京都人の気質を表すひとつの要素として、「いけず」という言葉が上げられることがあります。なぜこのような印象を与えるに至ったのでしょうか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、著者で京都に詳しい英学(はなぶさ がく)さんが歴史を紐解きつつその理由を解説するとともに、古都を取り仕切る「白足袋族」と呼ばれる人々についても紹介しています。

白足袋族

東京にはかつて「ヒルズ族」という人達がもてはやされました。今でも六本木ヒルズなどに住んでいる一部の富裕層の人達はヒルズ族なのでしょうが、そのような言葉はあまり聞かなくなりました。京都には昔から「白足袋族」という人達がいます。今回はその正体についてお話ししましょう。

京都の街は、たまに訪れるだけの観光客には知りえない世界があります。花街のしきたりなどもどこかベールに隠されたところがありますよね。我々が興味を持って突っ込んで理解しようとしても何か壁のようなものを感じる瞬間が多々あります。

京都に住む人々もまた「よそさん」には簡単に気を許そうとはしていない様子です。彼らは観光客を温かく迎えてくれるのかも知れませんが、いざ住んでみると違うのかもしれません。京都人はめったなことでは本音を表に出さないし、すぐにくだけて親しくなることを警戒する向きがあるようです。残念ながらこうした京都人の断片的なイメージが「いけず」だという印象を作り上げてしまっているのでしょう。

京都の歴史は、戦乱の歴史そのものです。室町時代の応仁の乱、その後の戦国時代、幕末の蛤御門の変など、戦のたびに京都はよそ者に破壊され続けてきました。常に危険と隣り合わせで自分の身は自分で守らなければという思いが京都人にはしみついてしまっているのかも知れません。そしていつしか他人に警戒的で排他的な習性が身についてしまったとも言えるでしょう。街の自治という意味でも、京都は常に天皇の居住地だったので、得体の知れないよそ者を排除しようとする圧力やそのような雰囲気はあったことでしょう。

よく東京の人は冷たいといいます。東京に住んでいると、東京出身の人の割合よりも、圧倒的に他府県から移住している人の割合が多いので、隣人を容易に信用しません。どこから来たどんな人か分からない人達ばかりだからです。他人から声を掛けられても不信に思うのが習慣的に身についています。このようなことは今も昔も大都市に住む住人の持つ一般的な感覚なのかもしれません。

一般的な京都人の中に、京都全体を取り仕切っている白足袋族がいます。僧侶、茶道家、呉服関係者、花街関係者など、社会的な影響力を持った裏の権力者たちのことです。裏と言ったらイメージが良くありませんが、影の実力者といったところでしょうか。京都の庶民は昔から「白足袋族には逆らうな」といった言い方をするそうです。

今もそうなのかも分かりませんが、白足袋族は表と裏に分けられるようです。公家、武士、学識のある僧侶で権力者に助言をしていた人などはいわば表の権力者です。室町や西陣の呉服商で経済を牛耳っている人、日本文化の代表者である茶道家や華道家などの家元達や、花街のおかみさんや芸舞妓さん達はいわば影の白足袋族といった感じでしょう。

このように見ていくと、白足袋族とは昔は権力者そのものと利害関係で結びつく特定の人達です。花街はむしろ京都の白足袋族に場を提供し、相手にしてきた人達で、白足袋族を見る目利きです。

平安時代以降明治維新まで政治を司ってきたのは天皇や幕府です。その表舞台で助言をしてきた人の中に僧侶がいます。嵯峨天皇の時代の空海や徳川家康の時の金地院崇伝などは有名な例です。政治的な権力者を陰で支え、コントロールし、経済を握ってきたのは呉服などで財を成した豪商と言われる人達です。現在は、天皇家は東京に住まいを移してしまい、公家は没落し、西陣や室町の呉服商もかつての勢いはありません。

現在の京都を支えるのは観光業ですが、京都の観光の目玉となっているのは何と言っても寺社仏閣です。ということは現在の白足袋族の頂点にいるのは僧侶と言えなくもないでしょう。もちろん、日本全国に支部を持つ茶道や華道の家元やその周辺の人達などもかなりの力はあると思いますが。

花街のおかみさんや芸舞妓さんは普段からとても厳しい修行を積んできています。それゆえ自分の中で確固たる物差しがあります。これが目利きです。舞妓さんは未成年だったりしますが、自分の物差しでお座敷に来るお客さんを見ています。彼女たちは、少し話をするだけでどんなお客さんかすぐに見透かしてしまいます。金持ちで偉そうなことを言っていても、舞妓さんから「大した人とちゃいます」と言われてしまったら、京都では生きていけなくなってしまいます。

京都ではこの目利きがないと、いくら地位や名誉があっても一目置かれません。おそらく庶民の人達もそのような自分の物差しをもった目利きがある人が少なからずいるのだと思います。そのような方達の厳しい目があるからこそ1,200年以上京都という街が洗練された都として存続してきたように思います。

もう数十年前になりますが、白足袋族の存在力を見せつけられた出来事がありました。1985年、当時の今川京都市長は古都税を創設しました。目的は寺社などの古都遺産を守るためです。京都市内の寺社へ支払う拝観料に対して課税するというものでした。例えばは拝観料が500円だったら、固都税の50円を上乗せして550円にするというものです。支払われた50円の税金部分は市に納められるというシステムです。

これに当時24の寺社が反対しました。そしてなんと拝観中止に踏み切ると宣言したのです。それでも古都税の実施が決まってしまったので、一部の寺社は実際に拝観停止を実行することになりました。門前に店を構える人達も、拝観中止を決めた寺院と共に苦難に立ち向かいました。清水寺の門前に並ぶ五条坂辺りも一時閑散になったといいます。京都仏教会も反対にまわり、当時会長を務めていた天皇陛下の叔父・東伏見会長も立ち上がりました。そしてついに、京都仏教会は京都市を相手取り訴訟を起こします。訴訟は少し時間がかかりましたが、1988年3月、京都市はついにこの反対に屈し古都税を廃止しました。京都仏教会の反対により京都を訪れる観光客はそれ以大人50円、子供30円の古都税を払わなくてもよくなりました。

こうした白足袋族の団結力やネットワークは、1,000年どころか2,000年以上続いています。都を京都の平安京に移した桓武天皇は、政治的影響力が強かった仏教勢力から離れた場所で政治がしたかったようです。平安時代、白河上皇は「賀茂川の水、双六の賽(さい)、山法師」を京の三不如意だと言っていたそうです。白河上皇は当時皇位を後継者に譲り上皇として院政という体制のなかで政治を行っていた絶対的権力者でした。その彼をもってしても、山法師(延暦寺の僧侶)を自分の思いのままにならないものの一つに挙げているぐらいです。1,000年以上も前から白足袋族は京都の影の権力者として存在していたことがよく分かるエピソードです。京都に住む人達はそのことに重々承知して暮らしてきたことでしょう。

ちなみに現在の門川大作京都市長はいつも和服を着ています。もしかしたら白足袋族に親近感を感じてもらうためにもそのような装いをしているのかも知れません。

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

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出典元:まぐまぐニュース!