千葉駅前の夏の風物詩、妙見大祭がクライマックスをむかえ、千葉モノレール 葭川公園駅前の中央公園から、妙見本宮 千葉神社にかけて、屋台や夜店が立ち並び、浴衣姿で歩く男女たちでにぎわっています。

いっぽうで、その混雑からちょっと離れて、京成千葉駅とJR千葉駅の間を歩くと、昭和のビルが取り壊され、新たな駅ビルをつくる工事で忙しいエリアがあります。

この週末、妙見大祭で混み合う千葉駅周辺を歩き、ふたつのSL動輪に出会いました。ひとつは、今後の行方が気になる黒塗りの動輪。もうひとつは、老舗駅弁店の看板として金色に塗られた動輪です。

金色に塗られた動輪は、「トンかつ弁当」「菜の花弁当」「やきはま弁当」といった駅弁で知られる万葉軒の本社ビルに保存されているスポーク動輪。ファンの間では、当時ハチロクという愛称で親しまれた「国鉄8620形蒸気機関車のものではないか」などと語られているもので、同社玄関に1輪、ロビー・レジ前に1輪が保存されています。

黒色の動輪は、1960年代に建てられた千葉鉄道管理局(JR東日本千葉支社)跡地に残っているもの。こちらもスポーク動輪で、万葉軒にあるタイヤと似ていることから、同じ蒸気機関車、ハチロクのものではないかともいわれています。動輪の中央には、「礎 十河信二」と刻まれた下に、「千葉機関区の跡」と題してこう説明が続きます。

――――千葉機関区は大正九年七月この地に開設してから四十年余り蒸気機関車基地として輸送任務の重責を果たしてきた
戦前は鉄道連隊の実地教育の大任をにない戦後においては国鉄近代化のさきがけとして気動車要員の育成に努め昭和二十九年優良業務機関として国鉄総裁表彰の栄誉をうけた
しかしながら太平洋戦争中の昭和二十年六月空爆にあい職員動員学徒ら二十三名の尊い犠牲者が礎となってこの地に眠っている
年移り昭和三十六年一月戦災復刻計画と輸送の近代化に伴い閉鎖されたものである
ここに有志相よって往時を追憶し殉職者の霊を慰め且つまた先人の偉業を永久にとどめるため記念碑を建立するものである――――

千葉鉄道管理局跡地とその周辺には、JR東日本千葉支社関連のビルや、千葉ステーションビルの千葉駅ビル第1・2別館などがまだ残っていて、そのなかに居酒屋やスナック、JR駅レンタカー、研修センターなどがテナントとして入居し、いまも灯りがともります。

この昭和の雰囲気も、ここ数年で大きく変わる見込み。9月7日には、リニューアル工事中の千葉駅ビル「ペリエ千葉」の2〜7階が開業し、京成線とJR線の間に構える千葉運輸区などの旧ビルや、千葉ステーションビルのカオスな雰囲気も、風前の灯火という感。さらに三越千葉店や千葉パルコが閉店し、その跡地に新たな複合型高層ビルなどの計画も浮上しています。

外房へ、内房へ、成田空港へ―――数は減らせど在来線特急のチカラを感じるターミナル、千葉駅。駅舎とそれを囲む街並みはいま、大きな転換期をむかえています。