『フェリシーと夢のトウシューズ』が大人に届けるメッセージ 夢の描き方にこだわった演出を読む

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 夢を追い続けること。『フェリシーと夢のトウシューズ』が問いかけたいテーマは完全にこの一言に尽きる。

(参考:2017年の夏は「洋画の夏」?  スパイダーマンは怪盗グルーからバトンを引き継ぐか?

 主人公であるフェリシーは、両親のいない施設暮らしの少女である。そんな彼女の夢はダンサーになることであった。ある日同じ施設で暮らす発明家を夢見る幼馴染のヴィクターと共に施設を脱走し、向かったパリでライバルとなるカミーユや、フェリシーを支えてくれる存在となるオデットと出会う。様々な出会いの中、フェリシーはダンサーになる夢へとひたむきに努力するがーー。

 正直、夢なんて。と言いたくなる。もうそんな幻想を追いかけ回す年齢は過ぎてしまった。それでもこの作品はあまりに魅力的であった。なぜこうも強く惹きつけられるのか。理由は、ただのシンデレラストーリーではない泥臭く芯の通ったメッセージにあった。

■フェリシーは”初めの一歩”しか踏み出さない

 本作が描くのはあくまでフェリシーが夢に向かって走りだす段階である。もちろん、努力をしたり時には壁に直面したりといった描写もあるものの、「夢」を勝ち取ることを描くにはあまりに序章に過ぎない部分がストーリーの主軸だ。それはフェリシー自身が施設で育ち、ダンス、特にバレエの基礎を一切学んでいない状態から映画が始まることからわかる。

 フェリシーにとっては、夢を掴むためのスタート地点に立つことさえ困難だった。基礎を学ぶ機会にも恵まれず、施設から出て行くことさえ一苦労。しかし、あまりに大きな夢のほんの最初の一歩だけを切り取り、魅力的に描き上げた。

 本作のすごいところは、フェリシーは正攻法で努力をするわけではない。ひたすら「行動力」でチャンスをものにしている。たとえそれが少しばかりズルであっても。あまりに現代的な価値観だと感じた。昨今のティーンはSNSやYoutubeなど、メディアを駆使して人脈や影響力を増やし、夢を叶え、欲しいものを自力で手に入れてゆく。もう親の投資で基礎を学び、大人になって就業するまで胸の内で夢を燃やし続ける必要はないのだと感じた。そのあまりにタイムリーな現実がこの作品では19世紀のパリを舞台に広げられていた。この世界に落とし込むあまりの大胆さに驚愕した。

 この行動力で着々と夢へのステップを駆け上がるフェリシー。基礎の重んじられるバレエにおいてどうライバルと対峙していくのかも見どころであった。フェリシーは元バレリーナであるオデットから指導を受けバレエの基礎を身体に叩き込んでいく。しかし観客はどう見ても一連の流れから、フェリシーへの基礎力のなさを拭えなかっただろう。その中で、フェリシーは気持ちの部分を武器にした。

 この選択もまた芸術を語る作品の中ではありがちな展開だろう。結局は努力よりも表現力のある者が評価されるのだ、と。しかし本作の伝えたいことは表現力という気持ちだけではない。さらに特筆したいのは、これがスタート地点での評価であるという点だ。本作では、スタートする段階で必要なのは、意思であり、意欲であり、自我なのだということが伝えられている。フェリシーは意欲的にスタート地点に立った。自分の意思で選び、行動し、やっとの思いでこれから夢を掴むための場所まで走り続けてきたのだ。そして、これまで努力をしてきたライバルや友人たちへの敬意も忘れない演出がしっかりなされている。夢のようなシンデレラストーリーに見せかけて、しっかりした目的意識と自我を持てというあまりに現代的な強いメッセージの作品となっているのだ。

 主要な登場人物の年齢からしてもこの作品のエンディングは彼女たちのゴールではない。あくまで最初に納めた小さな成功なのである。本当の夢はこのさらに先のいばらのみちを進むことにあると思う。子供にとっては、ハッピーエンドの気持ちのよい作品に感じるだろう。大人にとってはここから先を見据えて、身の引き締まる思いになる作品であった。そしてスタートする、という年齢問わず誰もが直面する壁を突き破り後押しする力強い作品となった。その点において『フェリシーと夢のトウシューズ』は子供だけでなく大人にも前向きな感情を与える作品だったのではないだろうか。

■演出力の高さでカバーする子供向けの描写

 作品全体を通して、使用される楽曲はアップテンポなポップスである。アニメーション特有のキャラクターの歌う品行方正なオリジナルソングではない。ノリノリのポップスと、少し積極的でルックスのいいヒーローたち。キャッチーな演出の中には観客を飽きさせない、監督の強引さが遺憾なく発揮されている。大人が見ていて、少しご都合主義かな、と思われそうなシーンでは先述のようなノリのいい音楽と、ちょっと大げさなアクションのアニメーションを駆使してMVを観ているような軽快さでカバーしている。作品全体を通してストーリー展開のテンポも早く、あっという間にフェリシーのいる世界へ入り込ませる力もある。フェリシーやバレエのレッスンをするシーンや、オデットからの特訓を受けるシーンなど、シチュエーションが変わりにくいシーンでは特に積極的にキャラクターに動きをつけた。こうした工夫は、大人の観客が観ていて白々しいと感じないで済んだ要因であろう。テーマ性の高さだけでなく、監督の演出力の高さが光った作品でもあった。

 子供だけが前向きになれれば良い、大人はそのサポーターだ。そんな風に思わなくてもいいじゃないかと投げかけられているような気がした。今こそ襟を正し、新しい何かに挑戦するのもいいのかもしれない。スタートすることに戸惑う気持ちというのは、案外大人の方が多いのだ。子供から背中を押されるというのも悪くないじゃないかと感じた。この夏は挑戦しよう。

(Nana Numoto)