星野源、「Family Song」で向き合った新たな家族観「“これからの歌”をまたつくりたいと思った」

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 星野源が、10thシングル『Family Song』を8月16日にリリースした。今回リアルサウンドでは、前作『恋』リリースインタビューに続き、音楽ジャーナリストの高橋芳朗氏による星野源インタビューを掲載。3回にわたる特集でお届けする。

 第1回のインタビューでは、『恋」以降の制作への意識の変化や『Family Song』の作品背景、「家族」というテーマについて語られた。星野源がこれまでの作品を経て新たに意識をもったこと、表題曲が主題歌を務める『過保護のカホコ』(日本テレビ系)との関係から、今作がブラックミュージックを昇華した作品であることなどについてじっくりと語っている。(編集部)

・『YELLOW DANCER』でやっていたことをもう一度引き戻したい

ーー去年9月の『恋』のリリース直前のインタビューの際、『YELLOW DANCER』(2015年)の成功が星野さんの制作環境にどんな影響を与えたか、という質問をしました。そのときは「予算を気にせずつくれるようになったこと」「自分の感覚に自信を持てるようになったこと」などを挙げていましたが、破格の大ヒットになった「恋」に関してはどうでしょう?

星野源(以下、星野):より自分の感覚に自信がもてるようになりました。自分が好きなことをやっていいんだなって。「恋」はドラマ(TBSテレビ系『逃げるは恥だが役に立つ』。2016年10月〜12月放送)の主題歌ではあるんですけど、リリース自体はドラマの放送が始まる1週間前だったから、ドラマの宣伝力というものをほとんど使っていない状態で発売されているんですよ。それでも、その時点ですごい枚数が出ていたのがすごくうれしくて。それで「まちがってないんだ!」ということが実感できたんです。

ーーなるほど。

星野:そこから、ドラマの力でさらに大きなヒットになっていって。自分の感覚としては、いきなりワケのわからない特大ヒットになったのではなく、あらかじめヒットを実感したなかで大きなヒットにつながっていった感じなんです。だから、あの巨大なうねりみたいなものが自分の力で起きたものではないという自覚はすごくあるし、自分の力で起きた現象はこのぐらいだろうという認識もできていて。ドラマには自分も出ていたから複合的な力ももちろんあるとは思うんですけど、ある意味ボーナスステージみたいな感じだったので、そこは意識しないほうがいいだろうなと。今回のシングルもなにをどう動いたところでたぶん一緒というか、意識してもしなくても騒ぐ人は騒ぐと思うので、じゃあただただ好きにやってやろうという感じでした。

ーー星野さんはオフィシャルイヤーブック『YELLOW MAGAZINE 2016-2017』のインタビュー中、「恋」で得た確信について「やっぱりわかりやすくするという作業は必要ない」「大衆に合わせてレベルを落とすということはまったく意味がない」とお話していました。そういう感覚は今回のシングルの制作においてより強く反映されていますか?

星野:そうですね、もう意識していないぐらいかもしれないです。その感覚がもうニュートラルになっているというか。いまは当たり前にそれができている感じではあります。

ーー自分の衝動に忠実なものをつくっていく態勢や状況が整ったと。

星野:ただ、たとえば今回の「Family Song」はドラマの主題歌になるわけで(日本テレビ系『過保護のカホコ』。2017年7月より放送)。そのなかで自分がやりたいことは、ドラマと関係のない曲をつくることではないんですよ。むしろドラマとすごく関係のある曲でありながら、自分のつくりたい音楽にもちゃんと正直である曲をつくることなんです。ドラマの主題歌として番組と一緒に仕事をするおもしろさを感じながら自由に好きなものをつくるという、そのふたつの軸を同時に走らせることを忘れないようにしながらつくっていった感じですね。

ーー今回の『Family Song』では『恋』以上にシングルを通しての作品性を濃密にすることを心掛けたそうですが、シングル全体をひっくるめての通底したテーマはなんでしょう?

