リオデジャネイロ五輪に続いて、世界陸上でもメダルを手にした男子4×100mリレー。しかし、予選では「メダルに届かないのでは?」と、思われるほど厳しい戦いだった。


リオ五輪から1年で再びメダルを手にした男子4×100mリレー

 初日から行なわれた100mと200mを見る限り、リレーに向けて日本の状況は、いい方向を向いていた。100mでは日本勢の3名全員が準決勝に進出する快挙を果たし、存在感を見せた。さらに200mでも飯塚翔太(ミズノ)とサニブラウン・アブデル・ハキーム(東京陸協)の2名が準決勝に進み、サニブラウンに関しては、最年少で決勝の舞台を走った。

 一方、ライバルたちは、100m決勝でジャスティン・ガトリンとクリスチャン・コールマンが1、2位を占めたアメリカは好調だったが、優勝候補のジャマイカはウサイン・ボルトが優勝を逃す3位。世界歴代2位の記録を持つヨハン・ブレークも股関節の不安からか決勝で4位に終わり、200mではまさかの予選敗退で決勝進出者はゼロ。100m予選でもスタートで失敗したセノイジェイ・ギバンスが敗退するなど、かつての圧倒的な強さが影を潜めていた。

 日本チームの計算外と言えば、200m決勝レース終了後に、予選の前から右太股の張りを訴えていたサニブラウンの脚に痛みが出てしまったことだ。日本陸上連盟の苅部俊二短距離部長は、彼の4継起用を、「200mの準決勝終了時点では疲労も見えて五分五分だったけれど、いけるかなと考えていた。あれだけの選手なので、これからエースになってほしいし、使わないのもおかしいのでリレーの本番前にバトン練習をして、いけるようなら使おうと考えていた」と話す。しかし、決勝を終えてからは本人の将来も考えて起用を断念。大きな戦力ダウンは否めなかった。

 予選は1走が多田修平(関学大)、2走は飯塚、3走が桐生祥秀(東洋大)、4走はケンブリッジ飛鳥(ナイキ)というオーダーで第1組に出場した。多田は、「スタートがハマらなくて全体的にもイマイチだった」という走りで飯塚とのバトンパスも詰まってしまい、勢いに乗せることができなかった。後半伸びた飯塚は、桐生とは問題なくバトンパスをしたが、最後、桐生からケンブリッジのバトンパスはうまく繋がらず、ケンブリッジは硬い走りになってしまう。3位で着順での予選通過は果たしたが、記録的には、37秒70のアメリカと37秒76のイギリスには水を開けられる38秒21と不満の残るものだった。第2組では、ジャマイカが37秒95で1位になり、フランスは38秒03で2位。全体の記録で日本は中国も下回る6番目となり、リオ五輪に続くメダル獲得は極めて難しいと思われた。

 それでも飯塚は「決勝は今よりかなりタイムを縮められると思う。自分のやる仕事をしっかり確認していけば、メダル争いにも絡むいい走りができると思う」と強気な言葉を残した。その裏付けを土江寛裕コーチはこう説明する。

「予選では、3走と4走のバトンパスで、(バトンが)渡る前は(隣のレーンのイギリスと)1m以内の差で並んでいたのに、わたったあとは2mの差がついていた。そこを改善すればあと0秒4くらいは縮められると思いました。それに多田は、大会前のバトン練習では終盤に減速する形になっていて、これまでは自信をなくさないように、飯塚がスタートのタイミングを見るマークの位置を本人に伝えた距離より短くしていたんです。それがここに来て、開眼したのか後半が伸びる走りになっていたので、伝えている距離よりさらに1足長伸ばしても大丈夫だと思いました」

 リオ五輪の時のような走りができていないという判断で、決勝で日本チームは4走のケンブリッジに代えて藤光謙司(ゼンリン)を起用した。この変更について桐生は「1位か8位というくらいの攻めのバトンをしました。レースでは飯塚さんを信じて思い切り出たし、藤光さんにも絶対に届くから躊躇なく出てくださいと頼んでいました。それで加速に乗りやすくなったと思います」と振り返る。

 1走の多田にとっては、カーブの半径が最も大きい9レーンになったことも幸いした。伊東浩司強化委員長から、「カーブのスペシャリストではないから直線でいいイメージを作れ」とアドバイスされたのも功を奏し、予選よりいい走りになったと土江コーチは言う。

