14日、中国の内モンゴル大学蒙古学研究センターはこのほど、モンゴルのチンギス・ハーン大学と共同で、モンゴル中部ハンガイ山脈で、紀元1世紀に後漢の武将・竇憲が北方民族の国・北匈奴との戦いに勝利したことを記した石碑を確認したと発表した。

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2017年8月14日、新京報によると、中国の内モンゴル大学蒙古学研究センターはこのほど、モンゴルのチンギス・ハーン大学と共同で、モンゴル中部ハンガイ山脈で、紀元1世紀に後漢の武将・竇憲(とうけん)が、北方民族の国・北匈奴との戦いに勝利したことを記した石碑を確認したと発表した。

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両大学は7月27日から2週間、ハンガイ山脈で実地調査。西暦89年、後漢の竇憲が北匈奴軍を撃破したことを記念して建てられた石碑「燕然勒石」の実物を今回初めて確認した。石碑が同山脈にあることは伝えられていたが、実物が確認されたのは初めて。石碑は高さ数メートルの岸壁の一部として彫られており、現在両大学で文面を詳しく解読している。

「燕然勒石」に記された文章自体は、後漢時代の資料に収められており、全部で303字。後漢が北匈奴の兵士ら約1万3000人を殺害し、北匈奴側の約20万人が投降。牛や馬、羊など数百万頭を奪った経緯などが記されている。この時代に後漢は北匈奴と戦いを繰り返しており、西暦89年の戦いが最大の山場となった。これに敗れた北匈奴は、遠く北方へ領土を交代させざるを得なくなったという。

北京大学の中国古代史研究センターによると、「燕然勒石」は辺境地域での武功を記した歴史資料として最も古いものの一つ。後に同様の石碑は清の時代まで作られることになり、その原型となった。(翻訳・編集/大宮)