右サイドで俊輔がボールを保持して時間を生み出すと、SBがオーバーラップし、FWが動き出す。連動した攻撃は右サイドから全体に波及していった。
 
 進化を遂げたセルティックは、宿敵レンジャーズから覇権を奪い返し、CL出場権を手に入れる。完成度を高めた状態で、06-07シーズンを迎えるのだ。
 
―――◆―――◆―――
 
 マンチェスターの夜空に、荘厳なCLアンセムがこだまする。
 
 06年9月13日、俊輔は自身初のCLを「夢の劇場」と謳われるオールド・トラフォードで迎えた。
 
 マンチェスター・Uとの英国名門クラブ同士の一戦は「バトル・オブ・ブリテン」と銘打たれたが、欧州最高峰の舞台における実績は比べるべくもない。
 
 だが、試合は予想を覆すシーソーゲームとなった。追いつ追われつの接戦を演出したのは、俊輔の左足だった。
 
 1-2で迎えた43分、ゴール正面やや右でFKのチャンスを得ると、俊輔がボールをセットする。助走を短くしてクイックで蹴ったボールは、壁をかすめるようにしてゴール右隅に吸い込まれていく。オランダ代表GKエドウィン・ファン・デルサルも反応できない一撃だった。
 
 もっとも、俊輔に満足感はなかった。ボールは壁を越えたのではなく、壁の中でひとりだけ飛んでいなかったルイ・サハの頭上を抜けていったからだ。
 
「あれは狙いどおりじゃなかった。サハが飛んでいたら跳ね返されていたからね。後でサハは(アレックス・)ファーガソン監督から怒られたらしい(笑)」
 
 それだけに、11月21日のホーム戦は、ファン・デルサルのみならず、俊輔にとってもリベンジの一戦だった。
 この試合でストラカンは選手の配置を変更する。右サイドの俊輔と左サイドのエイデン・マクギーディを入れ替えたのだ。当時、ストライカーではなく、高速ドリブラーとして名を馳せていたクリスチアーノ・ロナウド対策である。
 
「エイデンよりも俺のほうが守備をするからね。でも、やっていて相手が本気じゃないのは感じた。それに、こっちもただ守備をしていたわけじゃない。押し込まれた時に、周りと一緒になって自陣に戻れば、ボールを奪った時に味方が近くにいる。それでパッと預けて展開されれば、攻撃に出ていけるから」
 
 ファン・デルサルと俊輔にとってのリベンジの機会がやってくるのは、0-0で迎えた81分だ。
 
 ゴール正面やや右、距離は前回よりも遠い約25メートル。そこから数歩下がった俊輔は、前方を見つめた。
 
「ゾーンに入っていたから、流れに身を任せるだけ。決める自信はあった」
 
 俊輔が左足を振り切ると、ボールは前回よりも高く舞い上がり、鋭い弧を描く。今度は反応したオランダ代表GKが懸命に手を伸ばしたが、届かなかった。
 
 その瞬間、スタジアムが爆ぜた。
 
 このゴールを守り切ったセルティックは残り1節を残して、クラブ史上初のグループステージ突破を決めた。
 
 もっとも、俊輔がそれを知るのは、試合後しばらく経ってからだ。ロッカールームでチームメイトが喜んでいる時にはすでにスタジアム内のジムに向かっていて、ジムのTVで気が付いたのだ。
 
 このシーズン、俊輔は自身にミッションを課していた。試合後の1時間に渡る筋トレである。
 
「スコットランド・リーグだと、自分が思うようにプレーできてしまうところがある。だから、肉体的にも精神的にも自分を追い込まないと、置いていかれるんじゃないかっていう不安があった」
 
 マンチェスター・Uとの対戦に死力を尽くした後でも、いつもと変わらずジムで自分を追い込んでいたのだ。