「最近、良い出会いがない」

未婚・美人の女性に限って、口を揃えて言う言葉である。

しかしよくよく話を聞いてみると、その言葉の真意はこうだ。

「理想通りの、素敵な男性がいない」

経験値が高いゆえに、自分のことは棚に上げて「あれはダメ」「そこがイヤ」と、男性に注文ばかりつける女たち。

フリーランスでバイヤーをしている岡村亜希(32歳)も、そのひとり。

後輩の結婚式2次会で、若いだけの女に惨敗した亜希は、もはや神頼みしかないと、友人とともに良縁祈願に出かけることにした。




身軽なふたり


まだ朝の9時だというのに、うだるように暑い。

週末のJR東京駅。いつも混んでいるがそれにしたって人が多いなと考えて、そうだ夏休み中なのかと思い至った。

「あっ...すみません!」

東海道新幹線の改札手前で、後ろからふいに肩をぶつけられ振り返る。

申し訳なさそうに謝る女性は、肩から大きな荷物を背負い、左手は赤ちゃんを乗せたバギーを押し、右手には幼い女の子を連れていた。

立っているだけで汗が噴き出てくるサウナ状態の構内。無造作というよりはただ適当にまとめた髪が、汗で額や首に張り付いている。

「必死」という形容詞しか浮かばないその母親は、おそらく亜希とそう違わない年齢だろう。

どういう選択をするかで、人生はこうも変わるのだ。

改札内に消えていく親子の後ろ姿を見送りながら、亜希は自分の身軽さに心底ホッとした。

亜希の手荷物といえば、ラドローのかごバッグ1つである。

「お待たせ〜♪」

歌うような声がして、右斜めからひょいと顔をのぞかせたエミを見て、亜希は思わず笑ってしまった。

今日も彼女はミニスカートから美脚を惜しみなく露出しており、亜希を上回る身軽さだったから。

「エミってば、荷物それだけ?!」

これから京都に向かうというのにサン・ローランのチェーンウォレットを斜めがけしただけのエミに目を丸くしながら、ふたりは足取りも軽く新幹線ホームへと急いだ。


後悔なんか、していない。




「ここだわ...」

エミが神妙な面持ちで、亜希を振り返る。

東京駅から約2時間半。京都駅に到着したあと、ふたりは電車とタクシーを乗り継いでまっすぐにここを訪れた。

そう、婚活中の女性なら、おそらく知らぬ者はいないであろう、妙徳山 華厳寺。通称、鈴虫寺である。

良縁祈願ができる場所は東京にも山ほどあるが、「鈴虫寺はとにかく凄いの」とエミが力説するので遠路はるばるやって来た。

なるほど、決してアクセスの良い場所にあるわけではないのに、鈴虫寺の入り口には行列ができている。

そしてそのほとんどが20代〜30代の女性。恋愛に悩み、結婚に焦る女が日本全国から集まっているのだと思うと妙な親近感が湧いてくる。

「ねえ見て、亜希。まだあんなに若くて可愛い子にも神様が必要なのかしら」

耳元で囁かれ、エミが指差す先に目をやると、まだ20代半ばと見受けられる、色白で華奢な美少女が立っていた。

「一人で来ているあたり、本気を感じるわね」

亜希が呟いた言葉に、エミも隣で大きく頷いている。

清楚な水色のワンピースに薄手の白いカーディガン。垢抜けないが、柔らかそうな長い髪が風になびく様など、同性から見ても可愛らしい。

「彼女なら神頼みなんかしなくたって、いくらだって条件のいい男をゲットできそうだけど」

そんな風に言った後で注意深く観察していると、彼女の右手薬指にシンプルなリングが光っているのが見えた。なるほど、結婚したい彼氏がいるのだな、と勝手に推察する。

遠目に見ただけではあるが、強いていうほど高価な指輪ではなさそうだ。下世話な話だが、32歳ともなると無駄に目利きができてしまうのは許してもらいたい、と心の中でそっと思う。

