マーリンズ・イチロー【写真:Getty Images】

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高校時代はエース番号「1」、背番号51をつけ続ける理由とは…

 マーリンズイチロー外野手といえば、背番号51がトレードマークになっている。2012年途中にトレード移籍したヤンキースでは「背番号31」で過ごしたが、2015年のマーリンズ入りで再び背番号は「51」に。オリックス時代から共に歩み続けてきた背番号への愛着について、米スポーツ専門局「ESPN」公式サイトで明かしている。

 特集記事では、0番から99番までの数字を背負う主なメジャー選手が、それぞれに抱く背番号物語を紹介。「51」の代表として登場するイチローは、代名詞とも言える番号をつけ始めたきっかけについて「僕がプロになって初めてもらった番号でした。その番号をそのままつけただけなんです」と語り始めたという。

 愛工大明電時代は、野手と投手の“二刀流”だった。3年で春の甲子園に出場した時は投手として登板しており、プロ入りするまでは「背番号1をつけていました」。だが、1991年ドラフトでオリックスに4位指名されてプロ入り。「僕はプロになれたことが、ただただ嬉しかった。その時、チームは僕にこの番号をくれたんです」と、懐かしさと愛着を持って当時の様子を振り返っている。

 オリックス時代に一度背番号が変わる可能性があったという。それは当時のNPBシーズン最多安打記録となる210安打をマークしたプロ3年目、1994年のオフだった。1950年に藤村富美男が樹立した191安打を抜き、NPB史上初のシーズン200安打の偉業達成したことは、ファンはもちろん球界関係者の度肝を抜き、イチローが“特別な選手”であると認識させるのに十分だった。日本記録を樹立したオフ、オリックスはNPB通算盗塁記録を持つ福本豊氏のつけた背番号「7」の継承を打診したという。

「福本さんは俊足の外野手で、当時の僕と似ている部分があった。だから球団は福本さんの番号をつけてみないかと言ってきたのです」

ヤンキースでは背番号31、名門では欠番となっている「51」

 盗塁王13回、通算1065盗塁を誇る名手の番号を提案されたが、「お断りして、51番のままでいくことにした」というイチロー。そこから先はご存じの通り。背番号51と共に日米で数々の歴史を塗り替え、今では切っても切れない強い結びつきを持つ番号に。「思い返せば、あの番号を変えずによかったです」と話したという。

 イチローが「51」から一時離れたのが、ヤンキース時代だ。ピンストライプの名門では、背番号51といえば、1990年代黄金期を支えた名外野手バーニー・ウィリアムスのトレードマークで、2015年5月に永久欠番になった。そのためニューヨークでは「31」を背負っていた。

 特集では様々なスター選手の背番号物語が紹介されているが、ヤンキースの超新星アーロン・ジャッジもイチローと同じ理由で「99番」を愛用している。

「ヤンキースでのスプリングトレーニング初日に、この背番号が僕のロッカーに掛かっていたんだ。これが球団が僕にくれたもの。これが僕の番号なんだ。ヤンキースがくれたユニフォームを断ることなんてないからね」

 今季はここまで打率.288、リーグトップの37本塁打、80打点と活躍する超新人は、背番号「99」の与える大きいインパクト通りの爆発を見せている。背番号51がイチローの代名詞となったように、背番号99=ジャッジという図式がファンにとって当たり前となる日がやってくるのかもしれない。(Full-Count編集部)