池上彰・東京工業大学特命教授(右)。映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』トークイベントの様子。

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世界最大のハンバーガーチェーン「マクドナルド」を築き上げたレイ・クロック。公開中の映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』では、彼の自伝『成功はゴミ箱の中に』(プレジデント社)をもとにその経営手法を描いている。本作を観たジャーナリストの池上彰氏は「ビジネスを成功させるにはこうするのか、と感じた」と評している。それはどういう意味なのか。池上氏の特別寄稿をお届けする。

■今のハンバーガーの原型は「マック」

レイ・クロックのことは知っていました。30年ほど前に『マクドナルド――わが豊饒の人材』という本(1987年、ダイヤモンド社刊)を読み、マクドナルド兄弟から権利を奪い取った話も知ったのです。映画を観て「ああ、そうだったなあ」と思い出しました。

恐らくみなさんは、今のスタイルの「ハンバーガー」が当たり前だと思っているでしょう。「バンズ」と呼ばれるパンの間に「パテ」と呼ばれる牛肉がはさんであり、ワックスのかかった紙に包まれたスタイル――。あれは「マクドナルド」によって開発されたものなのです。それが映画を観ればわかりますし、ハンバーガー店の成り立ちもわかりますよね。窓口で注文すると紙袋に入った商品が渡されるやり方は、当時の人々が「なんだ、これは?」と驚く斬新な方法でした。

他のハンバーガー店ではクルマを止めていると、ローラースケートを履いたウエートレスさんが滑りながら注文を取りに来る――逆に、今の人たちが観れば、「当時はこうだったのか」という驚きがあるでしょう。

■メニューを絞った「選択と集中」

ビジネスの視点でいえば、すでに60年以上前から「選択と集中」として、「単品経営」を実現していたことに気づかされます。

1954年にレイ・クロックが見た当時の「マクドナルド」は、ハンバーガーのメニューはたった2種類。15セントの「ハンバーガー」と19セントの「チーズバーガー」しかありませんでした。「フライドポテト」がハンバーガーと同じ15セント。そして「ソフトドリンク」が10セント、「ミルクシェイク」が20セント、「コーヒー」が1杯5セントで、これがすべてのメニューでした。あれもこれもと広げるのではなく、メニューを絞って作業効率を高めていたのです。

マクドナルド兄弟の店は店内も清潔に保たれていましたが、後にレイ・クロックがFC(フランチャイズチェーン)展開した後、やる気のないオーナーの店では、店内にゴミが散らかっていた。それを見たクロックが怒りながら片づける――。現在の我々から見れば当たり前ですが、当時はそうではなかった。

クロックは無意識のうちに、飲食店にとって大切な「QSC」(Quality=品質、Service=サービス、Cleanliness=清潔・清掃の頭文字)や「5S」(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)を実践していたのです。画期的なシステムというのは、後世になって評価されるのですが、当人は必死になって取り組んでいました。

■「吉牛」「スタバ」と共通する教訓

ちょっとネタばらしになってしまいます。「マクドナルド」が店舗拡大する中で、ミルクシェイクの原料を保管する冷蔵庫の電気代がかかりすぎるから、「粉末のミルクシェイクにしよう」と意見が出て、それをやるかやらないかで大論争となります。私はこれを観て、かつて「吉野家」の牛丼がダメになった時の話を思い出しました。

1980年に「吉野家」は115億円もの負債を抱え、一度倒産しています。その原因の1つが、店舗の急拡大に伴う出店費用を抑えるために品質を下げたことでした。かつてはワインの効いた生タレの液体を店舗に運んでいたのを、本部が各店舗に、価格が安い粉末のタレを溶かして使うよう指示し、フリーズドライ肉と呼ばれる乾燥肉も使ったのです。

その結果、どうなったか? 味がまずくなっただけでなく、店内から牛丼のいい香りも消えてしまいました。後に同社の社長・会長を務めた安部修仁(しゅうじ)さんらが本部に呼ばれて、必死になって再生を果たします。評判の悪かった粉末のタレを生タレに戻し、一部を除いて乾燥肉も取りやめたのです。