星野:自分の好きなブラックミュージックのいろいろな年代のいろいろな部分を、遊びながら自分の音楽として出していきたいというのがあって。『恋』のときにシングルの収録曲すべてに作品性を持たせたいと思って、実際にやってみたらすごく良いものができた実感があったんです。今回はより意識してやってみた感じですね。もうアルバムをつくるぐらいの気持ちというか。

ーー星野さんはブラックミュージックを日本人である自分を通して表現するイエローミュージックというコンセプトを『YELLOW DANCER』で標榜するようになって、それが「恋」をもってひとつの完成を迎えたと『YELLOW MAGAZINE』のインタビューで話していました。「恋」でそういう手応えを得たことは、今回の制作やブラックミュージックとの向き合い方にどんな影響を及ぼしていますか?

星野:「恋」のときはイエローミュージックという言葉やコンセプトを考えなくても伝わるような感じにしたいと思っていたんですけど、今回は『YELLOW DANCER』でやっていたことをもう一度引き戻したくて。というのも、「恋」ではパッと聞いただけでわかるイエローミュージック感を出すことが最優先になっていて、ブラックミュージックを消化するという作業は二番目になっていた感じがあったんです。『YELLOW DANCER』でやったことを「恋」を通じていろいろな人に認識してもらったあとで、『YELLOW DANCER』を置いていかずにもう一度もっと濃い感じでブラックミュージックを昇華した作品をつくりたいとは思っていました。

ーー今回は「作品性を濃密にすること」と併せて「しっかり遊ぶこと」も意識していたということですが、この「しっかり遊ぶこと」の意図について詳しく教えてもらえますか? 「収録曲すべてを通してたくさん遊んだ作品になりました」ともコメントしていますよね。

星野:守りに入るような感じにはしたくない、という思いの表れが「遊ぶ」という言葉につながっているんだと思います。さっき「『YELLOW DANCER』でやっていたことをもう一度引き戻したい」って話しましたけど、『YELLOW DANCER』と同じラインのことをやるのはすごく安心できるんですよ。なぜかというと、すでにそれは一度やったことがあるから。でもそうじゃなくて、もうちょっとちがうところ、コンセプトの根っこは一緒なんだけど、たどり着けていない場所に行くためにはただ同じことをやっていてはダメなんじゃないかと思って。まだ一度もやっていないリズム、まだ一度もやっていないアプローチに挑戦したんです。感覚的な話になっちゃいますけど、前やったことをなぞってちょっと変化させてつくるみたいな感じではダメだと思ったんですよね。それこそ「Family Song」は『SUN』(2015年)をつくったときぐらいの五里霧中感というか、霧のなかを進んでるみたいな感覚だったんです。「こういう音がテレビから流れてきたら超おもしろい!」という思いで曲をつくってるのは自分のなかで遊びの感覚なんですけど、それを昔の曲の上辺だけをちょっとなぞったものにしちゃったら、イエローミュージックだなんだってこれまで言ってきたものがぜんぶ崩れてしまうと思って。今回の「Family Song」のラインは実現できるかどうかもわからないぐらいドキドキする感じだったんです。そういうのもひっくるめて、自分のなかでは「音楽で遊ぶ」という感覚になっていて。それでそういう言葉になったんだと思います。

ーー今回の4曲は基本的に5月から始まった『Continues』ツアー中につくっているわけですよね。

星野:そうですね。

ーーツアー中につくったことは作品全体のテンションになんらかの影響を与えていると思います?

