1945年8月9日午前11時02分、長崎市に原子爆弾が投下されました。これにより当時の人口約24万人のうち、7万4千人が死亡したと言われています。今回の無料メルマガ『1日1粒!「幸せのタネ」』では著者の須田將昭さんが、長崎原爆資料館訪問を振り返りながら、「生きる」「命がある」ということの尊さを問いかけています。

いま、生きているということ

長崎原爆資料館は、入場料大人200円。154円払うと音声ガイドの機械が借りられます。最近、美術館、展覧会で音声ガイドがある場合は必ず借りるようにしています。見所をしっかり理解できますし、展示に至った理由や歴史的背景、他の展示との関連など付加情報が結構多いので、これもおススメです。

さて、「資料館」は「見学所要見込み時間 1時間」とガイドにはあったのですが、たっぷり2時間、見学しました。音声ガイドを聞きながらというのもあるのですが、一つ一つの展示物をじっくり見ながら、「生きる」ということ、「命がある」ということについて、ひたすら問いかけながらの見学でした。

「生きる」ということは、哲学的に高尚なことを常日頃から考えることを求められているわけではないのです。ただただ、「日常生活が滞りなく送れること」こそが、「生きる」ということだとあらためて感じます。

朝起きて、家族とおはようと挨拶をする。

朝ご飯を食べる。

珈琲の香がいいなと思う。

着替えて出かける。

職場や学校で、同僚、仲間と過ごす。

仕事をする。勉強をする。

人と会う。資料を読む。

誰かと他愛のない冗談を言いあう。

ちょっと一息入れる。

蝉が鳴いてるのを煩いと思う。

かわいい花にホッとする。

好きな人と目が合ってドキドキする。

安売りの卵が売り切れでがっかりする。

家に帰ってただいまという。

晩ご飯を一緒に食べる。

今日一日のできごとを話す。

今度の週末にはピクニックにでかけようと話す。

お風呂でついつい居眠りしてしまう。

読みかけのミステリーのせいで夜更かしする。

明日も早く起きなきゃいけないのに…。

「明日が必ずやってくる」と思えばこそ、私たちは毎日生きていられるのです。

原子爆弾がなぜ許されないのか。核兵器がなぜ許されないのか。

およそ「武器」は人を傷つけるためだけに存在します。中でも「核兵器」は、「一瞬」に「無差別」に「圧倒的」な数の「明日」を奪う兵器です。

1945年8月。戦争末期で人々の生活は決して楽なものではありませんでしたが、でも、みんな懸命に生きて、家族と、近所の人と、友達と、笑顔を交わしながら日々暮らしていたのです。それを「一瞬」で消し去った。生きていた証さえ奪われた人達も大勢います。

とてもとてもここに書き尽くせるものではありませんが、あらためて「生きる」ということは何か? それを「奪う」ものがどれだけ許されないものかを感じた時間でした。

資料館では、まさに「資料」のひとつひとつが、貴重な歴史の証人だということを感じる展示になっていました。質の高い展示の仕方といえるでしょう。ことさらに誇張をする必要がないのです。たんたんと「事実としてこれだけの威力がある」ということだけで、十分すぎるぐらい伝わってきました。

修学旅行などでよく訪れる場所だとは思いますが、大人になって分かることもあります。見学できて、本当に良かったと感じた施設でした。

今日も、何気ない一日を大切に生きてまいりましょう!

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出典元:まぐまぐニュース!