『三惑星の探求 (人類補完機構全短篇3)』コードウェイナー・スミス 早川書房

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 コードウェイナー・スミスのSF短篇をすべてまとめる《人類補完機構全短篇》も、この巻でぶじ完結。先行する二巻、『スキャナーに生きがいはない』と『アルファ・ラルファ大通り』は本欄でも紹介をしている。

 本巻の主軸をなすのは、故郷の惑星を支配者から取り戻す準備のために宇宙を放浪しているキャッシャー・オニールを主人公とする三篇、およびその後日譚(オニールはちらりと登場するが主人公ではない)一篇である。本国アメリカでは、1960年代なかばに別個に雑誌発表されたのち、Quest of the Three Worldsとして一冊にまとめられた。

 スミスの宇宙史《人類補完機構》シリーズ全体は時系列順に書かれておらず、壮大なタイムスパンのあちらが語られ、こちらが明かされというように、ジグソーパズルを少しずつ埋めていくように発表された。けっきょく埋められぬまま、読者の想像に委ねられている部分も大きいのだが。《キャッシャー・オニール》の諸篇はシリーズ内シリーズであり、《人類補完機構》時系列のなかでスミスが作品化した部分ではもっとも遠い未来に相当する。オニールを主人公とする三篇は、発表された順序が物語内の時系列に沿っており、彼が人生の目的を達成するまでの過程を追っている。順番に「宝石の惑星」「嵐の惑星」「砂の惑星」である。ひじょうにシンプルなタイトルで、作品の舞台となる特徴をそのままあらわしている。そして、おそらくスミスは「宝石」「嵐」「砂」に象徴的な意味をこめてもいる。

「宝石の惑星」は、ダイヤモンド、ルビー、トルマリン、サファイアが石ころのようにありふれている惑星ポントッピダンが舞台だ。この地ではむしろ土のほうが貴重な資源である。キャッシャーがポントッピダンに到着したとき、惑星中が一頭の馬の話題でもりあがっていた。もともとこの惑星に馬はいない。その一頭は不死薬の生産地であり、非常に豊かな惑星ノーストリリアから移住してきた男が持ちこんだものだ。男は峡谷の底に世捨て人として暮らしていたが、彼が死んだあと馬だけが残される。馬は衰弱しながらも、飼い主に投与された不死薬の作用で死ぬことも叶わず、厳しい道のりを乗りこえて人間のいる場所までたどりついた。

 キャッシャーは、ポントッピダンの世襲執権フィリップ・ヴィンセントから、この馬の謎を解くよう依頼される。なにしろこの惑星では、馬のことをわかっている人間がひとりもいない。キャッシャーはテレパシー能力のある下級民の協力を得て、馬の心を探ろうとする。下級民とは動物由来だが、身体を人間に近づけ(人間そっくりのものも少なくない)知能も向上させた奴隷階級である。馬の心を読んだのは、老いた犬女だった。キャッシャーは、普段は皿洗いをしており、これまで人生の辛酸をなめてきたはずの犬女が、自分よりも、あるいは特権階級や支配階級の人間よりも、圧倒的に幸福そうなのにたじろぐ。


 しあわせは壮大な運命ではなく、人生のちょっとした風向きで決まると知ったとき、キャッシャーはうずくような羨望をおぼえた。顔はやせこけ、紙はほつれて灰色にくすんでいるものの、彼女が人生から汲みだす愛としあわせと思いやりは、クールァフがその道楽に、ウェッダー大佐がその権力に、彼自身がこの聖戦に見いだしたものの比ではなかった。人生はなぜこんな仕打ちをするのか? 正義などというものはこの世にないのか? なぜこのすりきれた下級民の老婆がしあわせで、自分がしあわせでないのか?

「だいじょうぶ、そのうち乗り越えたら、しあわせになれるから」と犬女がいった。


 このくだりはストーリー進行上は必要がなく、いささか唐突に思える。しかし、犬女を介してキャッシャーが馬の心にふれたとき、そこには人間への愛、無条件にして無償の愛に満ちあふれていることがわかる。それらを重ねあわせたとき、宝石に囲まれたこの惑星において、本当の宝は何なのかに読者は気づく。

 スミスの作品は、その語り口においてもテーマ展開においても寓話的なのだが、とりわけ《キャッシャー・オニール》はその度合いが高く、寓話性を通りこして宗教性といってよいくらいだ。しかし、それは抹香臭い説教ではなく、柔らかい光のように小説世界を満たしていく。

