【聴診器を耳にあて犬の心拍数を調べる子どもたち=東京国際フォーラム】

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 「科学」と「哲学」の違いを教えてくれたのは哲学者・岩崎武雄さんの「哲学のすすめ」。まだ表紙がクリーム色のころに読んだ講談社現代新書の一冊だ。

 岩崎さんによると、科学と哲学では、扱う“モノ”がまったく違う。科学は「いかにあるか」という“事実”を、哲学は「いかにあるべきか」という“価値”を扱う。この棲み分けが、宗教を含めた世界感、人生観を意味する「哲学」から科学を独立させ、その後発展させた。科学は哲学に邪魔されずに事実の問題に専念する。一方、哲学は、事実の問題に口を差しはさまず、科学が答ええぬもの=価値の問題に専心する。この両者の意義と限界をわきまえてこそ、人間はしっかりとした行動を選び取ることができる――という内容だった。

 哲学と科学がお互いの“領分”を侵すとろくなことはない。歴史はその事例にあふれている。哲学が科学にいらぬ口出しをした悲劇が、イタリア・ルネサンス時代のブルーノの火あぶりであり、ガリレイの沈黙。キリスト教会の哲学(天動説)は、コペルニクスの地動説を支持したジョルダーノ・ブルーノとガリレオ・ガリレイを許さなかった。

 逆に科学が哲学を無視した惨劇が“原子力”の暴走。科学の成果を悪用し、米軍は広島、長崎に原爆を落とした。旧日本軍の731部隊では、細菌兵器のため科学者たちが人体実験に手を染めた。

 哲学と科学はお互いの得手、不得手をわきまえ、相補っていくべきものだ。科学的知識を無視した人生観・世界観は空疎だが、いかに科学が進歩しようとも世界観、人生観そのものを人は科学からくみ取ることはできない。人間がサルから進化した事実は、人生いかに生きるべきかを示さない。この科学が答ええぬものに“答えうる”のが哲学だ――岩崎さんはそう強調した。

 「哲学のすすめ」の初版は1966年。当時は、「事実」を無視した戦前への反省から「科学」への期待が大きかった。それが「科学万能論」の落とし穴にはまらないよう、岩崎さんは「哲学のすすめ」を書いている。

 初版から半世紀後の現在は「科学のすすめ」も必要になったようだ。子どもたちの理科離れが懸念されている。「驚きから科学が生じる」と岩崎さんは言う。子どもたちに新鮮な驚きを与える機会をもっともっと与えることが重要だ。

 終戦日の8月15日から17日までの3日間、東京国際フォーラムで開かれた「理科っ子になる夏! バイエルサイエンス・ファーム」は、好奇心いっぱいの大勢の子どもたちでにぎわっていた。ライフサイエンス企業のバイエルが世界各国で地道に開催している催しの一環で、日本では7回目という。

 一番人気のイベントは、子どもたちが聴診器で犬の心拍数を測定したり、体重を測ったりする「獣医師体験」。白衣を着た子どもたちは、聴診器から聞こえてくる犬の心臓音の速さに驚いたり、自分より重い犬の体重にびっくりしていた。子どもたちは会場で配られた「サイエンスノート」に犬の体重や心拍数を自ら書き込んでいく。犬の体を調べた経験は人間の体への興味にもつながっていくはずだ。

 岩崎さんは「哲学か科学か」という問いそのものが間違っているという。科学を学ぶことが豊かな哲学を育み、豊かな哲学は科学の悪用を許さない。理科好きの子どもたちには、そのことを将来証明してほしい。広島、長崎の市民たちが紡いできた「核廃絶」の哲学が、核の使用も威嚇も違法にした「核兵器禁止条約」を良き手本にして…。