「忖度」という言葉が独り歩きした2017年でしたが、終戦記念日を迎えてこの数年ひしひしと感じていることがありまして。

小池百合子女史の「私はAI」発言という物件

 「空気を読む」ってあるじゃないですか。きっとみんなこう思ってるんだろうなあ、って先回りして、自分の意見を押し殺すやつ。そんな日本社会や組織で良くあることとして、トップが突然何故か頓珍漢なことを言い出すっていうのがあります。「あれやろう」とか「こうしよう」とか、意気込みは分かるんだけど、「ああ、これはきっと上手くいかないんだろうな」と思うようなことをやり始めるのです。それって合理的なの?  本当に実現できると思ってそう言ってるの?  誰に相談したの?  賛成とか反対とか、それなりに吟味した結果がそのトップダウン?  マジで?

 現場として疑問に思うことは多々あれど、うっかり反対意見を言って、上から睨まれると面倒くさいし未来が閉ざされるから、空気を読んで正面からは反対しない。ああ日本人。まあ、私が言ってもたぶん変わらないであろうし、誰かとつるんで「やめてくれ」と叫んでも決めた本人はダルそうにして無視するんだろうなあと思うと、余計なことはしたくない。徒労になりそうだから言わないってこと、多いじゃないですか。

 先日、東京都知事の小池百合子女史が定例記者会見で「私はAI」とか言い出して、この人本当に馬鹿なんじゃないかと思った物件がありました。本格的におかしいんじゃないの、この人。豊洲移転の決定事項が都庁内に文書で残っていなかったと石原慎太郎元都知事をあれだけ攻撃しておいて、今回都議選前に突然出てきた「豊洲市場と築地市場の併用案」に関しては小池女史が独断で決めちゃってたわけですよ。とても可燃性の高い逸品です。たぶん、舛添要一さんが実にくだらない絵画や中古車の購入でメディアの大バッシングに遭い引きずり降ろされたようなトリガーになるんじゃないかと思う内容なんですよね。


五輪旗を振る小池都知事 ©getty

レガシーはどこにいったんだよ

 豊洲市場への移転反対にしても、築地市場を閉鎖して一部を湾岸部の大動脈となる2号線にしなければオリンピックで一番の見所は築地近辺の大渋滞ということになってしまいます。世界各国からギャラリー呼んできて「動かない車の列」を鑑賞するという。普段あまりにも渋滞が酷いので築地市場の空中から環境基準を超えるベンゼンまで出てしまいました。豊洲市場の使いもしない地下水に汚染が出たとか騒いでいたのはなんだったんでしょう。

 そのまま行ったら渋滞がヤバイので対策するはずだった2号線は突貫工事でも完成しないだろうし、仮設でも2号線がなければ東京オリンピックの選手村と競技会場が直結できないという謎の五輪になる。仮設ってことは、いずれ五輪が終わったら金かけて作った仮設もぶっ壊して本来の工事をするわけです。レガシーはどこにいったんだよ。すでに決まってた豊洲市場移転に小池女史が手を突っ込んだ一年が無駄になったという話だけでなく、国立競技場もその他競技を行う会場も満足に決まってないわけです。もう開催まで3年とかしかないんですけど。千葉とか埼玉とか神奈川とか周辺の自治体の偉いおっさん達もなんか怒ってる。怒るの当たり前ですよね、どの会場をどう使うのか、東京都がどのぐらいの費用負担をするのかすら決まってないものがあるんですから。

 ああ、これはきっとうまくいかないんだろうなあ、東京オリンピック。

東芝、東電 「大将、そら無理でんがな」と声を上げることもできず

 また、一連の加計学園問題では、獣医学部の新設にあたって文部科学行政がいかにいけてなかったかも話題になっていました。その中でも、鳴り物入りで司法改革の一助となるべく導入されたはずの法科大学院とかどうしようもない状況になっているわけですよ。たぶん、法学に限らず大学で多少なりとも活動している人たちからすれば「ああ、きっとうまくいかないんだろうなあ」と思いながらも、まあ全大学横断的にやるぞという話ならしょうがないんだろうなあと一歩踏み出してみたらこのザマです。もちろん理想は分かるんですけど、法曹界の一部が理想としていた陪審制度であれ法科大学院であれ、現場の人たちはこれは駄目なんだろうな、でも止められないんだろうな、という葛藤は持ちつつも、意志決定者に「大将、そら無理でんがな」と声を上げることもできず、ずるずると負け戦を分かって引っ張られていく。

