『スパイダーマン:ホームカミング』が追求した、“青春学園もの”としての側面

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 『スパイダーマン:ホームカミング』は、当初の期待をはるかに超え、映像、脚本ともに完成度の高い娯楽作に仕上がっていた。「青春学園もの」としての側面を追求し、深刻な成長のテーマを、あくまでも軽快なタッチで描写する姿勢が新鮮ですがすがしい。アメコミヒーロー映画の一つの新しい描き方が確立されたと言っても過言ではないだろう。ここでは、そんな本作の魅力と、何が新しかったのかを、可能な限り深く掘り下げていきたい。

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 言わずと知れた、マーベル・コミックの看板ヒーロー、スパイダーマン。2002年にサム・ライミが監督、トビー・マグワイアが主演した『スパイダーマン』三部作は、近年のアメコミヒーロー映画ブームの先駆けとなった歴史的なシリーズだった。さらに、いったん企画をリブート(再起動)し、とくに恋愛部分を強調した、マーク・ウェブ監督、アンドリュー・ガーフィールド主演の『アメイジング・スパイダーマン』二作は、同じく映画化権を持つソニー・ピクチャーズによって制作されている。

 再度のリブートとなる本作、『スパイダーマン:ホームカミング』は、マーベル・スタジオと、ソニー・ピクチャーズがパートナーシップを結ぶことにより、お互いが権利を持つヒーローたちをひとつの作品に登場させることが実現した企画だ。マーベルを象徴する人気ヒーローであるスパイダーマンが、現在アメコミ映画ブームの先頭を躍進するマーベル・スタジオによる、ヒーローたちが作品の垣根を越えて活躍する世界「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」に加入することで、相乗的に人気が高まることを、双方の会社が期待したのである。

 本作は、すでにスパイダーマンが顔見せをしていた『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』において、彼がキャプテン・アメリカの盾を奪い取るという場面の舞台裏を写した映像から始まる。スパイダーマンの正体である、男子高校生ピーター・パーカーは、アイアンマンことトニー・スタークの求めに応じて、じつは前日から現地入りしていたのだ。ピーターは、見事にスタークの目論見通り、キャプテン・アメリカを出し抜くことに成功し、大活躍したその日は有頂天でホテルの滞在を楽しんでいたのである。トム・ホランドが演じる無邪気なその姿は、ヒーローというよりは等身大の可愛らしい高校生そのままである。

 本作に抜擢されたジョン・ワッツ監督は、『クラウン』、『COP CAR コップ・カー』と、子どもの世界に着目した作品を撮った監督である。ワッツ監督は、本作の「学園青春もの」としての魅力を高めるべく、彼が「学園映画のマスター」と呼ぶジョン・ヒューズ監督が撮った80年代の優れた青春映画を出演者たちに見せて、意思統一を図ったという。

 そのなかでも、若き日のマシュー・ブロデリックが、学校サボリの天才高校生を演じ、ハメを外しまくる一日を描いた『フェリスはある朝突然に』は傑作で、彼がズル休みがバレることをおそれ住宅地を駆け回る映像が、本作の劇中でそのまま使用されている。この作品は、『デッドプール』でもパロディーとして引用されているように人気が高い。また、本作でゼンデイヤが演じている、シニカルな態度をとるわりにはピーター・パーカーにまとわりついて、逐一彼の行動をチェックしている同級生の女の子・ミシェルのエキセントリックなキャラクターは、やはりジョン・ヒューズ監督の『ブレックファスト・クラブ』で、自主的に居残り授業を受けるようなアンニュイな女の子を参考にしているように思える。

 これらのジョン・ヒューズ作品には裏のテーマがある。それは、異なる価値観を持って断絶された大人と子どもの関係性を描き、大人の汚なさや弱さに失望しながらも、子どもの側が勇気を持って、大人の考えを理解しようと歩み寄るという部分だ。これは、自分自身が大人になって大人と対峙するという、子どもの成長を表しているのである。

 今回、スパイダーマンが戦う強敵は、空を飛ぶ“ヴァルチャー”だ。彼を演じるのは、過去にDCコミックスの象徴的ヒーローであるバットマンを演じ、さらにそのパロディー的な役柄として『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』に主演したマイケル・キートンだ。この男は、解体作業などを生業とする小さな会社の社長で、政界と結託したトニー・スタークの企業に、法律を後ろ盾に仕事を奪われるという仕打ちを受けたことでスタークに恨みを持っている。彼は業務のなかで手に入れたエイリアンの技術を悪用して空を飛びまわり、反社会的なハイテク武器商人として悪事を重ねていく。

 両親がいないために、マリサ・トメイが演じる異様にセクシーなメイおばさんと同居しているピーター・パーカーは、トニー・スタークに協力して以来、彼を理想の父のような存在として憧れていた。それは、父に対する子どもの感情である。その熱意が空回りしながらも、次第にヴァルチャーに迫っていくピーターだったが、その過程で、悪党に武器を売りさばき、ピーターの地元であるニューヨーク、クイーンズ区の安全を脅かしたヴァルチャーという怪人は、前述のとおりトニー・スタークが間接的に造り出した存在だということに気づくことになる。そもそもスターク自身も、かつては武器商人として戦争に加担して儲けていた人間だった。

 『アベンジャーズ』、および『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』にて、スタークはアイアンマンとして世界を救うことに尽力したことは確かだ。だがその過程で、新たに多くの罪のない人間が巻き添えになって死亡し、甚大な被害を出してしまったという負の側面があったことは、『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』でも語られていた。「大事のために小事を切り捨てる」……それが本意ではないにせよ、結果的に切り捨てられた人物が存在するのだ。その一人がヴァルチャーなのである。

 トニー・スタークには見えていない、小さな世界の悲劇。その現実に直面したピーター・パーカーは、理想の父と思っていたスタークとは別の道に進む決断をすることになる。彼は一人の大人としてスタークに向き合い、自分の見つけた生き方を選ぶことによって、一人前のヒーローに成長するのである。この構図は、そのままジョン・ヒューズ作品のテーマに結びついているといえよう。ここに至って、ジョン・ワッツ監督のこだわりを理解することができるのだ。

 だが、ジョン・ヒューズ監督の青春映画とは、明らかに異なる部分もある。ピーターの憎めない親友・ネッド、またピーターが片想いをする年上の女の子・リズをはじめ、アフリカ、アジア、中南米など、様々な人種が登場するという点である。この多様性を描くということが、現代のアメリカにおいて学園ものを撮ることの意義となっているはずだ。

 そんな同級生たちを助けるため、スパイダーマンがワシントン記念塔に登っていく高所アクションは、マーベル映画のなかでもベストといえる完成度である。特別なパワーを持ったヒーローの戦いは、「死ぬようなことはないだろう」という安心感が漂うことが多いが、失敗が死に直結するというシチュエーションを作り出したという点、しかもそのアクロバティックなアクションが、スパイダーマンの持ち味を活かしたものになっているという意味で、多くのアクション映画が、参考にしてほしいと思えるような、緊迫感にあふれる表現が達成されていた。(小野寺系)