東京は国分寺にある名曲喫茶「でんえん」。60年あまりの歴史を誇るお店には、お客さんのリクエストでクラシックの旋律がゆったりと響きわたり、まるでここだけ時間が止まっているかのよう。御年90歳になる店主のおばあちゃんに、お店のこと、そして大切にしてきた“FAVORITE”についてお聞きしました。

生い立ち、そして8月15日のこと

 

 ――今年の7月で90歳になられて。すごく矍鑠(かくしゃく)とされていますよね。

新井富美子:もうヨタヨタですよ。

 ――いやいや(笑)。今も1人でこのお店を切り盛りされて?

新井:手伝いはいますけどね。もう、1、2年で終わりたいですね。大変ですよ、お店っていうのは。でも楽しいけどね、やっぱり。お客さんといろいろ会話ができますし。人間性がわかるし、勉強になりますよね。

 ――ちなみに生まれはどちらですか?

新井:生まれは東京の足立区です。父が明治乳業の牧場を経営していたので、だからうんとヘンピな所。田んぼばっかりでね。牧場なので乳牛がいましたでしょ?それで絞った牛乳なんかを小菅の刑務所に納めていた時があるのね。小菅の刑務所まで一緒に行ったりして、囚人を見てびっくりしたりして(笑)。なかなかできないようなことを小さい時に経験しましたね。

 ――そして、学生時代に戦争が始まって。

新井:そうです。終戦の時は、学徒動員で日立工場に行っていたんです。日立で零戦の弾を作っていて。それで8月15日に終戦になって。玉音放送があるって聞いて、子ども心に何のことかさっぱりわからないでね。でも工場でみなさんと一緒に聞いて、「あぁ、戦争が終わったんだ」って思いましたけど。

やっぱり安心はしましたね。これからは夜暗くしなくても良いとかね。戦時中は灯火管制(※空襲に備えて照明の使用を制限すること)でしたでしょ?ですから、これから自由な生活ができるとかね。

 ――「戦争に負けた」という悔しさよりも。

新井:戦争に負けたっていうのは子ども心にはわからないですよね。ただ負けたんだけど、でも日常生活が少し楽になるのかなと思ったらね。それからがいろいろ大変でしたけど。国の指示があって、ああしてこうしてとかね。食べ物はなかったし、みんな貧困でしたよね。

 ――苦しい生活の中で、どんなことが楽しみでした?

新井:楽しみは…あまりなかったですよね。だから、今の人はいいですよね。楽しいこといっぱいあるでしょう?本当に恵まれてますよ。

でも、新橋の駅前に桜田小学校(現・御成門小学校)っていうのがあったんですよ。焼夷弾が落ちて窓ガラスなんかは割れてましたけど、そこにアメリカから英語の先生が来て、国が英会話教室みたいなものを開いたんですよね。もう黒山のような日本人が英語を勉強しようって集まって。

一応学校形式だったんですけど、私もそこに行ったんです。ワシントン大学から1人の男性と2人の女性の教授がみえて。そこで毎日レッスンがあって。

 ――戦時中はできなかった英語を勉強しようと。

新井:いえ、女学校で英語は自由科目だったんです。敵国の言葉ですけれども廃止ではなかったのね。好きな人は英語を勉強できてたんですよ。私はその時に英語を勉強していたんです。

“敵国”への密かな憧れと
GHQでの思い出

 

 ――昔からアメリカに対して憧れがあったんでしょうか?

新井:そうですね。戦争はしてるけど敵対心はあまり持ってなかったわね。フィフティ・フィフティですよね。何しろ世界一の文明国ですからね。勉強しなくちゃいけないって思ったんでしょうね。

それでどのくらい行っていたか分からないんですけど、とにかくいろんな方がいらして。老若男女、おじいちゃんも若い人も中年の人もいろんな階層の人が来てましたね。会社の重役さんとか偉い方も来てましたね。そこに行ってる時にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の仕事があって、それで行ったんです。

 ――GHQの求人が出ていたんですか?

新井:そうです。General Headquartersっていったらアメリカのトップ組織ですから、日本人も1000人くらい働いていましたかね。なんせ昔のことだからはっきり覚えてないけど、日比谷まで行ってたと思います。

「#293 アーミー・バンド」っていう軍楽隊があるんですよ。マッカーサーがお出掛けになる時とか演奏してお見送りをするわけ。で、またどこからかお帰りになる時にお出迎えをする。その指揮者の事務所でお仕事させていただいて。

 ――そこでのお仕事は楽しかったですか?

新井:大した仕事はできないんですけど、お電話取ったりとかね。楽しいというよりも、毎日毎日、勉強ですね。ミスばっかりして。でも、そこにいたおかげでいろんな日本の有名な方にもお会いできました。上野の音楽学校の指揮者の方とか。

 ――実際にマッカーサー元帥にもお会いされて?

新井:何回もお目にかかりましたよ。ご挨拶くらいはしましたけど。すごく大きい方でね。とにかく怖いっていうイメージがありましたよね。いつもサングラス掛けて、パイプをくわえて。怖い人だと思ってあまり近付かなかったですけど。

そこで3年くらい働いて、それから結婚しました。別にそこでアメリカ人と結婚したわけじゃなくて、普通にね。ここの主人と結婚しました。

今は亡きご主人との出会い

  ――ご主人とは、どうやって出会われたんですか?

新井:知り合いの紹介で。あんまり結婚したいわけじゃなかったんですけど、6人兄弟だったものですから後がつかえると思って、義務的に結婚しました(笑)。長女でしたから。32、33歳の頃だったと思います。

 ――ご結婚されてすぐに喫茶店を?

新井:はい。主人がこの喫茶店を始めたんですよね。それまでは勤めていたんですけど、とにかく絵とか音楽が好きな人でしたから、普通に仕事するよりこういうのが好きだったんでしょうね。

 ――すごくハイカラな方だったんですね。

新井:そうですね。私とは全然趣味もあわなかったんですけど(笑)、当時の結婚っていうのは今と違うから。家族のためにするとか、自分だけの意思ではないですよね。趣味が合っていたわけじゃないけど、総合的に「この人なら良いかな」と思う程度ですよね。

次回に続きます)

photographs by Akihiro Okumura(TABI LABO)