いわい・しゅんじ==1963年1月24日生まれ、宮城県出身

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叙情的にして斬新な映像美を湛えた作品を次々と発表し、多くの映画ファンを魅了し続けている岩井俊二監督。1991年の処女作「見知らぬ我が子」(関西テレビ)以来、多数の深夜ドラマを手掛けていた彼が、本格的に映画界へ進出するきっかけとなったのが、1993年に監督・脚本を務めたドラマ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」だ。テレビドラマでありながら、その年の日本映画監督協会新人賞を受賞するなど、この「打ち上げ花火―」で得た大きな評価を糧に、その後岩井監督は、「Love Letter」(1995年)、「スワロウテイル」(1996年)、「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)、「リップヴァンウィンクルの花嫁」(2016年)といった数々の名作を世に送り出すことになるのだ。

話題の映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。岩井俊二の名作ドラマを原作に「魔法少女まどか☆マギカ」の新房昭之総監督によりアニメ映画化/©2017「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」製作委員会

そんな岩井監督にとっての記念碑的作品「打ち上げ花火―」を原作とした劇場アニメーション映画が、このたび8月18日に公開された。そこで今回は、岩井俊二監督に、原作ドラマ「打ち上げ花火―」に込めた思いや撮影時のエピソード、さらにはテレビにおける創作活動の展望などを聞いた。

■ 「打ち上げ花火―」をあのタイミングで作れたことは本当に大きかった

──岩井監督が手掛けられた原作ドラマ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は、監督自身にとっても大きな意味を持つ作品ではないかと思うのですが。

「『打ち上げ花火―』を撮り終わったとき、『これで次に映画の仕事が来ても受けられるな』と思えたんです。その意味では、作り手としてドラマから映画にシフトチェンジするきっかけになった作品ですし、20代のころにずっと作り続けてきた深夜ドラマの集大成的な作品ともいえるんじゃないかと思います。

『GHOST SOUP』(1992年フジ系)や、『FRIED DRAGON FISH』(1993年フジ系)など、それまで僕はほぼ3カ月に1本くらいのペースで深夜ドラマを作っていたんですね。あの時期が自分の人生の中でも一番忙しかったんじゃないかというくらいの創作ペースだったんですけど、毎回、自分の中で課題を見出して、それをクリアすることで成長していたという感覚がある。それだけに『打ち上げ花火〜』は、いろんなものが詰まった作品になりましたね。もっと言えば、自分の技量という意味において、おそらくあれより1年早かったら撮れていなかった作品だと思います」

――「打ち上げ花火―」では、どのような課題を設けたのでしょうか。

「かねてからやろうとしていた“子供たちのラブストーリー”をいよいよここでやるか、という感じだったんですよね。『if〜もしも』(※1993年、フジ系で放送されていたオムニバスドラマ)というシリーズの企画だったわけですけど、最初は、自分がずっと大事にしていたとっておきのネタを、企画ものの1枠で使い切っちゃっていいのかな、とも思ったんです。当時のプロデューサーの石原(隆)さんも、『もったいないから、来年2時間ドラマでやらないか』と提案してくれるくらい気に入ってくれていましたし。ただ、後生大事に抱え込んで次のチャンスを狙うより、やれるときにやって、次のチャンスで何も作れなかったらそこで終わり、という生き様の方がかっこいいなと思って(笑)。作品というのは、子供と同じで、ここで生まれてくるのが運命なんだと後先を考えずに撮り始めたんです。

それで、いざ蓋を開けてみたら、予想していたよりもはるかに多くの方々に見ていただけた。結果的に、映画館でも上映してもらえて、うれしかったですね。やはり、『打ち上げ花火―』という作品をあのタイミングで作れたことは本当に大きかったと思います。作り手は仕事を選り好みせず、チャンスがあれば素直に飛び込むべきなんだと気付かされた、というか。フィルモグラフィーを輝かしいものにしようとか、体裁を考えて仕事を選んでいくと、結果、最後は仕事に嫌われることになると思うんですよね(笑)」

