習い事や近所のお店に子連れでいって、親切にされることがあります。それは同じ習い事をしている顔見知りのママ友であったり、レストランやスーパーでレジに立つ女性だったり、いろんな人がいて社会は成り立っているんだと思うことは多いのです。私も、一向にお迎えが来なくて泣いている女の子がいたら私の息子と一緒に少し待っててあげたり、エスカレーターのない駅の階段で荷物抱えて難儀している女性がいたら声をかけて持ったりしたりすることはあります。当たり前の気遣いというか、できるならやってあげたほうがいいことって世の中にはたくさんあると思うんですよね。


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子どもが微妙な年齢の女性の前で「おばさん」と言ってしまう懸案

 ひとつむつかしいのは、店の女性が拙宅山本家の息子たちに何かをくれたとき、どうするかです。もちろん「ありがとう」とその女性に御礼を言うよう子供たちには言い含めてあります。だから、もらって感謝を伝えるというところまではいいんです。

 しかしながら、もらってすぐ私を振り返って「おばさんから、これをもらった」と報告するのはやめてください。目の前にいる女性の顔色がぐんぐん変色していくさまを観察することを強いられる私の気恥ずかしさはマキシマムになります。御礼をいうことまでは気が回っても、微妙な年齢の女性の前で「おばさん」と言ってしまう懸案の課題について教えるのは極めて困難なのです。

 やはり、人間若くみずみずしい存在であり続けたい。だからこそ、メイクに力を入れたり若く見られる服装をしたり活動的な日常を送ったりして、なるだけ健康で若々しい自分であろうとするのです。そういう日ごろの努力を正面から粉砕する「おばさん」呼ばわりをしないことは、穏便かつ平和な現代社会を生き抜くための最低限のコミュ力担保なのですが、子供は悪気なく見た通り話をするから子供なのであって、「若く見られたいと思っているであろう相手に気を遣え」というのはなかなか困難なのです。

後から何を言っても始まらない、北朝鮮のミサイルみたいなもの

 しかも、もうすぐ4歳の末っ子はまだ「おばさん」と「おばあさん」の違いがしっかり分かっていません。博物館で展示物を案内してくださった女性に対して、うっかり末っ子がはっきりとした滑舌で「おばあさん、そこに立ってると前が見えないよ」と悪気のない率直な申し入れをしたとき、案内してくださった女性の顔色がぐんぐん変色していくのは見ていてつらいことです。親として、フォローのしようがありません。恐らく最適解は「聴こえなかったふりをする」ことなのでしょうが、こちらもおそらく顔色が変わっているはずなのです。この気まずさは筆舌に尽くしがたいものがあります。


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 幼稚園や習い事で一緒になるママ友の皆さんに対しては、子供に必ず「誰々ちゃんのお母さん」と呼びなさいと指導しています。見た目の年齢で女性に声をかけることのむつかしさは、最近の育児事情もありますが、若くしてご出産されたママもいれば、高齢出産でいろいろしんどそうなママもおられます。呼称問題は非常に非常にデリケートなのです。

 実際には、子供は子供なりに親の年齢を見て理解した通り喋ってしまうことが数多くあります。それは親同士が同席している状況で子供たちから繰り出される「みどりちゃんのお姉さん」と「たくまくんのおばさん」という表現であり、結論としてたくまくんのお母さんは顔色がぐんぐん変色していくことになります。こちらも青くなっていたたまれない表情をするほかないのです。お通夜のようです。もちろん帰ってから「そういうことは言うものではない。ちゃんと『誰々ちゃんママ』とか『誰々ちゃんのお母さん』って言ってあげなさい」とお説教はするわけなんですが、これはもう北朝鮮のミサイルみたいなもので撃ち込んじゃったんだから後から何を言っても始まらないだろうということで、国際的な圧力をかけて北朝鮮を黙らせるのと同じ構造で子供たちに「そういうことを言ってはいけません」と伝えることになるのです。

話し言葉はより良い人間関係を作り上げるための彩りです

 もちろん、気にしている相手に対して暴言を吐いてはいけないというのは一般的な社会のマナーなのであって、じゃあ親であるお前は日々適切な言葉遣いをして暮らしているのかといわれると筆を折って猛省するほかありません。ただ、相手を気遣う言葉を使うのはその場をうまくやり過ごそうという話ではなくて、相手にこちらは好意を持っていますよ、大事にしていますよという意味をそれと言わずに伝えるという役割も果たしているわけで、別に好意を持っていると伝えなくてもよい相手には「ババア死ね」ぐらいのことはみな平気で思っているし、場合によっては言ったり書いたりします。面と向かって言うのは最終局面ですけれども、それでも交渉がこじれたとか何かあれば言うこともあるでしょう。


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 話し言葉はより良い人間関係を作り上げるための彩りです。礼節は弱者の武器と言われるのと同様、相手に大事にされているか、良く思われているのかを感じ取るうえでも大事なのですが、往々にして、人間は期待と現実が大きく乖離することがあります。裸の王様と子供に指摘されるのと同様に、大人同士の儀礼や形式が実態の指摘とともに崩壊することって必要なんだとも言えます。

 そう考えると、子供に礼節を教えることの程度問題のむつかしさというのを強く感じることがあって、「うまい塩梅で思ったことをちゃんと述べなさい」というバランス感覚をもつ難易度の高さって凄いよなあって感じるんですよね。

 とはいえ、私も先日家族旅行でアメリカに入国した際、職員に「おじいさんと娘さんとお孫さんの三世代ですか?」みたいなことを真顔で訊かれて、私の顔色がぐんぐん変色した自覚があります。

 私は白髪で老け顔なんだよ悪かったな。

(山本 一郎)