彼と結婚したくて、わざわざ一人でお参りに来たのか-。

過去、そんな風に思えるほどの人がいただろうか、と亜希は自分を振り返る。

関係のあった男たちを記憶の片隅から呼び起こしてみるが、そこまでの情熱を持てた相手はひとりもいないことに気づき愕然とする。

結婚が目前に見えたはずの貴志に対しても、自分が何か無理をしたり我慢をしたりする気にはなれなかった。だから、駐在にも付いて行かなかった。

しかし亜希はそのことを後悔しているわけではない。

もしあの時貴志の人生に身を委ねていたら、今こうしてバイヤーで生計を立てることなどできていなかっただろうから。


貴志の駐在についていかなかった亜希が、手に入れたものと失ったもの。


やっと手に入れた、自由な時間とお金


亜希はずっと、大好きなファッションと海外旅行を仕事にしたいと夢見ていた。

上智大学卒業後、広告代理店で8年間営業職をしながらも夢を諦められずにいた30歳の時、チャンスが訪れる。

知人の紹介で出会ったアパレル会社の社長が亜希のセンスをかってくれ、新しくオープンするセレクトショップのバイイングを任せると言って独立を支援してくれたのだ。

それからは文字通りがむしゃらに仕事を追いかけて、事業がようやく軌道に乗ったのは最近のこと。気がついたら、32歳になっていた。

やっと手に入れた、好きなことをして働く喜びと自由な時間、そしてお金。

これらを何一つ手放す必要のない男性と結婚したいと願うのは、贅沢なのだろうか。




ようやく順番がきて、ふたりは小菓子と冷たいお茶が用意された座敷へと案内された。

壁際には透明のケースが並んでいて、飼育されている大量の鈴虫が涼しげな音色を奏でている。

「どんな願い事でも、1つだけ叶えてくれます。鈴虫寺のお地蔵さんはわらじを履いておられますから、日本全国どこでも皆さんの家まで願いを叶えに来てくれるのですよ」

和やかな表情をした住職が現れて、鈴虫寺の成り立ちや、お地蔵さんへのお願いの仕方などの説明が始まった。

お参りの前に、心を落ち着けて今一度自分の心と向き合うため、ということだ。

半信半疑でも、住職の穏やかかつ力強い言葉には説得力があって、信じる者は救われる、せっかくここまで来たのだから、真剣にお願いを考えようという気持ちにさせられる。

「何をお願いする?」

隣に座るエミに小声で問うと、当然と言わんばかりに「結婚一択」と即答された。

すると、二人のやりとりが聞こえたのだろうか、住職は諭すような口調でこう続けるのだった。

「特定の相手がいないのに結婚したいと願っても、さすがのお地蔵さんも叶えることはできませんのでね、順序がありますから」

その言葉に亜希が笑いを堪えて「順序がありますから」と復唱したら、エミに睨まれてしまった。

「相手がいない方は、まずは出会いを願いましょう。ただ、あれもこれもと条件を並べてはいけませんよ」

...住職は、亜希とエミのよこしまな心をすべてお見通しのようだ。

忠告されなければ、おそらく二人とも、お地蔵さんにも覚えきれないほどの注文を並べてしまうところであった。

とはいえ、条件をつけてはいけないというのは厳しい話である。相手のいない32歳の女は、立場をわきまえて妥協しろとでもいうのだろうか。

抗議の色を込めた眼差しで見つめていると、住職はゆっくり頷いてみせた。そして、亜希とエミ、そしてその場にいる全員に視線を送りながら言葉を続けるのだった。

「ふさわしい人。...それが、1番です」

ふさわしい人。

それがどんな人なのか、今の亜希には想像もつかない。

この世のどこかに存在しているはずの、まだ見ぬ運命の相手を一生懸命に思い描きながら、今はただ無心で祈るほかない。

▶NEXT :8月23日 火曜更新予定
さっそく、鈴虫寺のご利益が...?!亜希に新たな恋の予感!