(写真提供=SPORTS KOREA)

写真拡大

甲子園の高校野球もベスト16が出そろい、ここから頂点に向けて、大会は一気に進んでいく。

この時期、韓国でも高校野球の全国大会が開催されている。韓国日報などが主催する鳳凰大旗(ポンファンデギ)全国高校野球大会である。

この大会の特徴は、地域予選がなく、韓国全ての高校チームが参加することだ。といっても74校。参加校数では、鹿児島大会とほぼ同数である。

甲子園の前身大会に朝鮮代表が参加

今年のこの大会の開幕戦で、前年優勝のソウルの徽文(フィムン)が、ドジャースの柳賢振(リュ・ヒョンジン)の母校である仁川(インチョン)の東山(ドンサン)に敗れる波乱があった。

この徽文高校は、校名が徽文高普(フィムンゴボ)であった1923年、今日の全国高校野球選手権大会の前身である全国中等学校野球優勝大会に、朝鮮代表として出場している。この時はまだ球場は甲子園ではなく鳴尾であったが、初戦である2回戦で大連商業を破り準々決勝に進出し、立命館中学に敗れている。

戦前、日本の支配下にあった朝鮮からも、台湾や満州とともに代表チームを日本の全国大会に派遣しているが、朝鮮人だけのチームは、徽文高普だけであった。

朝鮮代表として甲子園の土を踏んだチームは、京城(キョンソン)中学など日本人中心のチームが多かった。それでも大邱(テグ)商業(現商苑)や善隣(ソンリン)商業(現善隣インターネット)のように、日本人と朝鮮人の混成チームもあった。

中でも善隣商業は、元は大倉財閥の創設者・大倉喜八郎が創立した学校で、昭和歌謡の巨星・古賀政男も、この学校の出身者である。

日韓高校野球の類似点

私はソウルに留学していた1993、94年に、鳳凰大旗の大会をよく観に行った。

目的の一つは、97年までは在日のチームも参加しており、その試合を観ることだった。94年のチームのエースは、横浜などで活躍した金城龍彦(当時近大付)で、150キロ近い速球を投げており、準々決勝に進出した。

と同時に善隣商業など、かつて甲子園大会に出場したことのある学校の試合も興味深かった。当時はまだ、日本の植民地時代に指導を受けた人も健在で、チームの雰囲気も、何となく日本の高校チームに近いものがあった。

今は頭髪など、日本と近い点もなくはないが、ユニホームの着こなしや、スタイルなどで、日本とはかなり違ってきている。
(参考記事:知られざる韓国の高校野球の実像「高校生投手酷使対策の成果は如何に」

韓国の野球関係者の中には、日本の高校野球のマナーの良さを見習ってほしいという人もいるけれども、韓国には韓国の歩みがあるので、それはどうこう言うことではない。

センバツ出場者が大韓野球連盟会長に

甲子園大会と韓国の関係においては、日本に留学し、日本の学校の選手として出場した人も、非常に重要である。

平安中学(現龍谷大平安)の内野手として活躍した朴点道(パク・ダド)や京都商業(現京都学園)の内野手として活躍した姜大中(カン・デジュン)は、解放後は韓国代表の選手や監督として、韓国野球の発展に貢献した。

横浜商業の内野手であり、主将としてセンバツに出場した崔寅哲(チェ・インチョル)は、解放後は大韓野球連盟の会長など、韓国の野球協会の役員として、長年韓国野球の発展を支える一方で、日本高校野球連盟の会長だった佐伯達夫らとの交遊を通して、野球の日韓交流にも貢献した。

崔は2007年に89歳で亡くなるが、元気なころは、夏の甲子園大会をほぼ毎年のように観戦し、日本の野球関係者との旧交を温めた。

日韓交流の現在

ただ、崔寅哲が亡くなってから、その代わりとなって日本と交友する人材がおらず、疎遠になったような気がする。

2009年、野球のアジアAAA選手権(U18)の取材でソウルに行った時、大韓野球協会の関係者から、日本高校野球連盟の会長と、日本野球連盟の会長の名前を教えてほしいと頼まれたことがある。

それだけ、互いに向き合うことが少なくなったということだろう。

近年日韓関係が冷え込む中でも、若い世代を中心として、新たな日韓交流は行われている。

それはそれでいいことだが、野球の例に限らず、昔から続いていた日本と韓国の関係は、どうも途切れがちのように思う。

8月の中で、15日が重要な日であることは日韓ともに同じだ。

しかし日本は、終戦、敗戦の日であり、お盆と重なっていることもあり、慰霊に重きを置いているのに対し、韓国は解放の日であり、お祭りムードである。

ただ植民地支配の時代を知る人が少なくなる中、日韓ともに、その時代のリアリティーがなくなり、自分たちに都合の良い歴史認識が、それぞれで独り歩きしているように思う。

日本と韓国は、今までも行き違いやナーバスな問題は多々あったものの、互いに交友関係を積み上げてきた。時代が変わっても、その積み重ねは、大事にしなければならない。

高校野球の話からやや飛躍したが、スポーツを通した日韓交流の歴史を取材してきた立場から、その思いは強くある。

(文=大島 裕史)