星野:それはあると思います。今回はライブ後にホテルで作曲することが多かったんですよ。ホテルってシーンとしていてひとり感が強いというか、部屋に自分の身近なものがまったくないじゃないですか。漠然とした言い方になっちゃいますけど、意識を飛ばしやすいというか、なにかとつながってる感じがするんですよね。中学生のとき、深夜に自分の部屋にいるんだけど、家族みんな寝ていて自分ひとりが起きているんだけど、なんかいまの自分と同じような誰かがどこかにいるんじゃないか、みたいな。そういうひとりぼっちなんだけどどこかで誰かとつながってるような感覚のなかで作曲をしたり、行き詰まったり、テレビや映画を観たり、音楽を聴いたりしていたんです。そういう状態でつくったことが曲になにかしら作用しているとは思うんですよね。自宅だとホッとしちゃってるから、やっぱり誰かとつながるアンテナみたいなものの強度は減ると思うので。さっきまでライブで何万人ものお客さんからものすごい声援をもらったあとで、みんなとご飯にも行かず一人でお弁当食べてシーンとしたなかでひとりぼっちで作曲しているわけですから、なにかしらの作用はきっとあったと思います。

ーーツアー中は毎週末に必ずバンドメンバーと会うわけですよね。

星野:そうです。

ーーそういう環境が曲づくりに与えた影響はありますか?

星野:いや、それは特にないと思います。……いまそうやって言われて思ったのは、今回の曲たちは自分と自分以外の他人との距離に対して自覚的なものばかりですね。距離感というものをちゃんとリアルに感じながら作った曲というか。どんなに近づいてもひとつになれないとか、どんな遠い場所にいてもつながっているとか。それはもしかしたら、さっきまで何万人もの人たちと一緒にいたのに、いまはひとりぼっち、みたいものが気分として作用してるのかもしれないですね。

・家族のかたちも変わってきてる

ーーでは、ここからはシングルの収録曲について1曲ずつお話を聞かせてください。まずは表題曲の「Family Song」ですね。

星野:まず最初にドラマの主題歌のオファーがあったんです。『おげんさんといっしょ』(NHK総合で2017年5月4日放送)で旦那さん役だった高畑充希ちゃんが主演の『過保護のカホコ』というドラマですね。『おげんさん』のキャスティングは僕とスタッフで一緒に考えたんですけど、そのときはもちろんまだこの話は知らなくて。裏で主題歌のオファーがあったらしいんですけど、知らないままに充希ちゃんにオファーをして、共演して。そのあと、番組が終わったあとに「実は」みたいなことになって。そういう偶然の縁があったんです。で、そのドラマが家族をテーマにしているので家族を題材にした曲を書こうと思ったのと、あとはドラマ側からの要望としてアップテンポではない曲調でお願いしますというのがあって。でも、バラードでもなく悲しい感じでもなく、というリクエストだったんです。僕はここ何年かシングルもアルバムのリード曲もずっとアップテンポだったんです。そのなかでも極めつけが「恋」で、あれはむちゃくちゃ速い曲になったじゃないですか。だから次はちがうリズムというか、速いテンポじゃない曲をつくりたいとちょうど思っていたので「これはいいタイミング!」と思って。じゃあどういうものにしようかって考えたとき、60年代末から70年代初めぐらいのソウルミュージックをやりたいと思ったんです。今回はテレビドラマの主題歌ということで、そういう曲が新曲としてテレビから流れてきたらすごい楽しいなと思って。あの当時のソウルミュージックを自分のフィルターを通してやりたいと思ってつくっていきました。

ーー星野さんは家族というテーマを扱うにあたって「自分にとって家族とはなんだろうと考えながら歌詞を書きました」とコメントしています。その成果は〈出会いに意味などないけれど 血の色 形も違うけれど いつまでも側にいることが できたらいいだろうな〉〈あなたは 何処でも行ける あなたは何にでもなれる〉などの歌詞に反映されている印象がありますが、家族について考えた結果どんなことを歌おうと思いましたか?

