イラストレーション:溝川なつみ

 牛がにゅうと首を出して、手元の飼料を直接食べそうになった。

「わぁ」。吉村真菜子(まなこ)さん(13)が思わず手を引っ込める。

「食べる時の牛は必死だからね」

 飼い主で見島牛(みしまうし)保存会の多田一馬会長(69)が笑う。32頭を飼う農家だ。

「でも、かわいい。最初は怖かったけど、目がぱっちりしていて、だんだん愛着がわいてきました」。少し慣れてきた吉村さんは、手際よく餌(えさ)や水を与えていった。

 山口県萩市の見島。城下町の萩から44.3キロメートル離れた日本海に浮かぶ孤島である。

 見島牛はこの島にしかいない。

 本土の和牛は明治期以降、外来種の血を入れて改良した時期があったが、見島ではその影響を受けず、和牛本来の姿を残してきた。このため1928年、国の天然記念物に指定された。だが、多田さんら7軒の農家が約80頭を飼っているにすぎず、「幻の牛」となっている。和牛本来の姿を残す牛は、ほかに鹿児島県・口之島(くちのしま)の口之島牛しかいない。

 吉村さんは全校生徒6人の見島中学校1年生だ。7月11日に始まった同中学校の職場体験授業で、ただ一人、見島牛の飼育農家を選んだ。その初日に取材が重なった。

「見島だからできる体験です。貴重な牛について学んで、少しでも広めていけたらいいなと思いました」と頬を赤らめる。

 吉村さんは同県下関市で生まれた。郵便局員だった父の転勤で県内を転々としたが、父が漁師を継ぐため、小学4年生の時に一家で島に戻った。祖父は見島屈指の漁師だ。マグロ釣りで何度も島を訪れた俳優の故松方弘樹さんとは共に海に出た仲間である。

「私は小さい頃から見島に住みたいと思っていました。自然がいっぱいで、皆が家族のようだからです。人がのんびりしているので、私達までのんびりしてきます」。吉村さんは島での生活を満喫している。


牛に餌をやる見島中1年生、吉村真菜子さん(7月11日) ©葉上太郎

 ただし島には高校がなく、中学卒業と同時に島を出なければならない。そうした子の多くが帰らない。戦後は3000人を超えた人口も800人ほどになった。島にある基地に勤務する自衛隊員と家族を除けば実質の島民は600人ほどで、その高齢化率は「7割を超える」(萩市役所見島支所、石川晃正さん)。「だからこそ島の良さを知ってほしいと、本土で実施していた職場体験を今年から島内に移しました」と松本英一教諭(31)は話す。この体験が吉村さんの将来にどんな影響を及ぼすだろうか。

 ところで、絶海の孤島になぜ牛がいるのか。それは見島が古くから大陸交易の中継地だったからだ。和牛のルーツは朝鮮牛とされており、日本海を経て国内に入ってくる途中で、見島にも上陸した。

 しかし、それだけでは牛は居つかない。見島の地形はなだらかで、保肥力に優れた粘土質の土が覆っている。島全体に棚田があるだけでなく、「八町八反」と呼ばれる平地で盛んに耕作が行われてきた。米は今でも本土に出荷している。そうした農耕に牛が必要だったのだ。

 多田さんは「どの農家でも2〜3頭は飼っていました。見島牛は尻が小さいので小回りが利きます。胸の筋肉が発達していて力が強く、小走りでどんどん鋤(す)いていきます」と話す。それだけではない。

「賢いのです。水を張って地面が見えなくなった田んぼでも、自分で鋤くルートを見つけます。教えたら掛け声だけで左右に曲がります。何キロメートルも離れた農地に、初めて連れて行った生後1カ月半の子牛が、気づいたら自分で牛舎に帰っていたということもありました」

 だが、農業の機械化で牛の出番はなくなった。市文化財保護課のまとめでは、1955年に559頭いた見島牛は59年、401頭に減った。市は同年、天然記念物再生事業として保護を始めた。67年には多田さんの亡父ら農家が保存会を結成したが、この時には144頭まで減っていた。さらにその後も減少し、75年から4年間は33頭の時代が続いた。以後は少しずつ増えたものの、この25年間は80頭前後と頭打ちだ。目標としてきた100頭を達成できずにいる。

 保護に取り組んでも減少し、なかなか増えないのは、本土の和牛と違って経済動物と位置づけられていないからだろう。本土の和牛は農耕に使われなくなった後も、脂肪交雑が入る肉質が注目され、肉牛として飼い続けられた。「見島牛は特段の工夫をしなくても、本土の和牛以上に美しい交雑が入り、噛めば噛むほど旨みが増します」と、食べたことのある多田さんは言う。だが、増頭が第一の目標なので、肉牛としての出荷は基本的に認められていない。

 例外として、種牛に選ばれず去勢されたオスの子牛と、子を産めないか産めなくなったメスの廃用牛が、年間10頭程度、萩市の業者に出荷されている。でなければ「牛舎がいっぱいになって増頭の目的が達成できず、飼養者の負担になってしまう」(市文化財保護課)からだ。