「直線の方が好きなので、9レーンはカーブが緩やかなので走りやすかったし、体の軽さも予選とは全然違っていた。スタートも決まったのでいい走りができました」という多田。内側の中国との差を開いて飯塚に中継すると、飯塚もそのまま3〜4番手を維持して桐生にバトンを渡した。それでも好調のイギリスやアメリカは強く、4走の藤光にバトンが渡った時点でジャマイカに少し遅れる4番目。やはりメダルは無理かと思われた。

 その矢先、4走のボルトがハムストリングの痙攣でレースを中止するアクシデントが起き、日本はジャマイカを抜いて3位に入った。世界歴代3位の37秒47で走ったイギリスが優勝し、37秒52で2位のアメリカに続いた。

 昨年のリオ五輪で200mに出場し、リレーは補欠のままで出場できなかった藤光はこう話す。

「去年からの(リレーを)走りたいという気持ちが1年越しでようやく叶った。世界選手権は何が起きるかわからないし、そういう舞台をこれまで経験していたので、行けといわれればいつでも行く心構えでいた。1、2走のバトンパスを見て、いけるという感覚があったので、自分の走りをすれば結果はついてくると思いました。ボルトが止まったのは見えましたが、順位を確認する余裕もなかったので、0秒1でも速く走ろうと思って走っただけです」

 ボルトのラストレースが途中棄権という、無念なアクシデントのなかでの銅メダル獲得だったかもしれないが、それは日本チームが、2大会連続で100m決勝進出を果たしている蘇炳添が3走を務めた中国や、アンカーにクリストフ・ルメートルを配したフランスなどを抑えて4位を維持していたからこそだ。

「予選の走りも悪くなかったですが、それよりいい走りができた。今回はリレーのために来たので、そこで力を発揮して何とかメダルを獲ろうと思った」と桐生は言う。飯塚も「去年のリオは予選から決勝までバトンパスがすごくよかったけれど、今回の予選のバトンは僕たちの中ではよくなかった。それでも何とか決勝へ進めたので力はついていると思い、決勝へ向けての自信になった」と満足した表情で話した。

「リオのメダルは期待されるなかで獲ったメダルでしたが、今回はさらに期待されたメダルで、取れなかったらみなさんに許してもらえなさそうなので、正直ホッとしました」と、土江コーチは苦笑する。日本の短距離界にとって最も意味があるは、リオからふたりも代わっているオーダーでメダルを獲れたことだろう。新人の多田だけではなく、2009年のベルリン世界陸上でアンカーとして4位になって以来、日本代表チームの常連になっている藤光がやっと銅メダルを手にできたことも、日本の層の厚さがもたらした結果である。

「五輪では00年シドニー大会から5大会連続で決勝に進んでいる日本は今、決勝進出の常連になっていると思います。だから今度はメダルの常連になりたいというのがある。その点で、リオ五輪で獲って今回で獲ってと、理想になりつつあるのかなと思います。今回もメンバーには、メダリストとしてのプライドを持って戦おうと話していたのでその第一歩を踏み出せました。まだ山縣亮太(セイコー)も残っているし、サニブラウンも残っている。私たち自身がチームを作っていくというのを楽しく考えられるような感じになっています」

 こう話す苅部部長は、「サニブラウンもリレー後に話をしたら、バトン練習をやりたいと言っていた。本人もリレーを走りたいのだと思います」と付け加えた。

 伊東強化委員長は「今は層が厚くなってきて、ベテランも中堅も若手もいるような状態になってきました。東京五輪へ向けては今回地元開催で優勝したイギリスチームのようになってもらいたい。そのためには37秒台で走れるチームを2チーム組めるようになり、選手たちが予選でもいいから走りたいと思うような濃いチームになっていけばいいのかなと思います」と贅沢な希望を口にする。

 現実的に考えても、それはあながち夢物語ではない。メダルを獲ることを期待されたリオ五輪とは違い、今回は獲ることを義務づけられたような状況で獲った銅メダルだった。結果だけではなく、ここまでの過程を踏まえても日本の4継がまた新たな段階へ踏み出したといえる結果だった。

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