本田が挑むメキシコリーグの環境は? 先駆者証言、アルコールを使う驚きの高地トレも

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15歳でメキシコへ、“パイオニア”百瀬氏が飛び込んだ「遠いようで近い存在」

 小学生の時は野球少年だった。

 中学生でサッカーを始めると、卒業後には単身メキシコへ渡って日本人初のプロ選手に――。他に例を見ない異色のキャリアを歩んだ百瀬俊介氏が語るメキシコでの生活とサッカー環境は、とても新鮮なものだった。今季、日本代表FW本田圭佑がパチューカに加入したことで注目を集めるメキシコには、日本ではあまり知られていない世界が広がっているようだ。

 百瀬氏は1992年、15歳でメキシコへ渡った。日本では間もなくJリーグが始まろうとしている時期で、海外サッカーといえば欧州やブラジルという時代。自身にとって「遠いようで近い存在」にあったのがメキシコで、そこでサッカーをすると決断した。

「なぜメキシコかっていうのはよく聞かれるんですけど、僕は父がメキシコに2年間駐在していたんです。それがきっかけでメキシコは身近で、よく家にメキシコからお客さんが来ていたんです」

「1990年のイタリア・ワールドカップを見ていたし、ACミランの全盛期は憧れだった」と欧州への思いを胸に抱きつつも、メキシコ行きを選んだのは必然だったのかもしれない。トルーカという小さな街にあるデポルティーボ・トルーカFCのユースチームで、はじめの一歩を踏んだ。

日本でメジャーではないメキシコの環境とは

 メキシコがサッカー強豪国ということは、多くのサッカーファンでも知っていることだろう。しかし、15歳の少年がプレーするにあたって、環境的にはどうだったのだろうか。

 最初の3カ月ほどはスーパーでバイトしながら、終わったら練習へ通う生活だったが、苦しいどころか事態はすぐに好転したのだという。

「ある時、コーチから『お前はいったいどこから通っているんだ』と聞かれたんです。『(メキシコ・)シティから通っています』と言ったら、『それはだめだ』って。まだ言葉が上手くなかったのもあってコーチに伝えていなかったんです。でも、それがきっかけで寮に入ることになりました」

 寮での生活はしっかりと管理されたものだった。「トルティーヤはあまり食べられなかった」と言うように、食事の面ではユースの頃から管理栄養士がついていた。「52kgくらいしかなかった」体重も、1日5回の食事と用意されたプロテインで76kgまで増やした。加入当時は2部、その後3部となったトルーカというクラブでさえ、これだけの環境が整っていた。百瀬氏は「日本だって、ここまでちゃんとやれていないと思います」と語っている。そして翌93年にトップチームと契約し、見事メキシコリーグで初の日本人プロ選手となった。

アルコールにコーラ、高地への適応

 本田が加入したパチューカは標高2400メートルを超えるところにある。そのため「高地」という環境が、メキシコサッカーにおけるキーワードとして取り上げられているが、トルーカはパチューカのそれを上回る標高2683メートル。現地を訪れるだけで息が切れるような過酷な環境だった。

 そんな高地での苦労を尋ねると、いきなり予想外の答えが返ってきた。

「僕が初めてメキシコに行った時は何も感じなかったんですよ。なぜかというと、高地何メートルだとか、海抜何メートルということをそもそも知らなかった。考えてなかったんです(笑)。だからメンタル的な部分もあるのかなと思います」

 まだ成長期だった体は、順応性が高かったのだろうか。高地の洗礼を浴びることはなかったという。それでも、チームが行う高地トレーニングは激しいもので、選手でも戸惑うような手法も取り入れられていた。

「標高2400メートルともなれば、高山病の危険性も高くなります。普通の人だったら走ることなんて考えないでしょうね。それでもトルーカ時代には、合宿で最初にアカプルコという海抜0メートルに近いところでフィジカルトレーニングをやり、その後に標高3000メートルの高地まで行ってトレーニングしました。その時は、片手にアルコールを含ませた脱脂綿を持っていました。くらりときたら、それをこう(口のあたりに手を持ってきて)吸うんです。あとは糖分を摂るために炭酸を抜いたコーラを持っていましたね。そんな状態でやる練習って、良くないんじゃないのという話でしたね(笑)」

「本田圭佑って、すごいんだなと」

 若ければ大丈夫なのかという話はひとまず置いとおくとしても、本田は31歳で新天地にメキシコに選んだ。決して老け込むような年齢ではないが、当然ながら15歳のような肉体を持っているわけではない。パチューカのディエゴ・アロンソ監督は、国外からの新戦力には最低でも2〜3週間の適応期間を設けており、実際に本田は右足を負傷したこともあってリーグ開幕から4試合を欠場している。「アスリートなので、そこは順応すると考えている」との認識を持っている百瀬氏だが、「それでも90分フルに走れるかというのは課題」との懸念も示している。

 ただし、不安を煽るばかりではなく、本田がメキシコでも活躍してくれるだろうとの期待も感じ取っていた。ストレートに、シンプルな言葉で本田という選手を絶賛している。

「本田圭佑って、すごいんだなと思いました」

 現地でパチューカ加入会見に臨むその姿を見ていた百瀬氏は、「カズさん(三浦知良)に近いと思います。タイプは全然違いますけど、そのプロ意識というものは、そばで見ていて頷くことが多かった」とまで表現している。

「今回メキシコに行って、その行動や入念にリハビリをする姿の、一つひとつが真剣だというのが、そばにいてすごく伝わった。彼がただのサッカー選手じゃなくて、いろいろなことを考えながら、自分が楽な方向に進むっていう考えを決して持っていないということを、日本の方々にぜひ知ってもらいたい」

 百瀬氏は「彼(本田)がパチューカに行って、僕もそれをきっかけにまたメキシコへ行けた」と嬉しそうに話してくれた。パチューカを訪れた後には、古巣トルーカのスタジアムにも足を運んだ。トルーカは今年創設100周年を迎え、街もクラブも大きな盛り上がりを見せているという。

 本田の移籍によって、メキシコサッカーは日本でかつてないほどの注目を集めている。今から20年以上も前に単身メキシコへ渡り、メキシコにおける日本人プロサッカー選手の“パイオニア”となった男は、現役日本代表アタッカーの飽くなき挑戦に大きな期待を寄せていた。

[PROFILE]

百瀬俊介(ももせ・しゅんすけ)

1976年5月31日生まれ。1992年に中学卒業後に単身メキシコへ渡り、デポルティーボ・トルーカFCのユースチームに入団。93年に同クラブのトップチームと契約し、日本人で初めてメキシコリーグ所属のプロサッカー選手となった。その後、メキシコやエルサルバドル、アメリカのチームを渡り歩き、2001年にデポルティーボ・トルーカFCで現役引退した。コネクト株式会社の代表取締役会長。ブラウブリッツ秋田のクラブアドバイザーも務めるなど、多岐に渡って活躍している。

【了】

石川 遼●文 text by Ryo Ishikawa

ゲッティイメージズ、石川 遼●写真 photo by Getty Images 、Ryo Ishikawa