 投資の界隈でも東芝だジャパンディスプレイだ東京電力だ、これはもう駄目かも分からんねと言いたい企業がいまなお経済メディア一面で取り上げられ続けているのも、意思決定者に対する忖度と現場が読む空気感に支配されておるからです。本来、東芝なんざとっとと上場廃止だろ。東京電力もいつまでも国の責任で行う賠償が確定しないから賠償会社とサービス会社を分離したりできず、日々の生活を支える送電で頑張ってる現場が可哀想だ。負け戦と分かっていても監査制度は踏みにじられ、上場基準は捻じ曲げられ、本来退場するべき企業が上場を続けていたり、白旗が上がっていなければならない状況でもまだ戦えると戦力の逐次投入を強いられて、社会全体が不信感と出血に苛まれながら自縄自縛となるのです。その東芝に不思議な介入をした世耕弘成さんは経済産業大臣に留任ですよ。ロシア外交でもあれだけの失敗をしておきながら、なぜその重要閣僚のポジションに留まれるのか、意味が分からないのです。


東芝は1兆円に近い大赤字を出した ©getty

負け戦の根源は「人口オーナス」

 負け戦の根源は日本の国力低下であり、その主要因は人口オーナスと言われる高齢化と人口減少です。とりわけ労働人口の減少は増える高齢者福祉を支えられることなど誰もが無理だと分かっていながら、うっかり「高齢者は死ね」とやると社会的に殺されかねないぐらいの制裁を喰らう、だから誰もそうは言わない。綺麗事なのか、人口減少でも大丈夫だぐらいのことをいう評論家や政治家はたくさんいます。大丈夫なわけないだろ。

 いままでの政策の延長線上でやると消費税でもなんでも増税しなければならない一方で、国際競争力を維持するぞとなると法人税は下げろとなって、貧富の差は拡大する方向に動くし、景気も冷える。財源は無いのに増大する社会保障費をどうにかしなければとなれば、人口減少しても大丈夫なような社会制度に変えようとならざるを得ないという、非常にむつかしい舵取りを現代日本は強いられているわけですよ。本来は、森友学園とか加計学園とかで倒閣運動するよりも、んで私たちの20年後はどうするんでしょうかねという話をしなければならないのにおざなりになっているようにも見えます。

 たぶん、国民の大多数は「これはもう負け戦だ」と思ってるんですよ。一歩間違えば、また焼け野原待ったなしだという気持ちすらある人もいるかもしれない。ただ、誰しも失敗の責任は取りたくないし、切り捨てられる側に回るのはまっぴらだ。どうせ駄目なら静かにして目を付けられず、人生の最後までしがみついていたい、たとえ沈む瞬間までの命だったとしても。

この20年、閉塞感が半端ない状況に陥っている原因

 そういう状況はみんな自覚しているから、総論では改革だ革命だと叫ぶんですよね。何かを変えてくれるかもしれないと小池百合子女史に投票し、現状を打開して欲しいと願う。あるいは安倍政権に、司法制度改革に、税と社会保障の一体改革に、一縷の望みを託すのです。でも、実際に起きていることはさらなる混乱であり、とどめようのない低迷であり、うすぼんやりとした希望に過ぎないのでしょう。日本人が「また敗戦の焼け野原からやり直せればいいや」と割り切れればいいのかもしれませんけど、この20年、改革の必要性を叫びながらずるずると後退して閉塞感が半端ない状況に陥っているのは、私たち日本人が昨日より良い明日が来るために何ができるのかあまりきちんと考えずに空気を読みながら日々を汲々と生きて、誰か改革者が出てきて一夜にして世の中を良い方向へ変えてくれることを期待してしまったからなんじゃないかと思うんですよね。

 そしてそんな神風など吹かず、偉大な指導者が出てくるはずもなく、空気を読む現場の日本人に相応しい程度の人間しか政治でリーダーシップを揮えないという状況なのでしょう。きっと、先の大戦もこういう敗戦ムードをひしひしと感じながら、ひたすらクビをすぼめて生きていたんじゃないかと思うんですよ。もうこの状況は止められないし、誰についていったらいいのかも分からない。なんかそれっぽい人が出てきたら飛びついちゃうって感じなんでしょうか。

 そういう私も一年前の都知事選では小池百合子女史に投票しました。

 本当に申し訳ございませんでした。


©getty

(山本 一郎)