諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師

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 皮に「忖度」と刻印された「忖度まんじゅう」(関西限定)が土産物として大人気だ。忖度とは、何も新しい言葉ではない。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、医療の世界における「忖度」の存在と、これからについて考えた。

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 森友学園・籠池泰典氏の発言に端を発し、急速に広がった「忖度」という言葉。今年の流行語大賞の有力候補であることは間違いない。ただ、この言葉は、流行語に終わらない、日本社会に深く巣食う病理を表す言葉のように思う。

 医療の現場では、よく忖度が働いてきた。たとえば、脳卒中で倒れ、救急車で運ばれた高齢の男性がいたとしよう。病院側は一生懸命救命する。しかし、意識は戻らない。

 家族が、病院に呼ばれる。「どうしましょう」と病院側から聞かれ、「よろしくお願いします」と頭を下げる。何をよろしくなのかよくわからないが、何となく病院側にお任せするというのが、かつてよく見られたやりとりだった。

 だれも本人に寄り添った決断をしないまま、治療が進んでいく。空気が忖度されるのだ。

 今は、病院側も家族にきちんと説明し、文書で確認してもらって、署名も求める。意識が戻らない患者さんに対しては、おなかに穴をあけ胃に直接栄養を入れるための「胃ろう」を設置するかどうかなどの確認をする。

 患者さん本人が、自分の意思を残している場合はいいが、そうでない場合は忖度をしなければならない。結局、何となく空気に流されて、胃ろうを置く処置を受けることも少なくない。今、日本には胃ろうを置いている人が約40万人いるといわれている。

 もちろん、胃ろうは悪いことばかりではない。食べられなくなった患者さんが、3か月後の孫の結婚式まで生きたい、などのはっきりした目標があり、本人がそうしたいと意思を表しているのなら、それでいい。

 いちばんよくないのは、本人の自己決定がないまま何となく胃ろうを設置し、長期化することである。これで、本人も、家族も幸せになったのか。疑問が残る例がある。

 最期をどうするかは、一人ひとり価値観が違うので、他人が忖度してもしきれない。にもかかわらず、医療では過剰な忖度が必要とされてきた。でも、そろそろこの体質から脱すべきだ。本人がきちんと意思を残し、家族に苦しい忖度をさせないようにしたい。

●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。2017年8月23日(水)に小学館カルチャーライブ!にて講演会を開催予定(https://sho-cul.com/courses/detail/27)。

※週刊ポスト2017年9月1日号