昨年のリオデジャネイロ五輪では荒井広宙(ひろおき/自衛隊体育学校)が銅メダルを獲得。期待されていた谷井孝行(自衛隊体育学校)は、体調を仕上げられず失速する結果だったが、日本陸連の今村文男競歩オリンピック強化コーチは「人が代わってもメダルを獲れるという、日本競歩の強さを見せる結果になった」と評価していた。


リオ五輪では1つだったメダルを今大会は2つに増やした

 その今村コーチが次の目標にして挙げたのは、”1大会複数メダル”というもの。それを1年で達成してしまったのが、世界陸上ロンドン大会の最終日に行なわれた男子50kmだった。

 今回は、リオ五輪金メダリストのマテイ・トート(スロバキア)の血液データが「生体パスポート」で異常な数値を示し、暫定的資格停止処分になって出場できなかった。さらに大会直前には、リオ銀メダリストのジャレド・タレント(オーストラリア)もケガで欠場が決まり、日本勢にとっては有利な状況になっていた。

 ただ、そのチャンスに臨む日本チームも、代表3人のうち荒井以外のふたりは世界大会のメダルや入賞の実績を持っておらず、50kmに出場するのは今回で2回目と3回目という新顔だ。

 小林快(ビッグカメラ)は初50kmだった昨年10月の全日本50km競歩高畠大会を、陸連の派遣設定記録を突破する3時間42分06秒で制して代表内定を決めた。 丸尾知司(愛知製鋼)も、小林と同様に高畠が初50kmだったが、4時間02分36秒で4位になり、今年4月の日本選手権で3時間49分17秒の2位となり、代表入りを果たした。ともに20kmでは国際大会にも出場していたが、50kmとなると未知数だった。

 今大会で最も早い朝7時46分にスタートしたレースは、3km過ぎから予想通りに世界記録を持つヨハン・ディニ(フランス)が3時間30分台中盤のペースで飛び出した。5km手前でトイレに行くハプニングもあったが、すぐに単独トップの態勢築く。

 このディニの動きに、日本勢を含むほかの選手はまったく対応しなかった。気温は14度とはいえ、これから陽差しが強くなるなかでディニの驚異的なペースについていけば、後半潰れる可能性が高い。そのうえディニは、昨年のリオ五輪で同じように飛び出しながらも、後半は大失速して8位に落ちるなど、途中棄権や失格が多い不安定な選手だからだ。

 しかし、今大会のディニは本物だった。中盤もペースを落とすことなく、後半はさらにペースを上げた。その結果、3時間33分12秒の大会記録を出し、世界選手権の初タイトルを獲得した。

 一方の追走集団は、全員がリオ五輪銅メダリストの荒井の動きをマークする展開になる。集団は36kmを過ぎてからは、荒井が先頭に立って引っ張り、それまでの2km8分55秒ペースを8分46秒にまで引き上げた。その仕掛けについてこられたのは小林だけ。40kmでは、ふたりが4位のエバン・ダンフィー(カナダ)に27秒差をつけてダブル表彰台を確実にした。

「荒井さんが他の選手を振り落とした時に、ついていけたのが一番よかったと思う。中盤に警告カードが出て、焦って硬くなった時も荒井さんに声をかけてもらって、何とか冷静さを保つことができた。ふたりになってからも何度も声をかけてくれて、『ふたりでメダルを獲るぞ』とペースを作ってくれたので、何とかついていくことができた」と小林はレースを振り返る。

 荒井も、「同じ日本人同士でバチバチするのもどうかと思ったし、ずっと合宿も一緒にやってきたので他人とは思えない(笑)。チームとして協力し合えるところはちゃんと協力して、彼の呼吸が荒くなっていたところでは僕が引っ張るというか、ペースメーカーになって彼のポテンシャルを最大限引き出せればいいと思っていました」

