仕事を通じて知り合った由美は、月に数回のペースで会う相手だ。飾らない性格で、まだ恋人ではないが一緒にいると心が休まる。今まで派手に遊んできた自分も、そろそろ由美のような女性と落ち着きたいものだと、会う度に思う。

その由美が、「結婚を考えていた彼と別れることになった」と泣きながら電話をかけてきたのは、昨夜遅くのことだった。慰めつつも「彼女を振り向かせるなら、今しかない」と火が点いた。

次の日は早めに仕事を切り上げて、銀座1丁目へ向かう。1軒目は、『銀座KAN』。渋谷の『高太郎』も輩出した池尻『KAN』の系列店だ。気取らない雰囲気で、夜遅くまでゆっくり話ができる、和食の店を探していた。



カウンター席からは、料理人の丁寧な仕事を目の前で楽しめる。

『銀座KAN』に女性と一緒に行くならば、カウンターが必須である。大きく広がった橡の木のカウンター席に、いつもより華奢に思える彼女を見つけた。

この店の突き出しは、好きな素材を選べ、食べ方もリクエスト出来る。「何にする?」とのぞき込むと、新鮮で美しい食材を前に、泣き腫らした彼女の顔に、少し笑顔が戻った。



お通しから始まる特別感は、一気に気持ちが盛り上がる。

彼女が選んだ大アサリは、醤油でさっと焼きが入れられただけで、ジューシーさが残る。醤油の香ばしい香りと、冷えたビールがたまらない。



一口で食べれば、口いっぱいになるほど大ぶりのアサリ。

落ち込んで口数が少ない彼女は、いつもよりお酒のペースが早いようだ。各地の日本酒が多く取り揃えられているので、料理を少なめに頼んでお酒選びに徹するのも、この店の楽しみ方の一つだろう。



毎朝築地から仕入れられる、新鮮な魚介が魅力的だ。

今一番おいしい時期の刺身など、メニューはその時々の旬が味わえる。

追加の日本酒と合わせて頼んだのは、「和風ポテトサラダ」。パンチェッタと粒マスタードのパンチのあるソースが絡み、お酒がすすむ。他にはないこの店のポテトサラダに、彼女も満足そうな笑顔を見せた。



甘みの強いインカの目覚め、男爵など数種類のじゃが芋が使われている。

小粋なつまみに、いつもよりも飲むペースが上がってしまう。1軒目は普段通り、あくまでも彼女の心を癒せるように、ぽつりぽつりと語る話を聞いていた。


さあ、2軒目はどうする?


飲むのが好きな由美とは、いつも2軒目まで行くのがお決まりだ。珍しくほろ酔いの彼女をエスコートする。2軒目は『スタア・バー』。実はこの店から逆算して1軒目を選んだのだ。歩いて3分足らずのスムーズな距離感が丁度いい。

銀座並木通りを進むと、『スタア・バー』の真鍮製のサインが見えてきた。細い階段を降りていくにつれ少し気温が下がるので、異空間への期待が高まっていく。

アンティークの照明に厚みのあるカウンター。これぞバーという雰囲気だが、ほっとするのは、にこやかに客を迎えるバーテンダーの人柄だろう。



『スタア・バー・ギンザ』のオーナーバーテンダー岸久氏は、権威ある”IBA 世界カクテルコンクール”で優勝歴をもつ人物。技量はもちろん、細やかかつ無駄の無い動きが美しい。

最高に旨いカクテルを飲みつつ、「実はこの店、俺の親父も好きなんだよね。夫婦で来たりしてるらしくて」と打ち明けた。

バーのしっとりとした雰囲気に感化されたのか、目をのぞきこむように彼女は言った。「いいなあ、そんな夫婦。もう、つらい恋じゃなくて、自分らしくいられる相手がいい…。」

そっと彼女に寄り添う。2人とも、終電の時間は把握していたが、彼女はマルガリータ、自分にはギムレットを追加した。

2杯目のために終電を逃してしまうのも大アリだろう…と、店に流れるバグパイプのスローテンポな音色に包まれる。



上質な空気、味、音が調和して、思わず時間を忘れてしまう。

由美はこちらの肩にそっと身を委ねたまま、じっとしている。彼女のお酒のせいだけではない火照りを感じながら、バーテンダーがシェイカーを振る心地よいリズムに、耳を傾けるのだった。

逃したくないあの人と銀座の夜に繰り出すならば、まずは2軒目思案から。今夜こそ!と意気込む貴方には、一流のBARが必ず味方してくれるに違いない。