【特集:公共の場での授乳問題(5)】「不妊治療中の人には辛い」という声の背景〜羨望と苦悩、解決への道

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「公共の場での授乳」を控えてほしいと願う人たちのなかには、不妊治療中の方もいます。「目の前でされるとさすがに辛い」という声にはどのような想いや背景があるのでしょうか。

【検証】人の授乳は「何となく気持ち悪い」と多くの人が感じているワケ

不妊治療専門クリニックで生殖心理カウンセラーを務める菅谷典恵さんに聞きました。

「公共の場での授乳」ショックをカウンセリングで打ち明ける女性たち

――「公共の場での授乳」に対して、不妊治療中の方から「目の前でされるのは辛すぎる」という切実な声があがる一方で、そのほかの方々から「もっと寛大になって」という反論も聞かれます。不妊治療中の方たちは、この問題をどのようにとらえているのでしょうか。

菅谷典恵さん(以下、菅谷):「治療中の人の気持ちを考えてほしい」「見ていて辛くなるから授乳反対!」というように、はっきり意見を表明している方はごく一部だと思います。

しかし私の立場としては、表だって言葉にするにしてもしないにしても、これらの心理は十分に了解可能ではあります。そこをご説明してみたいと思います。

まず具体的なお話に入る前に、私が仕事としている「生殖心理カウンセラー」とは何か、というご紹介が必要かもしれませんね。

これは一般にカウンセラーと呼ばれる「臨床心理士」向けに設けられているライセンスで、特に「生殖医療」にまつわるカウンセリングの専門資格です。

全国で60人ほどいますが、現場で働いているのは30人ほどでしょうか。不妊治療をご経験でないと、あまり会う機会がない職種だと思います。

生殖医療のカウンセリングは、主に看護職が担当していることの方が多いと思いますが、不妊・生殖に関わる心理的困難を抱える方への支援には高い専門性が要求されることもあり、心理職が担当することをJISART(日本生殖補助医療標準化機構)は求めています。

そういった経緯もあって、高度な生殖医療を提供する施設には心理職が配置されており、自分も不妊治療専門のクリニックで、患者さんのお話を聞いているわけです。

私の役割は言うなれば、クリニック内の「よろず相談所」のような感じでしょうか。

主な話題は、治療の知識補足・不妊治療によるストレスへの対処・あらゆる対人関係の悩み・夫婦間の温度差対策・離婚の相談・セックスレス・妊娠後の不安・出生前診断についての相談・認知行動療法・2人目の方は育児相談などなど、です。

前置きが長くなりましたが、そんな「よろず相談」のよくある話題の一つに「周りの人がうらやましくて仕方がない」というものがあります。

――「周りの人」というのは、例えば「公共の場での授乳」をしているママ、ということでしょうか。

菅谷:はい、そのようなケースも含まれます。ただ、授乳だけではなく……

「うらやましくて耐えられない」だけじゃない、複雑な心の動き

菅谷:ほかにも、マタニティマーク・SNSの妊娠出産報告・芸能人の妊娠のニュース・ふっくらとした妊婦さんのお腹・ベビーカーを押すママ・時短勤務の女性・子どもの具合が悪くなって帰るママ社員……うらやましく妬ましい対象はいろいろあります。

心理学的に考えると、自分が欲しいものを他人が持っていると認識することで「うらやましい・憎たらしい・悔しい」と感じることはなんら不思議ではありません。むしろ当然です。自分がそうなれない状況なのですから。

しかしながら、この悩みには「子どもを持つ人を妬んでしまう“ブラック”な自分に自己嫌悪になる」という苦悩が、セットになっていることが多いのです。

「こんなことを考える自分はなんてひどい人なんだろう。こんなことを考えているから神様が赤ちゃんを授けてくれないのかも」などと、自分を責めてしまうのですね。

特にこうした他人との比較で物事を見る傾向は、女性に強いのです。男性はあまり相対的に物事を見ませんので、女性のように辛さを感じることはまれなのですね。

そのため、たとえご夫婦で不妊治療に取り組まれていても、この感覚は共有することが非常に難しい。

ですから私もこの手の話題は、おうちでダンナさんに話すよりもカウンセリングルームに持ってきてください、とお伝えしているのですが、それだけこの悩みは、とりわけ不妊治療中の女性にとって、孤独で、重くて、自己嫌悪もより深くなりがちといえるかもしれません。

――「公共の場での授乳」を控えてほしいという声には、そんな背景もあったのですね……「うらやましくて耐えられない」というだけでなく、孤独や、自己嫌悪まであったとは。

菅谷:しかし、ひとたびその心の声を外に向けて発信してしまうと、別の問題が起こります。心の中で何を思っても自由ですが、相手に対して発するのは慎重にならなくてはいけません。

