家本主審の大誤審は「社会の縮図」ではないか

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またJリーグでサッカー界を揺るがすような大誤審が起こってしまった。

日曜日の朝、きっと「喝!」が飛ぶのだろうと思うと気が滅入る。あれだけガブリエウ・シャビエルが良いゴールを決めてもそうなのだろうな…。

16日に行われたJ2第28節、町田ゼルビア対名古屋グランパスの一戦。結果は3-4というスコアとなった。

このところ失点は多いもののそれ以上にゴールを奪い、打ち合いの中で勝利を重ねてきた名古屋。その「流れ」を継続し、4連勝を飾った。

だが大きな問題になったのは試合終了間際の場面だ。

名古屋の青木亮太が裏に抜け出そうとしたところ、町田の奥山政幸と深津康太が挟み込むようにしてタックルし、これを防いだ。

そこで家本主審の笛が鳴る。ファウルだ。それからしばらく経って、胸のポケットから取り出された赤紙。

副審との話し合いの末、なぜかこのプレーを後ろから見ていたはずの平戸太貴に送られた。この人違い、戦中でも大問題である。いや、戦中のほうが大問題だが。

不満を表す平戸。他の選手も抗議だ。報道では周囲から『平戸ではない』という声もあったという。映像では深津も状況を家本主審にジェスチャーで説明しているようだ。だが、大本営発表は強硬であった。

3-4というスコアは両チームに見せ場があったことを示す数字だ。どちらのファンも、少なくともカタルシスを得られた証拠だ。

その中で最後に水を注すような事件。

「残念としか言いようがないんですけど、振り返ってどうですか?」はこっちに聞くべきでしたね。

残念、審判へのインタビューはできません。ああ、残念としか言いようがないんですけど、どうですか?

アンドレ・マリナー主審がアッ、どれ?

このようなカード取り違い事件は日本に限らない。

プレミアリーグではアンドレ・マリナー主審がアーセナルのキーラン・ギブスを間違えて退場させてしまったことがあった。

その際はペナルティエリア内でシュートを手で触ったという形だった。ファウルを犯したオックスレイド=チェンバレンではなく、ギブスが何故かレッドカードを受けることになった。

ただ、今回の件とは少し違いがある。

当時のサッカーのルールにおいては、ペナルティエリアで決定機阻止をした場合、レッドカードを出さなければならないと明記されていた。

アンドレ・マリナーはこの時点でレッドカードを取り出さなければならず、試合を壊す可能性があっても判断を下す必要があった。

しかし、今回の状況はわずかに異なる。

決定機阻止であったとしても、これはペナルティエリアの外で行われたファウルだ。怪我をさせるような悪質なタックルでもない。

100%レッドカードを出さなければならない状況ではないのだ。ここでただのファウルにしても、あるいはイエローで収めても、どちらも極めて大きな影響を与えるものにはならない。

結果的に今回はそのファウルが原因でゴールが決まっているとはいえ、もしイエローカードすら出さなくても試合自体が壊れることはなかっただろう。

間違った選手を退場させるリスクを冒してまで、決定機阻止のルールを守ろうと努力することはない。冤罪になるリスクを冒してまで誰かを逮捕するようなものだ。「あれは決定機阻止ではない」と判断を変えればいいだけだ。それができる時間は十分にあったはずである。

なぜこんなに大きな問題になったのか?

それは「わからない」のに「わかったふりをした」からだ。

「わかったふり大国」

これは人間が物事に対して取るべき態度の問題だ。

わからないのならば、それを認めた上で「例え間違っていても、最も影響が少ない選択肢」を取るべきであるし、自然と誰もがやっていることだ。

しかし、わからないままカードを出す決断をして、「わかったふりをして」平戸を退場させた。そのためにJリーグは不評を買い、弁解を余儀なくされ、大きなコストを支払うことになった。

例えばイエローも出さずにファウルだけの判定にしていたらどうなったか?ただ「家本、カード出せよ!」だけで済んだ話である。

ただ、これは社会全体がそういう状況になっていることへの違和感だということは明言したい。家本主審の能力に対する批判ではないし、彼が十分に経験と目を持ったレフェリーであることは分かっている。しかし、そのような審判が「わかったふり」をせねばならない社会への提言だ。

テレビを見ていれば分かるだろう。道を聞いても適当に答えられるような国と同じく、日本も紛れもなく「わかったふり大国」である。

タレントが政治や事件を語り、ある専門家に別の分野のコメントを求めて、間違ったらネットメディアが記事にして叩く。教育研究家にオネエ言葉で政治を語らせてどうするという話である。「押すなよ!押すなよ!」の世界だ。

もちろん専門家だって間違うことはある。1つの分野であっても、世界はそれだけ深く広いからだ。しかし、だからといって「素人の方が正しい」とはならない。ただ、誰もが間違うだけである。

なぜ日曜日の朝、野球しかやってこなかった人間の「喝」がサッカーに飛ぶのかという話である(最初と繋がったぞ)。

あそこは彼らに「分からない」と言わせない世界だ。「わかったふり」をしなければ、お金がもらえないのだ。仕事をしたと見做されないのだ。

皆さんの職場にもいないか?「わかったふりをして」語る偉い人々が。きっと、そうでなければ仕事をした気にならないのか、自分が偉いと思えないのだろう。

ただ、それは間違っている。

家本主審は「わかったふりをして」大きなリスクを生み出した。その事象は、「分からない」という態度を取れば完全に回避できたことだ。そこに間違いは絶対にない。結論を多少遅らせられれば、その時点での最適解に幾分近づける。

「分からない」ことにそんなに勇気が必要か?なぜそんな社会になってしまったのか?

こんなに宇宙は広く、人はこの狭い地球にある全ての国を回ることすら出来ない。知らないことが当然なのに、なぜなのだ?

さあ、僕と一緒に「わからない」といえる社会を作らないか。この日本わからない教に入れば、世界のすべてが見えてくるよ。フフフ。