家族は耳が遠くなるのを放っておかずサポートを(写真/アフロ)

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 父の急死で突然、認知症の母を支える立場となった女性セブンのN記者(53才・女性)。落語鑑賞が趣味だったという母に変化はあったのだろうか――。

 母は、父と暮らしたマンションでの危険な独居(調理中、あわややけどしそうになったり…)を脱出し、私の住まいにも近いサービス付き高齢者住宅へ引っ越した。高齢になってからの、しかも認知症のある人の転居は、さらに深刻な危険をはらむといわれる。勝手のわからない街や住まいはそれだけでもストレスだし、友人や顔見知りもいないところで孤立し、会話がなくなれば、認知症はどんどん進行してしまうからだ。

 そんな大きな危険も覚悟の上の新生活。でも母の場合は“産むが易し”だったようだ。 引っ越したばかりの頃、エネルギッシュな富士山の絵で知られる、片岡球子さんの展覧会に誘って出かけた。母は彼女の大ファンなのである。

「やっぱり片岡球子さんの絵はいいわね〜。元気が出るわ」と、会場では興奮気味に言っていたのに、帰りの電車に乗るやいなや、「今日は楽しかったね…あれ、どこへ行ったんだっけ? 帰宅するとマンションの人が、“娘さんとどこへ行ったの?”って聞くの。いつも答えられないのよね…」。

 10分前、あんなに感動したことは忘れちゃうのに、新居の仲間に返答できずに困ったことは覚えている。これぞ認知症の七不思議だ。

 でも朝昼晩と、マンション内にある食堂で食事をしながら、おしゃべりして楽しく過ごしているのだと思うとうれしくなり、展覧会のチラシを母のズボンのポケットに入れてあげた。

◆「聞こえないとつまらない」→居眠り→忘れる

「認知症になると、クイズや歌番組は楽しめるけれど、ドラマは直前のストーリーを覚えていられないので、つまらなくなって見なくなります」

 認知症の取材で、専門医にそう聞いたことがある。なるほど。すると母も芝居や落語はだんだん難しくなる。それでも落語と聞けば飛びつくし、「笑うことは脳にいい」ということも取材先で聞いた。「本当に母は楽しんでいるのだろうか…」と内心疑いつつ、母と落語に行った。

 恭しく演目がめくられて、春風亭小朝さんが登場。会場はすでに笑いの渦。母もワクワクしているのがよくわかる。噺はなしが始まって、母の表情をそっと追った。あ、大丈夫だ、ちゃんと噺に沿って笑っている。しかも前のめり。

 ん…? ちょっと待って。耳に手を当ててる? どうもよく聞こえないらしい。落語家の声が小さくなったり、会場に笑いの波が起こったりすると、不快そうに耳に手を当てて前のめりになる。

 とはいえ、母も83才だ。耳が遠くなるのは仕方がないし…と思いつつ、私も小朝さんの巧みな噺に引きこまれ、しばし母のことを忘れた。

 ふと気づくと母は居眠り。最初は楽しそうに笑っていた分、その姿に心が沈んだ。

「さっき耳に手を当てていたでしょ? 聞こえにくいの?」

 帰りの電車で、思い切って聞いてみた。

「あら、そうだった? でも年寄りはみんなそうよ。それで…今日はどこへ行ったんだっけ? あ、小朝さんね。おもしろかったわ〜」

 その日は珍しく覚えていた。きっと途中までは心底楽しんだのだろう。聞こえをよくするには補聴器? 仕事をするわけでもないのに大げさだろうか。聞こえなくて何かを楽しめなかったとしても、どのみち忘れてしまうわけだし。でもだからこそ、瞬間、瞬間の楽しみが、母にはすべてなのだ。

 その後の“聞き込み”で、母と同じ住宅のお仲間も、食堂での話が聞き取りにくく、おしゃべりが楽しめないという理由で、娘さんが耳鼻科に連れて行ったという。よし! ちゅうちょする理由はない。補聴器外来のある耳鼻科に、さっそく予約を入れた。

※女性セブン2017年8月24・31日号