「亀の子束子(タワシ)」といえば、明治時代に発売されてから累計5億個が販売されている“国民的洗浄用具”だ。だが、現代的なキッチンでは「茶褐色のタワシを置きたくない」という声も根強い。売り上げが低落を続けるなかで、同社は異業種出身者を中心に「デザイン」へと舵を切った。超ロングセラーブランドはどう変身したのか。舞台裏を検証する――。

■大賞を受賞した「亀の子スポンジ」

今年1月、「日本パッケージデザイン大賞2017」の贈賞式が行われた。応募総数1277点の中から大賞に選ばれたのは、わずか2点。その1つが亀の子束子西尾商店の「亀の子スポンジ」だった。

筆者は同社を約10年前から継続して取材してきた。その意味で大賞受賞は画期的なことだと思う。100年以上“機能性”中心で訴求してきた会社が、デザインという“情緒性”も打ち出すようになったからだ。

■機能性がよくても「私は使わない」

昔も今も、同社の主力商品「亀の子束子1号」(税込み367円)はタワシの代名詞だ。5代目の西尾智浩社長の曽祖父である正左衛門氏が開発したのは1907年で、今年で発売110年になる。かつて花王石鹸や森永ミルクキャラメルなどの「百年ブランド」を調べたことがあるが、多くは“象徴商品”となっており、亀の子束子のように“主力商品”であり続けている例は珍しい。

驚くのは、製造方法が明治時代とほぼ変わらないことだ。工程の多くは手作業。厳選されたヤシの実の繊維を針金に巻き込み、刈り込み機にかけて繊維の毛足を整えた後で折り曲げ、帯縄をかけて仕上げる。これを職人の分担作業で行う。

各工程で寸法や重量の検査をし、最終検査では20項目以上の検査基準をすべて満たした商品だけを出荷する。天然素材のヤシやシュロを用いた手作りの品質の高さが特徴で、特許も取得している。同社が掲げる「亀の子束子が日本のたわし」のフレーズにも誇りがうかがえる。

そうした機能性には定評があるが、見た目は茶褐色で地味なため、現代的なキッチンでは時代とともに敬遠されるようになってきた。そこで同社が2014年に発売したのが、まるでベーグルのような「白いたわし」だ。新商品開発のキッカケは、次の一言だった。

「縁あって知り合ったコラムニストの石黒智子さんに『亀の子束子は見た目がよくない。私は使わないし、今後も使うことはないでしょう』とハッキリ言われたのです。あまりにも強烈だったのでよく覚えています。どうすれば使ってもらえるのか。そう考えて、石黒さんを巻き込んで新商品の開発に乗り出しました」(同社マーケティング部部長の鈴木昭宏氏)

「白いたわし」は、より乾きやすいように真ん中に穴が開いている。技術的にはかなりむずかしかったが、見た目のため職人に挑戦してもらった。さらに「白いたわし」の発売と合わせて、カタログをリニューアル。これまでの「売ってもらう」という商慣習も改めた。社長の西尾氏がこう振り返る。

「それまでは全商品を載せようという姿勢で、売り上げ構成比が低いホウキのような商品も大きく載せていました。一方で、かなり昔からスポンジ商品も出していたにも関わらずカタログでの扱いは目立たなかった。そこで、会社の歴史や商品ストーリー性を重視した『ブランドブック』のようにしたのです。同時に長年の慣行で曖昧な部分も多かった取引内容を見直し、すべての問屋さんと売買契約書の再締結を行いました」

一部からは反発も受け、取引中止となった会社もあったが、主力の「亀の子束子」に加えて「白いたわし」という魅力のある商品を持つと、問屋の対応も変わっていった。

■「他所者」が手がける老舗改革

企業の現場では、「これまでのやり方を変えるのは、しがらみにとらわれない他所者(よそもの)や若者」ともいわれる。実は今回登場した2人は、以前はまったく違う業界で活動していた。

社長の西尾氏は、長年、ギタリストとして音楽業界に身を置いていた。取締役企画部長として入社したのは2010年。45歳のときだった。

「父(4代目社長の松二郎氏)の再三の誘いに応じて会社に入社したのは『時間』としかいいようがありません。昔ながらのやり方が通用しないようになり、会社としてはギリギリのとき。家族経営の負の部分もみえつつありました」(西尾氏)