私は1979年8月にNHK東京放送局の社会部に異動し、警視庁などを担当した時期でした。吉野家の新橋店で何度も慌ただしく牛丼を食べていたので、当時のことはよく覚えています。

また「スターバックス」も似たような失敗をしています。現在は日本国内でも焙煎所つきの店舗がありますが、一時期、工場で一括焙煎したコーヒーを各店舗に配送するようにしていました。すると、店頭からコーヒーのいい香りが消えてしまったのです。

どこのチェーン店でも、店を急拡大する時には効率化を考えますが、「やってはいけない効率化というものがあるのだな」と学ばされます。それは何かといえば、「お客さんに支持されてきた商品」という“本質に関わる部分”です。結局、マクドナルドは粉末のミルクシェイクを採用しなかったのですが、それで正解だったと思います。

■共鳴するのは「マクドナルド兄弟」

個人的にとても懐かしかったのは、映画の冒頭部分で「ルート66」が出てきたことです。アメリカのシカゴとサンタモニカを結ぶ幹線道路ですが、私は小学生時代にテレビで放映されたアメリカ映画『ルート66』を観て育ちました。また、同時期にコメディータッチのホームドラマ『パパは何でも知っている』も観ていました。家庭に自家用車が当たり前にあり、家庭料理も豪華で冷蔵庫も大きい――。当時のアメリカは豊かな生活の象徴でした。

後にNHKに入ってアメリカに出張した時も感じましたね。「こんな国と戦争をやっても勝てるはずはなかったな」と。映画を観て、そうした時代性もよみがえってきました。

最初に本を読んだ当時30代の私が、レイ・クロックに持った印象は、「こんなことまでして金儲けをするのか」でした。でも今回の映画では、「この人のおかげで、現在の私たちの外食生活もあるのだな」と考え直しました。そして「こういう人がいるからアメリカの資本主義は発達するのだな」とも……。個人的には知り合いになりたくない人ですが(笑)。

さらにいえば、仕事のない人たちに雇用を生み出した一面もあります。映画でも「ユダヤ人なのに聖書を売っているのか」というシーンが出てきます。金を持っている社交クラブの知人ではなく、切羽詰まっている夫婦に店を切り盛りさせて、店のスタッフなど多くの人の雇用市場を創ったのも彼の功績でしょう。それぞれの人の問題意識によって、「そうか、ビジネスを成功させるためにはこうするのか」を気づかせてくれる映画です。

私自身は54歳でフリーになりましたが、事業をシステム化させて拡大させることなど考えたことはなく、「ニュースをわかりやすく解説」することでほそぼそと生きていこうと思いました。その意味では、店舗の急拡大に反対して、目の届く範囲で店を深掘りしようとしたマクドナルド兄弟に共鳴しています。

■人気女子アナは「私はちょっと……」

レイ・クロックは事業家として画期的な成功を収めましたが、ひとりの男性としては、苦しい時代から支えてくれた “糟糠(そうこう)の妻”を捨てて、“トロフィーワイフ”(勝者の証しとして獲得する妻)と結婚した一面もあります。テレビの情報番組で共演し、トークショーでも一緒になった、テレビ東京の相内優香アナウンサーは、そこに抵抗感を持ったようです。

私より一足先に映画を観たので、「どうでした?」と聞いたら、「いや、すごい人なんでしょうけど、私はちょっと……」と(笑)。

いろんな意見が分かれるのもこの映画の特徴でしょう。やはり私は、マクドナルド兄弟にシンパシーを感じますけどね。

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池上彰 (いけがみ・あきら)東京工業大学特命教授
1950年、長野県松本市生まれ。1973年慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。報道記者や番組キャスターを経て、1994年から11年にわたり「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。2005年にフリージャーナリストとなり、“今さら聞けないニュースの本質”をテレビ、新聞、出版などで解説して幅広い人気を得る。『伝える力』『知らないと恥をかく世界の大問題』『世界を変えた10人の女性』ほか著書多数。2013年、伊丹十三賞受賞。

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(東京工業大学特命教授 池上 彰 構成=高井尚之 経済ジャーナリスト)