 42kmから48kmまでの2kmごとのラップタイムが8分52秒に落ちていたのは、そんな理由からだ。

 イゴール・グラヴァン(ウクライナ)には48km通過で11秒差まで詰められたが、ラストは再びペースを上げて、ふたりの順位争いに焦点が絞られた。

「小林くんの出方次第だったけど、このまま行って最後は3位ということになっても仕方ないなと思っていました」と荒井は言う。一方、小林は「最後は荒井さんが『もう行くよ』と言ってペースを上げて、さすがにそこでついていけなかったですね」と苦笑する。

 結果はガッツポーズをしながらゴールした荒井が3時間41分17秒で銀メダル、小林は2秒遅れて3時間41分19秒の自己新で銅メダル。さらに丸尾も3時間43分03秒の自己新で5位になり、日本勢は全員入賞という素晴らしい結果となった。

 小林は「メダルを獲れたことはうれしかったけど、前には荒井さんがいて日本人1位ではないので、喜んでいいのか悪いのかと複雑な気持ちでした。ただ、先にゴールした荒井さんがすごい笑顔で待っていてくれたので、それはすごくうれしかったですね」と言う。

 荒井も「本当に何年か前には考えられなかったし、夢でしかないと思っていた複数メダルというのを現実にできたので、今の時代に競歩ができて幸福だなと思いますね。それに丸尾くんもコースですれ違う時にたびに見ていましたが、安定していて普段通りのレースを意識しているのがよくわかりました。チームジャパンとして、みんなで合宿をして、一緒に食事をして、交流を持ちながらやってきたのがよかったのかなと思う。だけど、まだまだ発展途上だと思っている。もっともっと強くなれると思います」と笑顔を見せた。その言葉の裏にはもちろん、今回欠場したトートやタレントといった強豪が出てきた時も、このようなレースをしたいという思いがある。

 世界選手権銅メダルの実績を持つ谷井や、入賞経験を持つ森岡紘一朗(富士通)もいる日本チーム。小林は初出場でメダルを獲得できた理由を、「去年、荒井さんが銅メダルを獲得して、2年前には谷井さんも銅メダルを獲得している。その人たちを目標にして遜色のない練習ができれば戦えるという気持ちがあったので、世界に怖さを感じることはありませんでした」と言う。また荒井も「合宿では、谷井さんも森岡さんも自分の練習に協力してくれた」と感謝する。

 競歩チームは早くから科学的なデータ収集に取り組み、今では陸連の医科学委員会の協力も得て、コンディショニングや暑さ対策を実施している。たとえば、選手それぞれの発汗量や体重減少を見て、試合時だけではなく練習の前後に必要な給水量を出し、個々の選手に対応する細かな対策をしている。

 今回もそんな様々なデータから割り出した選手たちの目標タイムが、荒井は3時間40〜38分の自己記録で、小林は自己記録の3時間42分08秒を40秒くらい更新すること。さらに3時間49分17秒がベストだった丸尾に関しては、2km9分のペースで歩き、入賞圏内の3時間45分を目標にするというものだった。

 荒井は、途中で小林のペースに合わせたため実現できなかったが、小林と丸尾はその目標を見事クリア。丸尾は「周りを気にせず自分のペースで歩けたのがよかったですし、必ず前の集団から落ちてくる選手がいるとわかっていたので冷静に歩けた。自分の順位はわかっていて『少しでも前を』と思っていましたが、欲張りすぎて最後にゴールできなくなってもいけないので、給水のたびに今村コーチの顔色を伺いながら歩いていました。今回は後半にペースを上げられて、目標よりいい記録を出せたのが自信になった」と振り返る。

 今大会男子20kmでは、藤澤勇(ALSOK)の11位が最高で本来の力は発揮できなかったものの、50kmでは、実績のある谷井や森岡というベテランもいるなかで、新顔がしっかりと結果を残した。「誰が出てもメダル争いができるチーム作り」という面でも、2020年東京五輪に向けて競歩は理想的な状況になってきた。

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