大きなジェスチャーでピッチの11人以上の存在感を示したダイチ。チームに檄を飛ばすその姿勢が勝利を呼び込んだ。 (C) Getty Images

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 現地時間8月12日にロンドンのスタンフォード・ブリッジで行なわれたプレミアリーグ開幕戦のチェルシー対バーンリーは、3-2でアウェーチームが望外の勝利を挙げた。
 
 昨シーズンのプレミアリーグにおけるアウェーゲームで1勝4分け14敗と大きく負け越していたバーンリーが、敵地でプレミアリーグ王者を下せたのは、「運も味方につけていた」という考え方もできる。
 
 というのも、開始わずか14分で相手の主将ガリー・ケイヒルが一発退場となり、さらに81分にはセスク・ファブレガスが2度目の警告を受けて退場処分を科せられたからだ。
 
 しかしながら、数的優位に立ったとはいえ、陣容ではチェルシーを下回るバーンリーが、前半だけで3点を奪って逃げきれたのは、やはり指揮官の采配が大きな影響をもたらしたと言わざるを得ない。
 
「私にとってベストな45分間だった」と3点を奪った前半を、そう満足げに総括するのは、バーンリーのイングランド人指揮官ショーン・ダイチだ――。
 
 現役時代にはCBとしてプレーしていたダイチは、チェスターフィールドやミルウォールなどで459試合に出場したが、プレミアリーグでプレーした経験は一度もない。
 
 華やかさとは無縁の現役生活を送ったダイチが指導者のキャリアをスタートさせたのは、引退からわずか数か月後の2007年のことだ。
 
 ワトフォードのU-18チームのコーチとして招かれると、そこでの指導が評価され、09年に現在スコットランド・サッカー協会の技術委員を務めているマルコム・マッケイの監督就任を受けてトップチームのアシスタントコーチに。そしてマッケイ解任後の11年6月には、ついに監督としてのキャリアをスタートさせた。
 
 その後、12年7月にワトフォードを辞職したダイチは、約1か月にわたってU-21イングランド代表のスタッフとして働き、同年8月にバーンリーの指揮官となった。
 
 就任時にはチャンピオンシップ(英国2部)に属していたバーンリーだが、ダイチの熱意が実り、彼の監督3年目となる14-15シーズンにプレミアリーグに昇格。ダイチは、初のトップリーグの舞台へと到達したのである。
 
 しかし、群雄割拠のプレミアリーグで勝ち抜ける力は、バーンリーに備わっておらず、英国内で「“バーンリー”してきた(We did the Burnley)」という造語が生まれるほどに弱さを露呈。結局、19位に終わって、わずか1年で降格となった。
 
 しかしこの時、ダイチは俯くことなく、「必ずもう一度やり直す」とプレミアリーグへの野心を燃やしていた。
 

 クラブから絶大な支持を受けていた熱血漢は、2部降格後もクビになることはなかった。これによってチームの成熟度が増し、バーンリーは15-16シーズンのチャンピオンシップで1位となって、1年でのプレミアリーグ再昇格を叶えた。
 
 そして迎えた昨シーズンは、守備をベーシックとした古典的なブリティッシュスタイルを貫いて16位となり、昇格組で唯一の残留を果たした。この戦いぶりに、ダイチの手腕が影響を与えたことは言うまでもない。
 
 守備を徹底させ、さらに選手からの信望を集めるダイチは、いつしかその振る舞いと見た目から、“赤毛のモウリーニョ”と呼ばれるようになっていた。
 
 3-2で王者チェルシーを撃破した試合での振る舞いは、まさに「12人目の戦士」。試合中、チームを鼓舞することなく、俯き加減だった敵将アントニオ・コンテとは対照的であった。
 
 試合後、ダイチは、「3-0とリードして、さらに相手が10人であっても、油断はできなかった」と語っている。
 
「なぜなら、彼らはチャンピオンであり、間違いなく我々に逆襲を浴びせにくる。(アルバロ・)モラタがそうであったようにね。だが、選手は全てを見定めて、持ちこたえた。最高に気持ちが良かったね」
 
 バーンリーにとってスタンフォード・ブリッジでの勝利は、1971年以来のこと。その重要性について、「大きなスタートが切れた。我々が苦手としていたアウェーでの勝利でもある。全てのサポーターに素晴らしい午後を提供できたことを誇りに思う」と、自慢げに語った。
 
 プレミアリーグ3シーズン目を迎えるダイチ・バーンリー。2節は本拠地にWBAを迎える。はたして、王者撃破の勢いはどこまで続くのか? “赤毛のモウリーニョ”の指揮の下で古典的な英国サッカーを貫く、彼らの奮闘ぶりから目が離せない。