左・紗倉まな『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』(宝島社)/右・鈴木涼美『愛と子宮に花束を 夜のオネエサンの母娘論』(幻冬舎)

写真拡大

「私はあなたが詐欺で捕まってもテロで捕まっても全力で味方するけど、AV女優になったら味方はできない」

 元AV女優で元日本経済新聞記者という異色の経歴をもち、現在は作家として活動している鈴木涼美は、先日出版したエッセイ集『愛と子宮に花束を 夜のオネエサンの母娘論』(幻冬舎)のなかで、AV出演の過去が家族に知られた結果、母から上記のような言葉をかけられたと明かし、読者を驚かせた。

 というのも、「週刊文春」(文藝春秋)2014年10月9日号に「日経新聞記者はAV女優だった! 70本以上出演で父は有名哲学者」と題された記事が掲載されて以降、彼女は「元AV女優で元日本経済新聞の記者」というインパクトの強い肩書きを打ち出しながら、社会学者・作家として活動していたからだ。

 彼女が家族にAV出演の過去がバレたのは週刊誌報道の4年前。復縁の可能性を絶たれた元恋人が逆上して彼女の親にメールを送ったのがきっかけだという。それから、鈴木氏の母親は亡くなるまでAV女優として働いていた経歴を許すことはなかったのだそうだ。

 現在、AV出演強要問題に関する社会的議論が続いているが、それと並行するようにここ最近は、恵比寿マスカッツのようにタレント業も兼務する存在が出現したことで「AVに出演する」ということへの心理的ハードルが下がり始めたと指摘される流れもあった。

 ただ、そのような例は、AV出演をめぐる社会認識のいち側面であって、世間にはやはり根強い偏見と拒否感がある。前掲『愛と子宮に花束を』では、母から言われたというこんな強烈な言葉たちも紹介されていた。

「前にあなたが詐欺やテロリストで世間からバッシングされても、私はあなたの娘としての素晴らしさをもって心の中で信じて守ってあげられるかもしれないけど、AV女優になったら守るすべを失った、って話したじゃない? ヤクの売人でも豊田商事みたいな悪徳商法でも、売りはらった後はお金しか手元に残らないから、償い続けたらいつかその過去を払拭するっていうの? そういうことができるかもしれないけど、身体やオンナを売るっていうことはさ、お金はもらうけど、それで何かを売り渡してはいるけど、それでも身体もオンナも売る前と変わらずあなたの手元に残るからね、だから一生消えないと思うのよ」
「もう少し元気になったらね、私、命が尽きるまでに、児童文学者で、女子大で保育士や幼稚園教諭を目指す娘たちに、絵本の素晴らしさを教えている立場でありながら、娘をよりによってAV嬢に育て上げてしまった、その責任について書いておかなきゃいけないと思っているの」

「AV女優になられるぐらいなら、クスリの売人にでもなったほうがマシ」と言わんばかりの、娘にしてみればかなり厳しい言葉だが、鈴木氏自体はこの言葉を親としての愛ゆえのものであると受け止めていた。実際、このような反応を示す母と、「週刊文春」報道後の周囲の反応とを引き比べて、彼女はこのように感じていたという。

〈週刊誌に経歴を書かれてさらにそれをワイドショーで小さく読まれたりしながら、なぜか過剰に反応して擁護してくる人たちを私は不気味に感じていた。経歴を肯定したり、なぜか褒めたりしてくる人間を信用できなかった。私をちゃんと愛している母は、絶対に私のことを肯定も許しもしなかったし、私を傷めつけ私が簡単に手に入れられたであろう幸福を奪った私自身を叱責し続けた。私はそれをすでに母に命をかけて教えられていた。だから私を安易に肯定する人間は気持ちが悪かった〉

 鈴木氏はこのように「AV女優」という職業に対しする母親の憎悪を、仕方がないものとして受け入れているようだが、まったく違う考え方をもつAV女優もいる。現在でも人気女優のひとりとして活躍している紗倉まなだ。

 紗倉はこれまでインタビューなどで「自らAV業界に応募した」「親も公認」といった話をしばしばしてきているが、実は最近、ことはそんなに単純ではなかったことを告白している。今年1月に発売されたスタイルブック『MANA』(サイゾー)のなかで、彼女は「親公認」の真相についてこのように綴っていた。

〈よく「家族は認めてくれたの?」との質問を投げかけられることがあります。私の場合、母親に"認めてもらって"はいます。ひとつだけ声を大にして言いたいのは、「母に認めてもらっている」とはいえ、進んで「よし、AVで立派に稼いで来い!」なんて運びではなかった、ということです。本当は普通に就職して、普通に結婚して、普通に子供を産んでほしいなどの自分が掴んだような幸せを願ったり、もしくは優良企業に勤めて玉の輿に乗ってほしいなどのちょっとした欲を上乗せした希望を、親は子供に抱いているはずなんです。私の母も例外ではありません。それでも、最終的に「元気に楽しく生きていてくれるならいい。職業に貴賤なし」と、深い愛情でしぶしぶ了解してくれました。眠れない辛い夜もきっとあったでしょうが、"親なりの苦しい応援の形=認める"、ということになったのです。
 ここをいつも省略して話してしまうから、「納得できない」と批判されるのかもしれませんね〉

 そのうえで、紗倉は前述『MANA』のなかでこんなことも綴っている。

〈「AV出演=人生崩壊」というイメージを払拭できたら。偏見という厚い鉄製の壁を壊す作業を、今はアイスピックくらいの小さい工具でほじくっているような気持ちです。ちょこちょこといじるのが私の楽しみであり、仕事のやりがいでもあります。「もしかしたら、何かの拍子にツンとつついたら壊れるかもしれない」と希望を抱けるのも、ある意味で"グレーな領域の仕事"だからこその醍醐味なのかもしれません〉

 同じAVと親の問題について語りながら、鈴木は親が許さなかったのを「愛情」だといい、紗倉は親がしぶしぶ許したのを「愛情」だという。そして、鈴木が偏見を仕方がないものと受け入れるのに対し、紗倉はその偏見が強固であることも知りながら、小さい工具でほじくり続けたい、と語る紗倉。

 鈴木涼美と紗倉まなは、AV女優としての体験を作家として昇華させているという意味で共通性をもっているが、そのスタンスは真逆なのだ。

 しかし、この違いは、作家としての姿勢にも表れているといってもいいだろう。自らもAV体験者でありながら、俯瞰的で突き放した視点でAV女優を描く鈴木と、AV女優として自分の内奥にあるものに向き合おうとする紗倉。

 そして、この親バレ問題の反応が象徴的だが、両者を見比べていると、最後は保守的、エリート主義的な価値観に回収されてしまう鈴木の物言いより、何かを突破しようと抗い続ける紗倉のほうについ、肩入れしまうのである。
(新田 樹)