WBC世界バンタム級王者、山中慎介

写真拡大

 ボクシングは大学で最後にしようと思っていた。普通に就職しようと考えて、友人との話の中では冗談半分に大工や庭師もいいなと話したこともあったけど、実は専修大学4年だった21歳の夏には地元の消防士の採用試験を受けたんだよ。

 公務員試験の勉強なんて一日もしなかったから、合格するわけがない。今思うと、どうして消防士になろうなんて考えたのか、自分でもよく分からない。若さゆえの、突発的な行動だったんだろうね。

 ボクシングへの情熱は冷めていたけど、毎年5月に始まる関東大学リーグ戦はボクシング部にとって重要な試合だった。3月からは練習量が倍になり、主将に命じられた4年のときには初めて懸命に練習した記憶がある。

 その年(2004年)、川内将嗣(08年北京五輪ライトウエルター級代表)が入学してきた。高校3冠の実績を持つ後輩に負けたくなかった。アマでは階級に関係なくマスボクシング(パンチを当てない実戦練習)をするのが慣例で、階級が上の川内と拳を合わせることもあった。4年生として主将として、1年に負けられない。そんな思いがあった。

 後輩の刺激を受けた影響もあって、リーグ戦では自分が5戦全勝してチームは2部で優勝した。1部との入れ替え戦ではチームとしては勝てなかったけど、自分は主将として勝つことができた。この結果に満足したのか、また“ダメ人間”に逆戻りしてしまった。

 就職のことも真剣に考えずに迎えた国体。高校、大学で続けてきたボクシングの集大成として臨んだが、初戦で負けてしまった。当時のルールは15ポイント以上差が付くとその瞬間、自動的に試合がストップになる。2回、わずか6分で試合が終わってしまった。

 7年間取り組んだボクシングが、あっけない幕切れを迎えた。体が急に熱くなったのを今でも覚えている。「このままではボクシングを辞められない」。内なる自分の悲痛な叫びのようなものだった。それと同時に、忘れかけていたボクシングへの情熱が一気に湧き上がってきた。

 高校ではタイトルを取ったけど、大学では無冠だった。監督は週に1度程度しか練習を見に来ないから、午前は30分ぐらいのロードワーク、午後は2時間のジムワークで、高校時代に比べてかなり楽だった。そんな環境に甘えていたのか、高校時代に蓄えた“練習の貯金”を2年ぐらいで使い果たし、「実力を発揮していないんだから、負けて当然」と自分に言い訳をしていた。

 国体での初戦敗退は大きな衝撃だった。「プロに行く」と、そのとき決めた。ようやく覚醒した感じ。もう就職活動をする必要はなかった。プロを決意した冬から、結構な数のジムに足を運んだ。 (あすに続く)