今井絵理子議員(写真:日刊現代/アフロ)

写真拡大

「一線を越える」という言葉はすでに死語かと思っていたら、ここにきてがぜん脚光を浴びています。不倫が報じられている今井絵理子議員にこの言葉を使って説明せよとアドバイスした人のセンスの古さは、ちょっといただけない。皮膚感覚としても少し奇妙に感じられるだけでなく、かえって世間に淫靡(いんび)な印象さえ与えかねない言葉を使うよう若い彼女にアドバイスしたのは、60歳前後の人かもしれません。

 今井議員のように、人は恋愛や不倫のとき「一線を越える」という言葉を使うことがあります。かなり緊張感の高い言葉でもあります。

 恋愛を例に考えてみましょう。好きな人ができて、初めてのデートに出かける。この状態はまだ「一線を越える」とは表現しません。では、どこで「一線を越える」のでしょうか。

「一線を越えた」と感じるタイミングは人それぞれのため、明確な定義はありませんが、たとえば手をつないだとき、相手の体温が伝わってきます。このときのドキドキ感が、一線を越えたと感じるものでしょうか。あるいはキスしたとき、唇を重ねるだけでなく身体がぐっと近くに感じられることで、一線を越えたと感じるかもしれません。

 または部屋に招き入れたとき。これは町中やレストランで会っているときとは違います。閉鎖空間で2人きりとなるということもありますが、自室というプライベートな面を見せたときに「一線を越えた」と感じるかもしれません。さらに、セックスしたとき。それはもう明確に「一線を越えた」とされるものですね。

 いずれにせよ、高まる緊張感のなか、境界線を越えることを意味します。境界を「皮膚」と言い換えてもいいかもしれません。私たちは洋服を着ていますから、普段他人の皮膚が触れることはありません。それを、あえて手を握ることで皮膚が触れ、洋服を脱いでセックスすることでより多くの部位の皮膚が触れ、「ああ、これで境界を越える前の関係性には戻れないな」と感じることが「一線を越える」という意味でもあります。

「point of no return(帰還不能点)」――。それは、離陸した飛行機がもはや出発点に戻るだけの燃料がなくなる地点であり、もう後に引くことができなくなるという意味でもあり、一線を越えた感じがしますね。

●「一線を越えた」の判断基準

 ところが、不倫の場合には「一線を越えた」の意味が、恋愛とは異なります。ダウンタウンの松本人志さんが、「一線を越えてないと言うけど、東海道は越えた」とナイスなたとえをなさいましたが、おっしゃる通り、手つなぎ昼寝で東海道を越えていれば、客観的には「一線を越えている」と見えます。

 恋愛における「一線を越えた」は、相手との関係性において使う言葉であり、主観的に感じ、自ら考えるものですが、不倫においての「一線を越える」は、客観的な判断にゆだねられるものであり、不倫している本人がその言葉を使うのはよろしくありません。不倫において一線を越えたかどうかは、大きくいえば裁判官(裁判所)が判断するものです。

 たとえば、既婚男女がホテルや自室といった密室で一晩を過ごす。その間、他の人の出入りはない。こういった場合、昔は「一晩中トランプをしていた」と言い逃れする人もあり、今は「2人で勉強していた」という人もありますが、裁判所の判断では「男女が密室に2人きりでいたらそれは不貞行為があったとみなす」というものであり、一晩といわず、「2人きりで15分間」密室にいたことによって不貞とされ、慰謝料支払い命令が下された判例もあります。

 余談ですが、入室から退室まで15分間で性行為ありと判断した裁判官は、普段どれほど簡易なセックスをしているのか、あるいは急がなければならない事情があるのだろうかと、友人の弁護士たちとこの判例を読みながら思わず笑ってしまいました。

 いずれにせよ、不倫の場合に「一線を越えているか越えていないか」は、不倫当事者が決めるものではなく、もっと客観的な判断が求められるものです。マスコミのリポーターが今井議員だけでなく、女優の斉藤由貴さんに向けて「一線を越えてはいないんですか?」とマイクを向けているのを見ると、取材対象者をまるで罪人のように仕立て上げ、まるで裁判官になったかのように、リポーターが取材対象者を裁きたがっているようにもみえます。

 人が人を裁いてはいけません。この場合、裁判官でなくとも裁くことができる権利を持っているのは、不倫した人の配偶者です。つまり、今井議員と不倫したとされる橋本健神戸市議の妻は、彼らが「一線を越えている」かどうか判断しジャッジを下すことができます。そのジャッジが婚費(生活費)の増額となるか、離婚となるか、今井議員への損害賠償請求となるかは彼女の判断に委ねられます。

●裁く権利があるのは橋本市議の妻

 さて。世の中の妻たちにとって、夫が「一線を越えた」と感じるのはどんなときでしょう。人それぞれのため明確な定義はありませんが、たとえば異性と2人きりで食事をしたとき、たとえそれが喫茶でも、妻への裏切りだとする人もいます。あるいはキスしたとき、少しお酒に酔うとキスをする癖のある人やキス文化のある欧米人以外は、浮気をしたとカウントされる可能性は高いですよね。

 または、既婚者の場合は男性ではなく女性が行うことが多いようですが、異性を部屋に招き入れたとき。過去には角界の元女将や俳優の妻などの例が世間を賑わせました。

 さらに、セックスすれば「一線を越える」ものですが、主観的な恋愛と異なり、既婚者の婚外セックスを問うためには客観的な証拠が必要です。不倫している当人は認めないため、彼らの首根っこを押さえることのできる具体的な証拠が必要です。

 逆に、異性とのセックスやセクハラがあっても、妻が不問に付す場合もあります。第42代アメリカ大統領ビル・クリントンが、24歳のホワイトハウス実習生のモニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」が発覚し、彼女が「大統領はセックスのソウルメイト」などと表現しても、妻ヒラリーは「夫の行為を好ましく思っていないが、あくまでもプライベートな問題」とナイス・アシストし大統領を守りました。さすがというか、大学生時代に「私はボーイフレンドをアメリカ合衆国大統領にする」と友人たちに宣言したヒラリーは、腹のくくり方が違うということでしょう。

 いずれにしても、今井議員と橋本市議を裁くことができるのは、橋本市議の妻とともに、彼らに裏切られたと感じた有権者でもあります。
(文=池内ひろ美/家族問題評論家、八洲学園大学教授)