないだろう。

<劇は人生の如し>
フランス人女性に連れられ、能も観劇した。能は日本の伝統芸能だ。演じている内容はよく分からなかったが、そのしぐさはとても素晴らしく、多少は感じ取ることができた。

江戸東京博物館には、美しい衣装をまとった彫像があった。伝統的な日本の演劇では、演じるのは男性だけで、代々受け継がれるのだと、ガイドさんが教えてくれた。なまめかしいまなざしの彫像を見ていると、京劇の「貴妃醉酒」で梅蘭芳(メイ・ランファン)が演じ、歌っているような気がした。

<一衣帯水>
中国と日本は一衣帯水の近しい関係にある。徐福や鑑真が海を渡って行った。縄文時代の日本も、飛鳥時代の日本も、鎌倉時代の日本もそうだった。日本の和服は左衽(さじん)だが、中国の漢服は右衽(うじん)だ。和服はどんどん袖が細くなっていき、装飾がきらびやかになっていった。漢服は短い上着と裳の襦裙(じゅくん)から上着のゆったりしたものになり、袖は細く、生地に趣向が凝らされるようになっていった。

日本の書は唐代の懐素の草書によく似ている。展示されているある僧侶の書いた「壬戌之秋」の書を読んだ。宋代や元代の山水画や浮世絵のような日本の絵画も見た。中国と日本は切っても切れない文化的なつながりがあるのを実感した。

最後に、国立博物館のワークショップで扇に絵付けをした。「心」の1文字を書いた。旅は終わりを告げ、静かに日本を後にした。(翻訳・編集/岡田)