(写真提供=SPORTS KOREA)

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今から25年前の1992年8月9日、バルセロナ五輪の男子マラソンは、韓国の黄永祚(ファン・ヨンジョ)と日本の森下広一が、「心臓破りの丘」と呼ばれたモンジュイックの坂道で激しい優勝争いを繰り広げ、黄永祚が勝ち優勝した。

マラソンの歴史に残る名勝負であり、この当時、日本と韓国のマラソンは、世界をリードしていた。

ただひたすら前を見て走る黄の姿は、鬼気迫るものがあった。

当時の心境を黄に聞いたことがあるが、「どんなレースでも死ぬ気で走っています。健康のために走るのではない。一つの戦場です。一等は一つしかない。そのためには、死ぬ覚悟で走らなければならないのです」と、語っていた。

まだハングリーという言葉が生きている、最後の時代だったと思う。黄の金メダルは、韓国の国民を勇気づけた。

報道すらされない現状

現在ロンドンで開催されている世界陸上の男子マラソンでは、日本も韓国も不振であった。

それでも日本は川内優輝が9位、中本健太郎が10位、井上大仁が26位であった。

韓国の3選手の成績は、59位、64位、65位で、完走が71人なので、完走したことを良しとしなければならない成績だ。

女子も日本は清田真央が16位、安藤友香が17位、重友梨佐が27位で、韓国の3選手は、34位、38位、54位だった。ちなみに北朝鮮のキム・ヒギョンは日本勢より上位の15位に入っている。

リオ五輪の男子マラソンで韓国は、カンボジア代表として出場した猫ひろしと最下位争いを繰り広げ、問題になった。今回に関しては、韓国のメディアもマラソンをほとんど報じない状況にある。

「歴史の痛みを物語る競技」

韓国でマラソンは、特別な存在である。

日本の植民地支配下にあった1936年のベルリン五輪のマラソンでは、日本選手団の一員として出場した孫基禎(ソン・ギジョン)が金メダル、南昇龍(ナム・スンリョン)が銅メダルを獲得した。

それは朝鮮半島の人たちにとっては、民族の快挙であったが、と同時に、植民地支配の悲哀を感じさせるものだった。

そのため韓国でマラソンは、「民族の魂を受け継ぐ競技」とか、「歴史の痛みを物語る競技」などと言われてきた。バルセロナ五輪の英雄・黄永祚も、そうした話に刺激を受けて、マラソンを始めている。

1947年のボストンマラソンでは、徐潤福(ソ・ユンボク)が優勝、朝鮮戦争勃発直前の1950年の同大会では、韓国人選手が1、2、3位を独占している。大韓民国として政権が樹立されて間もない韓国の存在を、いち早く世界に広めたのもマラソンであった。

朝鮮戦争後、韓国のマラソンは長期の不振に陥るが、1988年のソウル五輪に向けての強化が、4年遅れで実を結び、黄永祚の金メダルにつながった。

バッシングすら受けない韓国マラソン

黄永祚の後は李鳳柱が受け継ぎ、1996年のアトランタ五輪では銀メダルを獲得したが、その後が続かなかった。

韓国では健康のための市民マラソンの人気は高まっている。しかし黄永祚の言葉にもあるように、健康のために走る市民マラソンと、競技のマラソンは、はっきりと区別される。

一昔前なら、競技団体や企業、国などの支援不足が問題になっただろうが、「公務員ランナー」の川内優輝の活躍は、そうした言い訳の余地を与えない。

もっとも川内の場合、学生時代は箱根駅伝を走った経験のあるアスリートなので、韓国ではまず誕生しえない存在である。

ソウル国際マラソン(東亜マラソン)などでは、外国人選手の順位と、韓国内の選手は別々に掲載され、報道の内容をみても、大会の優勝記録で、記録を出しやすいマラソンコースの優秀さを誇る記事が目立ち、韓国選手の結果には、それほどこだわっているようには思えない。

韓国では日本以上に結果が全てであり、サッカーや野球などの国際試合で負けると、バッシングを受ける。それでもバッシングを受けるうちは良いが、無視されるようだと、事態は深刻だ。
(参考記事:ドーハが“奇跡の地”から“衝撃の敗北の地”へと変わった日

孤独のレースを続ける注目株

今回の世界陸上において韓国で最も注目されているのが、男子100メートルの金国栄(キム・グクヨン)だ。

2010年6月、31年間破られなかった韓国記録を更新し、今年に入り、記録は10秒07まで短縮された。今回の大会では、韓国では初となる準決勝進出を果たした。

ただし金国栄にしても、国内に競争相手がおらず、孤独のレースを繰り広げている。韓国は世界陸上のトラック種目で、決勝に進んだ選手はいない。

6年前大邱(テグ)で世界陸上が開催されたが、ボルトのフライング以外、ほとんど忘れられようとしている。

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7月は高校野球の東西東京大会の取材に追われた。

今年は早稲田実の清宮人気もあり、例年とはかなり様相が異なった。

3年後の同じ時期に東京で五輪が開催される。夏の暑さには慣れているはずの高校球児すら、熱中症で足が吊ったりする選手が多かった。暑さもさることながら、湿度、蒸し暑さも特別だ。

選手やスタッフはもちろん、観客にも、ボランティアにも、報道陣にも過酷な大会になりそうだ。マラソンのコースを周回コースにして、コースの徹底した低温化を図るなど、シティセールスのメリットが軽減しても、あらゆる対策を講じる必要があると思うのだが。

(文=大島 裕史)