まず取り組んだことは商品構成の見直しだった。「タワシ一本足」とならないように、スポンジにも力を入れるようにした。

「たとえばフライパンを洗うのにはタワシが向き、デリケートな皿を洗うのはスポンジが向くなど、食器や調理器具の材質に合った最適の洗い方があるのです」(西尾氏)

かつては売上構成比に占めるタワシとスポンジの割合は「97%: 3%」だったが、現在は「75%:25%」とバランスがよくなった。

一方の鈴木氏の入社は2013年、フランス系自転車部品メーカーからの転職だ。同氏の父親も役員として在籍する。英語も堪能な鈴木氏は、前職と現職をこう比較する。

「実は、亀の子束子の行く末については全然心配していませんでした。前の会社はブランド意識が強い会社で、そのやり方を応用すれば何とかなるだろうと。しかもフランスのモノを日本人に売る前職とは違い、日本のモノを日本人に売るという販売・マーケティングです。これだけ日本人に浸透しているブランドの強みが生かせると思いました」

鈴木氏の思いを後押ししてくれた調査もある。亀の子束子に対して、ネガティブな印象を持つ人がほとんどいなかったことだ。西尾氏はこう語る。

「白いたわしや新カタログを広めようとキッチンウエアの展示会にも出展し、セレクトショップからも声がかかるようになりました。今年の『亀の子束子の110年』では、ビームスとユナイテッドアローズというセレクトショップとコラボレーションした商品も展開しています」

■「残念賞」にしないブランド価値

あまりにも身近で価格の安い洗浄道具であるタワシは、時に不当な扱いも受けてきた。たとえばテレビ番組の景品抽選のシーンで、「大当たり賞」の海外旅行の隣には、「残念賞」としてタワシが並ぶことがあった。今でも実施している番組もある。笑いを取る演出だろうが、職人が丹精込めて手作りした商品がネガティブイメージになりかねない。そのため、現在はテレビ局からの企画協力の中身を吟味するようになった。

ブランド価値を上げる活動は「モノづくり」だけでなく、販売面での「コトづくり」でも取り組んでいる。たとえばデザインに力を入れている亀の子スポンジを販売する際には、その横で必ず亀の子束子を併売してもらう。亀の子束子という会社は「センスのいいスポンジを作る企業」ではなく、あくまでも「100年以上続くタワシ屋」であることを知ってもらうためだ。

そうしたコトづくりの象徴が2014年11月29日に開業したアンテナショップ「亀の子束子 谷中店」だ。「谷根千(やねせん)」の別名で知られる東京の下町、谷中・根津・千駄木地区の一角、谷中2丁目にある。この場所を選んだ理由を鈴木氏はこう語る。

「当社の商品は、やはり昔ながらの街で発信したかったのです。古くからの寺があり職人も残る街として浅草も候補として挙がりましたが、より生活に密着した住宅街であるこの場所を見た時にピンときました」

開業して3年近く、今では立派に利益を生む店に成長した。

伝統を残しつつ革新に取り組み、祖母―母―娘と継承されてきたものを、21世紀の今後も持続しようとする意識は高まっている。西尾氏はこんな一面も明かす。

「核家族化が進み、タワシを知らないまま育ち、すべての食器をスポンジで洗う人も珍しくありません。そこで消費者とタワシの出合いの場も設けています」

その象徴が毎年7月2日の「たわしの日」にちなんだイベントだ。同社が1915年7月2日に「亀の子束子」の特許を取得した日で、今年も東京都北区の本社には7月1日、2日の2日間で3000人弱の人が訪れた。タワシの製造体験を楽しみ、会場では特別商品も販売されたという。

社内の雰囲気もガラリと変わり、「それまで惰性で仕事をしていた一面もあったが、全員で1つのことに取り組む意識が芽生えてきた」(西尾氏)という。

近い将来、「特別賞」の亀の子商品をもらった人が喜ぶ姿が見られるかもしれない。

----------

高井 尚之 (たかい・なおゆき)
経済ジャーナリスト・経営コンサルタント。1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『なぜ、コメダ珈琲店はいつも行列なのか?』(プレジデント社)がある。

----------

(経済ジャーナリスト 高井 尚之 写真提供=亀の子束子西尾商店)