六代目笑福亭松鶴(落語家)

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 いまは東京が仕事の拠点。でも僕は大阪人やから、東京に家買ったりしない。赤坂のビジネスホテルで暮らしてますわ。もう29年になりますな。

 五代目春風亭柳昇師匠(2003年死去)にあるとき聞かれたんです。「おまえ、いくつや」「もうすぐ40になります」「今ならまだ間に合う。50過ぎてうまくなった噺家はおらん」。当時言われたのが、東京に行って寄席に出ろよと。その頃、大阪は落語の定席がなかったからね。

 11年9カ月出演したニッポン放送「鶴光のオールナイトニッポン」は1985年にやめていましたが、そこらから大阪のレギュラー番組も全部やめさせてもらい、88年に東京・上野の末広亭のオーディションを受けました。

 そりゃ、嫌みも言われましたよ。大阪でやればいいのになとかね。東京の落語家にしてみれば、出番がひとつ減るわけやからね。そこで僕がありがたかったのが、うちの六代目笑福亭松鶴師匠の存在です。桂文治師匠、柳家小さん師匠、古今亭志ん朝師匠ら大先輩に「松鶴師匠からいろいろ聞いてます」と思い切って話しかけると、「おお、おまえの師匠にはお世話になった」と言ってくれるんですわ。うちの師匠は東京の落語家が大阪に来たときは、必ず自腹で飲みに誘ってたんですわ。これが師匠の恩恵。だって松鶴の名前を出したら、どんな人だって話を聞いてくれる。しゃべってくれる。

 1年くらい経ったら、新宿の末広亭でトリをとらせてもらいました。ただ、真打ちじゃないとトリはとれん。特別に僕だけ一代限りで「上方真打ち」という称号をつくってもらいました。一番弟子の学光は上方の真打ちやけど、その後、里光、和光と東京で真打ちになりました。弟子もあと4人おるからみんな真打ちにせなあかんな。

 ただね、今年で落語家になって50周年やけど、いまでも大阪で若手だった頃のことが夢に出てくるのよ。新花月の高座に出ていったら、客が「聞いといたことにしといてやる」とか言うの。へたくそな落語なんか聞きたくないから、引っ込めっちゅうことや。トラウマになって、末広亭で枕でスベッたとき「やめ、やめ」っていうの聞こえてくるもん。

 そのかわり、大阪の客はウケる時の笑いがドカーンとくる。漫才で慣れてるから。東京はクスクス笑う。それでええねん。落語ってそんなにドカーンと笑うもんやないやろ。大阪は漫才見に行こかと言う。東京は落語を聞きに行くと言う。全然、客層も違う。大阪はまだ漫才が好きやね。

 いまは落語中心やけど、40代、50代の人は僕のオールナイトニッポンが脳の中にインプットされてんのかね。「学校寄席」で各地の中学校や高校に行きますとね、校長先生が「おまえらは知らないだろうが、きょうは鶴光師匠がお見えになって、実にうれしい」とはしゃいではる。「おまえらは知らないだろうが」は余計やけどな。

 こないだも、花園神社(東京・新宿)の屋台で噺家3人で飲んでたら、顔に傷のあるスキンヘッドのやつが近寄ってきたのよ。怖いから目合わさんようにしてたんやけど…。「鶴光師匠ですか」「はい」「師匠は僕の青春でした」って。しょんべんちびるで。 (おわり)