家具にぶつかるたびに進む向きを変え、ひたすら掃除を続ける――。AI搭載のロボット掃除機の健気な働きぶりを見て、椅子や机を片付けてやった。そんな経験をした人も多いだろう。

 つい助けてしまうのはなぜか。岡田美智男『〈弱いロボット〉の思考』(講談社現代新書)に登場する「ゴミ箱ロボット」はユニークだ。腕のない彼(女)は自分ではゴミが拾えない。しかし、ゴミの近くまで自走してゴミ箱を載せた頭をかしげると、見ていた人が苦笑しつつゴミを拾って箱に入れてくれる。

 人間の代役をロボットに期待すると「あれもできるといい」「これもできないか」と「なしくずしの機能追求」が始まる。こうしてエスカレートする要求から逃れるために著者は敢えて機能的に不足する「弱い」ロボットを作った。すると「弱さ」が周囲の協力を引き出し、複雑な仕事もこなせてしまうのだという。

 この逆転の発想はロボット以外にも応用できないか。たとえば「弱い」存在としてすぐに思いつくのは高齢者だ。島田裕巳は『人は、老いない』(朝日新書)で、好奇心さえ維持できれば高齢者は年の功ゆえの豊富な経験を踏まえて更に成長してゆけるのであり、「老後」を無為に過ごすだけの存在ではないと書く。

 とはいえ生物学的な老化は避けられない。だから様々な支援や介護が必要となる。そこで発想の転換をし、加齢ゆえの心身の弱さを敢えて日常的にさらす。つまり「ゴミ箱ロボット」のようになる。そうすれば周囲との協力関係を引き出せて、専門的介護者の世話になる日を先送りできるかもしれない。同時に若い世代との会話の機会も増え、自らの豊富な経験談を伝えて皆の役に立てるようになれば、まさに「人は老いない」といえる社会が作れるのかもしれない。

 国民的タレントの萩本欽一が人生を振り返った新刊に『ダメなときほど「言葉」を磨こう』(集英社新書)の書名をつけたのも象徴的だ。「自分がいい言葉を話すと、周りの人もうれしくなって、いい気分になります。そうやって良い循環が生まれていい運がやってくる」と書くのは、やはり弱さ、ダメさを起点とするコミュニケーション論なのだ。

 知識を増やし、新たな能力を身につけることを謳ってきた新書の基調トーンに変化を感じる。右肩上がりを前提とする思考法からの離脱が求められているのは経済界だけではない。弱さを経由してこそ到達できる豊かさや強さを知る、温故知新ならぬ温“弱”知“強”の境地に新書的教養も入りつつあるのではないか。

(武田 徹)