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 7月24日、お笑い芸人のカンニング竹山が、音楽トークバラエティ番組『Momm!!』(TBS系)に出演。同番組にて竹山は、2009年の週刊誌で、ベッド写真が報じられた件について振り返った。

 竹山は「今から8年くらい前かな。ベッドで全裸で寝てる写真が世の中に出たんですよ」と、浮気していた女性に写真を売られたと告白。その女性と密会したのは1日だけだったものの、週刊誌側には、ベッド写真よりも危険な浮気の証拠を握られていたという。

 「写真はね、もうしょうがないよ。出すなら出すでそれは事実だから。それは認めなきゃいけない。でも絶対に出しちゃいけないものがある、と。メールだ!」

 竹山は女性との事前のメールのやり取りで「写しちゃいけない僕の体の一部を何回も撮って、彼女に送っちゃってるんですよ!」と明かし、「これはヤバイ! と。もう(週刊誌から)話聞いてキレましてね。冗談じゃねぇぞ! そんなん出されたら大問題だ」と声を荒げた。そして当時、風呂や楽屋で撮影した自身の局部写真を掲載されそうになったことで、彼はそのまま編集部に乗り込み、ガチギレしたとのこと。

 編集部では「あなたたちが撮った写真、あなたたちが調べたこと、全部本当です!」と記事の内容を認めながらも、「ただメールを出してほしくない! 面白くなかったでしょ? あのメール見たらどう思います?」と記者たちに本音を吐露。その後、「メールを消すためにはどうしたらいいですか?」と交渉すると、記者から「今、土下座してくれたら、メール消します」と提案されたそうで、竹山はあっさりと快諾した。最終的に、土下座しているところをカメラで撮られ、ベッド写真のみの掲載に落ち着いたという。

 今でこそ、キレ芸が世間に認知されている竹山だが、彼は決して人前で激怒することが得意な人間ではないという。そんな竹山を無名時代から支えていたのが、2006年に白血病で死去した相方・中島忠幸の存在だった。彼はコンビ結成前、小学校からの同級生である竹山からのお笑いの誘いを断り、福岡の日本料理屋で板前を目指し働いていた。

 当時の状況を竹山は以下のように語っている。

 「東京で1人暮らしを始めて半年後くらいかな、友達もいないし寂しい思いを感じ始めた頃、福岡に帰省したんですよ。その時に中島を誘って、近所の焼き鳥屋で2人で飲んだ時に言ったんです。『なぁ、お笑いやらないかって』。(略)『福岡には別に何もないし、お前も昔、(板前を)やめたいみたいなこと言ってたろ』って。でもあいつは『やめない、俺はお笑い向いとらん』と。(略)俺も『じゃあ忘れてくれ』って。そこで話は終わって僕は東京に戻っていった」

 だがそのわずか3日後、2人は運命的な再会を果たす。

 「当時、僕は西荻に住んでいたんですけど、渋谷で八百屋のバイトを終えて帰ってきて、夜8時頃に近所の定食屋に入ったら、いたんです、あいつが!」

 それまで竹山は、その定食屋になど1度も入ったことがなく、ふらっと訪れたに過ぎなかった。だがそこになぜか、ビールを飲んでいる中島がいたという。

 「2人とも『うおーーー!!』とか盛り上がって、『なんで東京おるの? お前板前やる言うたやん?』『いやーそれがもう今朝大ゲンカで! ぶん殴られて腹たって出てきた!』『でもなんで俺が西荻におるのわかったの?』『お前がおるなんて知らんよ! (アイドル)親衛隊の友達が西荻にいるからそっち訪ねてきたんや』って」

 そして竹山と中島はコンビを結成。しかしその後、何年経っても一向に世間からの人気は得られなかった。

 「サンミュージックに出戻りして半年か1年ぐらい経った頃にマネージャー会議が開かれて、僕ら『売れる組』でも『売れない組』でもなく『保留』って立場になったんです。会社的にクビにするのはもったいない気がするけど、だからといってウチでは『売れない』と。(略)これもう本当に逃げ場がねえしヤベーよ。終わるな中やんって。(略)ここで4、5時間、印牧マネージャーも含めて1度『カンニング会議』をしてます。結論は中島が言ったんですよ、『このままやめたら何も残らん、何か残してやめないと意味なくね?』」

 そこから2人は「1年後に同じ状況だったらもうやめる」と決め、スイッチが入った。

 「『何でもありや、やっちゃいかんと言われたことはとりあえずやろう』と。(略)で、『借金ばっか、バイトばっか。誰が売れてやるか』と怒鳴っては、客に絡み出すんです。ところが最初の頃、僕は気が小さいからビビっちゃってなかなか言えなかった。そうするとね、中島のいい加減さがそこでいいように出てくる。『怒られてもいいやん。いいやん』みたいな。それは結構いいバランスなんですよ」

 そこからカンニングは何度もステージに立ち、怒鳴ったりなだめたり、客を惹き付ける方法を模索しながらキレ芸を確立。そしてようやく中島と共にブレイクを掴んだ。

 「中島と出会わないと、カンニングがないと、今の僕もない」

 そんな竹山にとってキレるとは、笑いそのものなのかもしれない。竹山は中島の死後も、芸名に「カンニング」をつけて活動を行っている。

【参考】
・Momm!!(TBS系)2017年7月24日
・誰だって波瀾爆笑(日本テレビ系)2015年2月22日
・QuickJapan vol.70(太田出版)

(柴田ボイ)