東大教授の論文不正の内部調査結果について記者会見する東大の境田正樹理事(左)ら(読売新聞/アフロ)

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 東京大学は1日、分子細胞生物学研究所の渡邊嘉典教授らが執筆し、英誌ネイチャーなどの海外の有力科学誌に掲載された論文に捏造などの不正があったと発表しました。

 政治家がいくら嘘をついても、また官僚が国民に資料を隠ぺいしても、誰も驚かない世の中です。そんな時代、ただひとつ真実を伝えてくれるのが「科学」だったはずです。2014年に起こったSTAP細胞論文問題が日本中を騒がせたのは記憶に新しいところですが、実は世間の期待にもかかわらず、科学論文の捏造は以前からありました。

 テレビカメラの前でスプーンを曲げてみせたことで有名になったユリ・ゲラーという人を覚えているでしょうか。今から40年ほど前、脳波などを駆使して、科学的に彼の超能力を証明したとする論文がネイチャーに掲載されましたが、しばらくして、なんと2人の著者が「宗教団体から研究資金を得て論文を捏造した」と告白したのでした。

 この程度の話であれば、単なるおもしろ話で済ませられるかもしれません。米国の研究者の分析によれば、出版後に捏造が指摘されて取り消しとなったものが2,047件もあったそうです【注1】。興味深いのは、5編以上も取り消された悪質な研究者(またはグループ)が38人(組)いて、ブラックリストに掲載されているという点です。

 騙しのテクニックもいろいろです。科学論文が専門誌に投稿されると、まず編集長は世界中の専門家のなかから複数の人に審査(査読という)を委託します。ただし研究分野があまりにも多様化した現在、編集長が査読者を探し出すのは至難の業。私自身も米国の科学雑誌で共同編集長を長く務めてきましたが、この選定作業にはほとほと疲弊してしまったものです。私の経験から強調しておきたいのは、査読の段階で捏造を見抜くのはほぼ不可能だということです。「嘘は書かれていない」という大前提があるからです。

 最近では、論文投稿に際して査読の候補者リストを添付させる雑誌が増えてきているのですが、その裏をかいた欺瞞行為も横行しています。実在する専門家の名前を挙げた上で、メールだけ自分または仲間が開設した偽アドレスでリストを作成し、まんまと査読者になりすますのです。依頼のメールが届いたら、素知らぬ顔で「掲載に値する」と偽メールを返信するというもので、ほとんどが中国からの投稿だそうです【注2】。

●捏造が多い薬に関する論文

 捏造がもっとも多いのは、薬の評価に関する論文です。効果がないにもかかわらず、あったように見せかけたり、あるいは副作用を隠蔽したりすることが日常茶飯事となっています。その実例は、これまで当連載で紹介してきたところです。

 最近、目立つのは、ビジネスがらみのダイエット法に関する論文の捏造です。英国医師会雑誌は、「低脂肪、かつ食物繊維豊富な食事が死亡率を半減させる」と結論したある論文を悪質な捏造だと断定しました。きっかけは、死亡率を低減させる効果が不自然に大き過ぎたためでした。名指しされた著者ラム・B・シン氏は、複数の専門誌に多数の論文を載せていて、そのすべてに疑いが掛けられています【注3】。

 この種の研究で主役となっているのが統計学ですが、悪用する方法はいろいろあります。たとえば、不都合な数人分のデータをなかったことにするだけで、結論を簡単に逆転させることができるのです。最近、日本国内で話題になった血圧の薬ディオバンにかかわる捏造事件でも、同様の手口が使われたとされています。

●捏造のテクニック

 さて、今回東大が発表した捏造のひとつは、電気泳動と呼ばれる実験データの提示の仕方にありました。この技術は、目に見えない微小な物質をゲル上で分離し、染色で映像化するというものです。

 私が行った電気泳動のデータを用いて(本件研究テーマとは無関係)、捏造のテクニックをシミュレーションしてみましょう。仮に、細胞に脂肪を与えるとたちどころに出現する新物質(らしきもの)を発見したとします。もし、この物質が脂肪だけに反応するとしたら、肥満を抑える夢の薬が生まれるかもしれません。

 図1は、元データです。脂肪Bで刺激したところ、明らかに新物質が太い線として映像化されていますが、残念ながらそれ以外の刺激Aでも出現してしまっています。このまま発表しても、新発見とはみなされず査読で不合格となってしまうかもしれません。

 そこで、画像処理ソフトを使って以下の図2、3に示したような操作を行ってみます。

 すると刺激Aで反応していた線が消え、脂肪にしか反応しない新物質であることを見事に証明したデータに生まれ変わったように見えます。

 このたびの告発で指摘を受けた論文は細胞分裂の仕組みに関するものでしたが、指摘されたような捏造が見過ごされた場合、後世にどんな影響を与えることになるかは誰にもわかりません。しかし、研究テーマによってはヒトの命に直結する事態に発展しないとも限りません。

 報道によれば、同じ研究者に14億円を超える研究費が集まっていたそうです。この種の研究テーマで使い切れる金額ではなく、ちやほやした国や大学、企業などにも重大な責任があったでしょうし、「過剰な顕示欲」「モラル崩壊」などの言葉も頭に浮かんできます。
(文=岡田正彦/新潟大学名誉教授)

●参考文献
【注1】Galbraith DW, Redrawing the frontiers in the age of post-publication review. Front Genet 6: 1-6, 2015.
【注2】Haug CJ, Peer-review fraud-hacking the scientific publication process. New Engl and Journal of Medicine 373: 2393-95, 2015.
【注3】White C, Suspected research fraud: difficulties of getting at the truth. BMJ 331: 281-8, 2005.