 種牛と子の産めるメスには飼料代の補助があるものの、農家は年中休みがなく、ほぼ赤字なのが実情だ。

 各農家は少しでも省力化しようと、自前の牛舎のほか、市が整備した2カ所の放牧場でも飼っているが、それでも生き物だけに「緊張の連続です」と多田さんは話す。「放牧場で足を滑らせ、崖の木に引っ掛かっていたこともあります。逆子が生まれたり、病気になったりしても島には獣医がいません。母子で亡くなった例もあります」とうつむく。

 生計のための経済動物なら「死んだら仕方がない」と割り切れるかもしれない。そうでないところに見島牛と農家の特殊な関係がある。

かわいいペットではいずれ滅んでしまう

 元農協職員の山根和夫さん(68)には特別に愛情を注いできたメスがいた。2002年に生まれた「みさき」だ。「人懐っこくて、放牧場へ行くと、バイクでも車でも私の音を聞き分けて寄って来ました。頭を擦りつけてきて、かわいかった」。

 みさきは子を一頭も産まなかった。何度人工授精しても、ダメだった。そうしたメスは廃用にしなければならない。だが、山根さんにはできなかった。

 牛の寿命は20年ほどとされる。「その前に足を傷めるなどして、牛舎で座ったまま最期を迎えるのが通常です。みさきも、あと1〜2年でそうなるのが分かりました。死に目には遭いたくない。ついに今春、廃用にしましたが、かわいそうで、かわいそうで……」。

 みさきの父は山根さんが飼っていた黒瀬だ。98年に生まれた。体が大きく、優秀な種牛だった。

 山根さん宅ではブラシを当てて毛並みを整えたり、おやつに米を炊いたりして大事に育てた。家族の愛情をいっぱいに受けた黒瀬は、気性の荒い種牛が多い中でも、穏やかで優しい成牛になった。

 その黒瀬の背中に乗馬用の鞍を着け、人を乗せたことがある。「人口が減る島に、少しでも観光客を呼んで、島を知ってもらおう」と、多田さんらと3年ほど行った。

 見島牛は農耕に使っていた時代、鞍で荷物を運ばせていた。荷物がない時は、農作業に連れて行く人間の子を乗せた。そうした島の生活を、本土の人にも感じ取ってもらおうと考えたのだ。最初はメスで試したが、人が乗るとよろめいた。そこで黒瀬に変更した。「黒瀬はゆうゆうと人を乗せて歩いていました」。多田さんと山根さんは微笑む。

「ただし、見島牛をペットとして飼うだけでは、我々の世代で終わりになる」と山田泰宏さん(61)は危機感をにじませる。母牛1頭、子牛2頭を飼う農家だ。


放牧された見島牛はのんびりしている ©葉上太郎

 高校で島を出て、北九州市の病院で働いていた山田さんは島に帰るつもりはなかった。だが85年、父が病気になり、妻を連れて帰島した。その後、農協に就職し、15年に見島支所長で退職するまで、二足の草鞋で牛が飼えたのは、島で唯一の桶職人だった父が技能をいかし、放牧場を3カ所も整備していたおかげだ。「新規就農者には施設がありません。肉牛の出荷で投資も生計も成り立つようにしないと、次の世代には受け継げません」と力説する。山田さんには後継者がいない。

 多田さんも同じ意見だ。まず、頭数を増やさなければならないが、現在の7軒では難しい。しかも後継者は一部しかおらず、島外からの就農者誘致しかないと考えている。

 それには大きなハードルがある。本土までの距離だ。見島牛を見島牛たらしめた海がネックなのだ。

 萩との間には、萩市の第三セクターが高速船を運航している。今でこそ1時間15分で結んでいるが、98年3月までは1時間50分もかかる連絡船だった。日本海では木の葉のように揺れた。

 多田さんは揺れの少ない高速船の就航を目指し、「見島島おこし会」を結成して92年からイベントを行うなどして運動をした。ウインドサーフィン大会で100万円の赤字を出し、会員で負担し合ったこともあるが、7年がかりで目的を達成した。「就航したら、さらに人を呼んでこなければならなくなった」と今もコンサートなどを催しており、もう25年もの活動になる。

 ところが船は替わっても、遠い島というイメージはあまり変わらないのが実情だ。見島が知られていないのが、理由の一つだろう。

 多田さんは島外に出たことがない。「出たら帰って来なくなる」という曾祖父の反対で進学を諦め、中学卒業後から農業一本で食べてきたからだ。だが、多田さんは見島が大好きだ。「暮らしやすい。食べ物が美味しい。独特の文化もある」。


天井につるした六畳大の鬼揚子(多田さん宅) ©葉上太郎

 多田さんは数少ない鬼揚子(おにようず)という縁起物の凧(たこ)の制作者だ。鬼を描いた凧で、長男が生まれた正月には六畳ほどの大凧を揚げる。多田家の応接間の天井には、小学校5年生の孫のために揚げた大凧が飾ってある。

 見島牛は、そうした魅力を本土に橋渡しする起爆剤になるはずだ。

 見島牛の去勢牛や廃用牛は近年、高級肉として取り引きされている。私も萩市で土曜日にランチを食べに行ったが、開店前から30人も並ぶ盛況ぶりだった。この人気を利用すれば、見島への興味をかきたて、就農者を呼び込める。

 今年は「和牛五輪」の年だ。5年に一度開かれる品評会「全国和牛能力共進会」が9月7日、宮城県で催される。この和牛五輪で見島牛が旋風を起こす日を夢見たい。

(葉上 太郎)