前衆議院議員の村上政俊氏

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 戊辰戦争で負けた幕府側を「賊軍」としてパージし、江戸時代を否定するように近代化・西欧化に突き進んだ明治日本。では、もし幕府軍が勝っていたら、近代化はなし得なかったのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。あえて、歴史の「if」を考えてみる。前衆議院議員の村上政俊氏が解説する。

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 もし戊辰戦争で江戸幕府が勝っていたら、大坂(大阪)が政治都市となった可能性が高い。「江戸」幕府が勝つのになぜ「大坂」が?と読者は思われるだろう。

 最後の将軍徳川慶喜は、鳥羽・伏見の戦いに敗れてから初めて将軍として江戸に入っている。それまでは、京の二条城や大坂城で政務にあたっていた。将軍の上方駐在は先代の家茂の頃から常態化し彼自身も大坂城で病没。政局の中心の移動に伴って将軍をはじめ老中以下幕閣は江戸ではなく上方に腰を据えていた。

 大坂が首都にというのは私一人の空想ではない。明治維新の立役者大久保利通も大坂遷都論を説いていた。江戸幕府が続いていれば、大坂が政治の都、江戸が経済の中心、京が文化伝統の要という、江戸時代とは所を変えた三都鼎立が実現していただろう。そして大坂弁が共通語の地位を占めていたと思われる。

 また東北地方は過疎どころか商都江戸の後背地として産業拠点になっていたかもしれない。そうなれば青森までの新幹線開通はもっと早かっただろうし、ひょっとしたら既にリニアも開通していたのではとも想像される。

 影響は主要都市の位置付けにとどまらない。江戸幕府は地方分権の性格が色濃かった。幕府が勝っていれば、300諸侯が温存され地方行政は各藩に委任というスタイルが続いていたはずだ。明治維新によって生まれた47都道府県は、律令国家の66か国の組み合わせを基本としながら人為的な線引きの要素も強い。典型は大阪府だ。摂津国の一部、和泉国、河内国を人為的に合併した経緯から、今でも旧国でのカラーの違いは根強く、府としての一体性は乏しい。

 藩のほうが県に比べて規模感が生活圏に近く、お国柄と行政単位がより密接になる。県民性をネタにしたバラエティー番組は「秘密の藩民SHOW」と看板を掛け代えて、もっと実感に近い形で放送されていただろう。

【PROFILE】1983年大阪市生まれ。東京大学法学部卒。2008年4月外務省入省後、北京大学、ロンドン大学に留学し中国情勢分析などに携わる。2012年12月〜2014年11月衆議院議員。現在、同志社大学嘱託講師、皇學館大学非常勤講師、桜美林大学客員研究員を務める。著書に『最後は孤立して自壊する中国 2017年習近平の中国』(石平氏との共著、ワック刊)がある。

※SAPIO2017年9月号