星野:「恋」のときもそうだったんですけど、家族やファミリーってめちゃくちゃポピュラーな言葉じゃないですか。ちょっと普遍的すぎるというか。それをなんとなくの印象ではなく、この機会にちゃんと考えてみたくて。そんななかで、「恋」のときに題材にした恋愛と同じように、家族というものもどんどんかたちが変わってきていると思ったんです。恋愛のかたちが変わっていくのにしたがって、必然的に家族のかたちも変わってきてるんですよね。これからは両親が同性の家族も増えてくるだろうし、そういう多様化のなかでちゃんとそれを受け止める器の大きい「これからの歌」をまたつくりたいと。もう血のつながりとか一緒に暮らしているかどうかとか、そもそも人間かどうかっていうのも関係ないんじゃないかって。そういうことを考えながら「なにが家族なんだろう?」って思ったとき、相手のことを何の見返りもなく心から無事であるように願えるとか、少しでも幸せであるようにと思えるとか、そういう関係を家族というのだろうと思って歌詞を書きました。

ーーそういうことを歌うにあたって、昨今の社会に漂う閉塞感や息苦しさみたいなものは影響していますか?

星野:ありますね。主にメディアから発せられるものに対して息苦しさを感じていたので、ホッとするような歌をつくりたいという気持ちがありました。温かくなるような、なにか大きなものにハグしてもらっている感じというか。そういった安らぎのような部分と、ドラマの主題歌として古いソウルミュージックを現在の音楽としてやることの過激さ、両方のおもしろみを両立できたらと考えていました。

ーー僕はもう曲を聴く以前、「Family Song」というタイトルが発表になって、そこに「家族をテーマにしたソウルミュージックにしたいと思いました」という星野さんのコメントが添えられているのを目にした時点で親指が立ってしまって(笑)。

星野:ハハハハハ! それはどういうことなんですか?

ーーというのも、僕にとってファミリーという言葉はソウルミュージック用語みたいな感覚があるんですよ。ソウルミュージックはジャクソン5を筆頭にファミリーのグループが多いこともあるし、そもそもブラックミュージックひっくるめて考えてもファミリーを題材にした曲がすごく多いんですよね。しかもそこで歌われるファミリーは単なる家族のことではなく、いま星野さんが話していたようなもっと広義でのファミリーを指すことも多くて。博愛のニュアンスが込められていたり、団結を促していたり、もうそのまま「愛」と訳してもいいんじゃないかと思うような使われ方をしているケースもあったり。だから、ソウルミュージックを通して家族を歌ったり家族について考えること自体、ソウルやブラックミュージックの根幹に触れるような行為になると思ったんです。

星野:ソウルミュージック=家族だから、ソウルを選んだわけじゃないですね(笑)。

ーー覚悟していたので大丈夫です(笑)。

星野:「Family Affair」(スライ&ザ・ファミリー・ストーンの1971年のヒット曲)とかファミリーがタイトルにつく曲が多いとは思っていましたけど……でも、最近のヒップホップアーティストでも、最先端でいろいろなものを引っ張ってる刺激的な人が、家族のこととか、インスタグラムにも子供の写真ばかり上げてたり、そういうの素敵ですよね。なんかすごくホッとするというか。シリアスな曲も大好きなんですけど、ぜんぜんシリアスじゃないもの、たとえばブルーノ・マーズが「ストロベリーシャンパン飲もうぜ」みたいに歌ってる(2016年作「That’s What I Like」参照)、その感じに逆に凄みを感じるというか、ものすごいヒリヒリとしたパワーや力強さを感じるんですよね。

ーー最近のヒップホップ作品ではチャンス・ザ・ラッパー『Coloring Book』(2016年)を筆頭に、ケンドリック・ラマー『DAMN.』(2017年)やカニエ・ウェスト『The Life of Pablo』(2016年)にもファミリーについての言及があるし、こないだリリースされたばかりのジェイ・Zのニューアルバム『4:44』に至っては家族がメインテーマのひとつになっていたようなところがありました。

星野:どのアルバムも大好きです。さっき芳朗さんも言ってましたけど、家族について真剣に考えると、「家族」って言葉はほぼ「愛」と同義なんじゃないかっていうのはすごく思いましたね。家族について書いていると、結局は愛についての歌になる。いろいろ取っ払って本当の真心で書いたらすぐにできあがった、みたいな。そんな感じなんですよ。

第二回インタビューに続く(取材・文=高橋芳朗)