ここが「公共の場での授乳」論争を考えるうえで、大きなポイントになってくるのではないでしょうか。

社会のなかでどう振る舞えば?自分の心を守ってあげることも忘れないで

菅谷:「公共の場での授乳」を目にして、我慢するか、我慢しないか、どちらに寄せた態度をとるか……結局は、それぞれが選ばないといけないのだと思います。

心の中は自由です。しかしどう振る舞うかということは、その方の選択です。

逆の、お子さん連れの方々も同じですよね。私たちの行動は、選択の連続なのです。

「うらやましい」という感情自体は悪いものではありません。しかし、その感情をどのように扱って自分をコントロールし、少しでも人間的に高めていくか。これは、きれいごとのように聞こえるかもしれませんが、とても大切なことなのではないでしょうか。

毎日のカウンセリングを通して、たくさんの患者さんと出会い学んで、そんな風に思っています。

――では実際に不妊治療中の方から「公共の場での授乳」についてご相談があった場合には、どのようにお答えになっているのでしょうか。

菅谷:時と場合によって変容するとは思いますが、心理学では、イヤだな、辛いな、という状況からは逃れてよい、と考えます。

「電車の中で赤ちゃんが隣に来るのが耐えられない」という患者さんには「場所の移動」を勧めています。見たくない光景は「見ないような状況を自分に与える」ことで解決できることもあるのです。

「耐えられない!イヤだ!」と感じることは自由ですし、悪いことではありませんが、それと同時に、自分自身が傷つかないように守ってあげることも必要なのです。

とはいってもどうしても、場所を移動できないこともあります。そういった例は枚挙に暇がありません。

「温泉に行こう!」「海外旅行をしよう!」と出かけてみたら、新幹線にも飛行機にもホテルにも、どこへ行っても子連れがいっぱい、どこが少子化なんだよ〜と思った、というお話はよく聞きます。

子どもを諦めようと考えたご夫婦が「この先ふたりで暮らしてゆくためのマンションを買おう!」とモデルルームに行っても、キッズルームがあったり、赤ちゃんがたくさんいたり。

この辛さは、もう……どうしようもないんですね。社会という場で暮らしてゆくのであれば逃れようがないこと、というものもありますから。

けれどもその気持ちは“黒い”ものでは決してなく、「感じること=悪いこと」ではないということを、相談にいらした方にはお伝えするようにしています。

いまこうやって「公共の場での授乳」という問題がクローズアップされていますが、これは一見「どうしようもない」ことについていろいろな立場の方が考えを明らかにし、お互いに、丁寧に心の声をくみ取って、社会として解決の道を探れるチャンスなのかもしれませんね。

――心の声をお互いにくみ取って「解決の道」を探れるチャンス、ですか。

ママにも不妊治療中の人にも、治療を諦めざるを得なかった人にもあたたかな社会を

菅谷:「公共の場での授乳」に向き合う際に、まずは授乳せざるを得ないママと赤ちゃんの状況を、みんなで共有することが一番だと思います。

不妊治療中の方をはじめ、周りの人たちもママの大変さを理解することができたら、感じ方や対応に変化が生まれるかもしれません。

それに不妊治療中の方々については、近い将来に授乳する側に行くかもしれないのです。「こんな風に大変なんだな」と知ることは、これからの育児の予習にもなるのではないでしょうか。

むしろ辛いかもしれない、と推察するのは治療をやめた方々です。不妊治療は必ず妊娠できる、というものではないので、医療機関に通っても願いが叶わない方々の方が多いかもしれないと言われています。

子どもを諦めようと考えた方々は、繊細に気を遣われることも多いと思います。「私は子育てという社会貢献をしていないわけだし、このお子さんたちは成長したら年金を納めてくれるのだろうし」というようなことも考えながら……とても切ないことです。

生きていくうえで、自分の快適さは自分でつかもうとしないと、なかなか得られるものではありません。自分を守れるのは、自分しかいません。もっと言えば、自分は自分で守ってあげないとかわいそうですね。

それでも自分の心は傷つくまま傷つけられるまま「私の立場だとお子さん連れに寛容でなくてはいけない」と考えて、苦しくなっている人がどんなに多いことか。

もちろん苦労なく他人の子どもを可愛いと思える方もたくさんいます。うらやましいと思ったことはない、よその子もみんな可愛い、とおっしゃる方も多くいます。

でも不妊治療中の方や治療をやめた方のなかには、そうとは思えない方も少なからずいて、大きな葛藤を抱えていることもあるのです。

「公共の場での授乳」論争が、そういった方たちも温かい目で見守ってもらえるような「授乳問題の社会化」になるといいな、と思います。

そして私自身も日々のカウンセリングを通じて、そんな社会に一歩でも近づけるお手伝いをしてゆきたいと思っています。

■菅谷 典恵(すがや のりえ)氏 プロフィール

臨床心理士。全国に約60名しかいない「生殖心理カウンセラー」のひとり。また2016年に認定制度が始まったばかりの「がん・生殖医療専門心理士」有資格者19名のうちのひとりでもある。不妊治療専門クリニック「京野アートクリニック高輪」「京野アートクリニック仙台」常勤心理カウンセラー。(情報は記事公開時)

記事企画協力:光畑 由佳