■ 深夜ドラマを撮っていたころは「ずっとここでいいや」と思ってました

──「打ち上げ花火―」の撮影時のエピソードなどがあれば、ぜひお聞かせください。

「30歳の大人が小学生を撮るということで、子役たちの演技をどうディレクションしようかと、いろいろと工夫を凝らしました。上方落語で『初天神』という、子供と父親が天神様にお参りに行く噺があるんですけど、上手い落語家さんがやると、子供がえらく生々しくて新鮮なんですね。『打ち上げ花火―』では、そういう子供の生々しさ、初々しさが前面に出るようにしたかったんです。

一般的なイメージとして、劇団に所属している子役って、わざとらしい演技をするものだと思われてますけど、僕はそれには異論があって。素人の子の方がよっぽど、演技っぽい演技をしてしまうものだと思うんですよ。だから、僕は逆に、いろんな劇団にお願いして、それぞれの劇団で一番演技が上手い子たちを集めたんです。そして彼らがどの役柄に合うのかを考えて、適材適所に配置しました。

またリハーサルでは、あえて会話を高速にしました。普通は台本を映像にすると、1ページにつき40秒くらいの尺になるんですけど、1ページ20秒くらいのスピードにしたんです。子役たちにも、『何で本番になるとゆっくりしゃべるの? いつもはもっと早くしゃべってるじゃない? 普段のスピードでしゃべろうよ』と。そうやって、“お芝居をしちゃダメだ”ということを言い続けた。そうすると、子役たち自身もだんだん分かってきて、最終的に僕が求める芝居ができるようになって、作品の世界観が出来上がりました。結局、優秀な子役というのは、大人が何を求めているのかさえ分かれば、それに応えられるだけの技量は持っているものなんですよね」

──先ほど「ドラマから映画へのシフトチェンジ」という言い方をされていましたが、岩井監督は深夜ドラマ時代から、行く行くは映画を撮りたい、という思いがあったのでしょうか。

「いえ、全然そんなことはなくて、むしろ深夜ドラマを撮っていたころは、『ずっとここでいいや』と思ってました(笑)。ドラマというのは、もちろん受注仕事ではあるんですけど、だんだん信用されていくに従って、中身はお任せ、みたいな感じになっていくんですね。締め切りもある中でネタをひねり出すのは大変なんだけど、本当に好きなことがやれて、楽しくてしょうがなかった。幸せでしたね。しかもドラマって、当時はソフト化されることなんてほとんどなかったから、テレビ局に納品してオンエアされたら、それで終わり、という世界だったんですよ。後腐れがなかったというか(笑)。逆に映画は作り終わったら、そこから宣伝とか、いろいろと作品の面倒を見たりしながら、公開まで1年以上掛かったりする。次の仕事をしているときに近所の映画館で上映されていたりしますからね。だから、映画に主軸を移した当初は、テレビドラマと違うそのタイミングのズレに、集中のしどころが分からなくなった時期もありました。逆に今は、映画のサイクルに慣れてしまったから、『ドラマってどうやって作ってたんだっけ?』というのがあるんですけど(笑)」

■ ドラマと映画を区別しているつもりは毛頭ないんです

──岩井監督は今後、テレビでこんなことをやってみたいというアイデアはありますか?

「ドキュメンタリーは撮ってみたいですね。ドキュメンタリーって、テレビでこそやる意味があるジャンルかなという気がするので。ただ、ドラマに関していえば、僕は映画と区別しているつもりは毛頭なくて。『リップヴァンウィンクルの花嫁』も映画版、ドラマ版とありますけど、われわれ作っている側からすると、全く違いはないですから。そういう意味では、『打ち上げ花火―』をやっているころから大して進化していないのかもしれない(笑)。ともあれ、20代のころみたいにドラマを量産するのはもう無理でしょうね。先日、『打ち上げ花火―』のメイキング映像をチラッと見る機会があったんですけど、自分の動きが今より全然早いんですよ。早送りで見ているみたいに、ものすごいスピードで演出をつけていて。だから当時はあんなにたくさんのドラマを撮れていたんだなと妙に納得してしまいました。今あのスピードでやったら、きっと倒れちゃうと思いますね(笑)」