「嵐の惑星」は、猛烈な風が吹きあれ、日常茶飯事のように竜巻が発生する惑星ヘンリアダでの物語だ。キャッシャーは強襲巡航艦を手に入れるため、司令官ランキン・ミクルジョンと取り引きする。ミクルジョンが持ちだした条件は、「マディガン老人の館を訪ねて、下級民の娘を殺してこい」という奇妙なものだ。そんなことくらい配下のものにやらせればいいのに、とキャッシャーは訝しむ。人間が下級民を殺しても罪にならないのだ。しかし、周辺に聞き取りをするうちに異常な事態がわかってくる。いままで同じ使命を帯びて八十人もの刺客が館に送りこまれた。そのひとりとして戻ってきた者はいないのだ。そして、ターゲットである下級民の娘は、いかなる方法によるかはわからないが、ヘンリアダ全体を支配しているらしい。

 ひとりの若者がキャッシャーにこうアドバイスをする。


「どうやら、この惑星ならではの事情をききたいみたいですね。そいつをききたい気持ちはわかります。あなたはもう渦中の人なんだから。なら、このまま渦中をつっきることです。うまくすれば、生きて渦から脱出できるかもしれない。こちらとしては、巻きこまれたくはないですがね。あれ(傍点)にも、あなたにも、彼にも、彼の憎悪に満ちた計画にもです」


 彼というのはもちろんミクルジョンのことである。「渦中」という表現が象徴するように、キャッシャーを待ちうけているのは嵐のごとき運命だ。

「宝石の惑星」で犬女に会ったとき、キャッシャーは唐突に彼女が誰よりもしあわせなことに気づいた。それと同様、「嵐の惑星」でも、館を訪ねて下級民の娘と対面したとき、彼は唐突に悟る。彼女はこれまで自分が見たなかでもっとも傑出した存在だ。殺すのはとても無理だ。

 娘の名はト・ルース(T'ruth)という。下級民の名前には、かならず出自を示す接頭文字がつく。Tはタートル(亀)のTだ。彼女は「わたしは真実以外を語れない」という。

 物語はそれから一波乱あるのだが、ト・ルースに対するキャッシャーの信頼(あるいは思慕・情熱)は揺るがない。彼女は補完機構の起源よりもさらに昔の〈古代の有力宗教〉に支えられていた。この時代、宗教は惑星から惑星への伝播が禁じられているのだが、ひとびとの信仰はそれをすり抜けてヘンリアダまで到達していたのだ。作中にはっきりと宗教的シンボルがおかれてもいる。ト・ルースがキャッシャーに示す〈魚のしるし(イクテュス)〉はキリストの表徴だ。

「砂の惑星」で、いよいよキャッシャーは故郷の惑星ミッザーの解放に赴く。そのための準備のために彼はながらく宇宙各地を彷徨ってすごしてきたわけで、普通の物語ならばここが最大の山場となるところだが、この作品ではそのくだりはあっけなく終わる。独裁者ウェッダーに対面したキャッシャーは、相手にひとこと「友人です」と告げ、ト・ルースからさずかった能力でウェッダーを調整する。精神はもとのまま、意志も人格も変わらず、ただ内面の構造だけを変える。ウェッダーはとたんに寛容で、思いやりを備えた人間になる。

 キャッシャーはウェッダーから権力を取りあげることもない。自分自身がミッザーを統治しようともしない。彼がそのあとにするのは、家族のもとへ帰ることだ。そこで自分に娘がいたことを知る。キャッシャーがこの惑星から去ったとき、彼は知らなかったのだが、妻は妊娠していた。彼は娘と出会うが、父親らしく振る舞うこともなく、あくまで人間対人間の敬意を持って接し「お元気で」とだけ告げて、砂漠へと向かう。


「ぼくが探し求めているのは、惑星間の力を超えたなにかだ。ぼくが探し求めているのは、旧地球のスフィンクスよりも大きなスフィンクスだ。レーザーよりも切れ味の鋭い武器であり、銃弾よりも早く動く力だ。そして、ぼくから力を奪いとり、ただの人間性を取りもどさせてくれるなにかだ。なんでもないなにか、ただし、ぼくが仕え、信じられる、なんでもないなにかだ」


 よく知られているように、キリスト教は砂漠ではじまった宗教である。

 この三篇につづく「三人、約束の星へ」は、人類へのすさまじい憎悪を発散しているリンスホーテン15の第三惑星へ、その脅威を取り除くべく三人の改造人間が赴く。キャッシャー・オニールは遠隔でそれをサポートする役回りだ。しかし、その惑星の住人たちはなぜ人間を憎むのか? その真相も悲惨だが、彼らに対処する三人も数奇な人生をたどることになる。《人類補完機構》シリーズのなかでは、「スズダル中佐の犯罪と栄光」(『スキャナーに生きがいはない』に収録)に似た趣向の作品だ。

 以上に紹介した四篇以外にも、本書には《人類補完機構》に属さない七篇が併録されている。スミスが十代で発表した習作「第81Q戦争(オリジナル版)」や、スミスの歿後に未亡人のジュヌヴィーヌ・ラインバーガーが完成させた「太陽なき海に沈む」は、とくに珍品と言えよう。

(牧眞司)