ネルソン・フレイレ 奇跡的な自然さと均整の巨匠(Album Review)

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 つい先日、久々に日本で好演を披露したのも記憶に新しい、1944年ブラジル生まれのピアニスト、ネルソン・フレイレ。その新譜は、1967年のデビュー録音以来、実に50年ぶりとなる第3ソナタの再録音と、作曲家の壮年期から晩年にかけての、主に間奏曲で構成されている。

 ブラームスが弱冠21歳で書き上げた第3ソナタは、第1楽章冒頭から、このソナタ全体、いやブラームスのピアノ作品全体に散見される、オクターヴ進行や重い和音、アルペッジョで始まるが、フレイレのフォルテには、いささかのヒステリックさもない。タッチはいつも安定し、音色は伸びやかで暖かい。

 このソナタには、希望に満ちた、魂打ち震える若々しい熱情と、それとは対照的に、漠たる不安感に苛まれた暗鬱な情感とが拮抗している。フレイレは、ここで極端なコントラストを押し出さずに両者をただ共存させる。雄渾にして交響的なこのソナタのスケール感を、力押しでしつらえるのではなく、生まれるべくして生まれている。適度なルバートを交えても音楽はグダグダの骨抜きにはならないし、対位法的テクスチュアを前にしても、絡まった声部を無理な強調をすることはない。リズム処理やフレージング、アーティキュレーションも自然な息吹に満ちたものだから、音楽は常に瑞々しく、生き生きとしている。

 ソナタの興奮状態を鎮めるかのような作品76の2曲を挟み、後期作品に入っても事情は同じ。作品116-1のカプリッチョのように激しい入りを見せる曲でも、フレイレは極端な感情移入を排している。後期作品では、深い諦念に染め抜かれた憤怒からも、渋みがかった諧謔からも適度な距離を保つ。そのぶんだけ、たとえば116-4の物思いに耽るさま、苦き日への追想のような117-2のメランコリーが、神々しいまでの透明感を湛えて迫ってくる。これもまた絶妙な知と情の均衡がなせるわざなのだろう。傲岸不遜で神経質、老獪にして孤独なブラームスを枯淡の味わいで塗り潰さないし、人口に膾炙した作曲家のイメージに引っ張られてもいない。フレイレはただ、各曲のテクスチュアを丹念に定着させるとともに、後期ブラームスらしい転調の妙も的確に射抜く。

 そう、フレイレは、いわばブラームスを、いかにも「ブラームスらしく」弾くことには興味がない。そんなことをすればどれを弾いても同じになりそうなところなのに、結果として聞こえてくる音楽は、見紛うかたなきブラームスの音楽なのだから、実に不思議である。目の前の譜面と、あたかもいま初めて相対するように振る舞う、これ以上ないシンプルなアプローチによって複雑な滋味を引き出してみせるフレイレは、まさに魔術師と呼ぶに相応しくはないだろうか。

 およそ再現芸術家というものは、アカデミックな深い読みによる「知」と、みずからの霊感に従った自発的な「情」の理想的バランスを、生涯追い求め続ける者の謂いなのかもしれない。その点、フレイレは、知と情を高い次元で融合させた均衡を実現し、快い刺戟を生み出す巨匠だといえるだろう。このディスクにはもう一つ、別の特徴がある。それは見事なタッチコントロールと音色を、優秀な録音スタッフが十二分に捉えている録音クオリティだ。けだし名演である。text:川田朔也

◎リリース情報『ブラームス・リサイタル』
UCCD-1449
3,024円(tax in.)